ローマ帝国が侵攻する以前のブリテン諸島

Reenactors portraying queen Boudicca (Boudica, Boadicea), and chieftain Prasutagus. Ancient Britain, Celts. By Kabuto 7 - Own work, CC BY-SA 4.0, Link

先史時代の時代区分

石器時代⇒青銅器時代⇒鉄器時代

紀元43年、ローマ帝国第4代皇帝クラウディウスがブリテン島に侵攻し、現在のコルチェスター周辺を支配下に置きました。 そして徐々にその領土を拡大して、おおよそ現在のイングランドとウェールズに相当するエリアが「ブリタンニア」と呼ばれるローマの属州となりました。

一般的に、この紀元43年の侵攻をもってブリテン島の「(記録のある)歴史」が始まったとされています。 そして、これ以前を「先史時代」と呼びます。 先史時代は、その道具の発展によって便宜上、石器時代(旧石器/新石器)⇒青銅器時代⇒鉄器時代に区分されています。 しかし、その変化は段階的で地域差もあり、各時代の境界はあいまいです。

鉄器時代末期の紀元前55-54年には、かのジュリアス・シーザー(ユリウス・カエサル)がブリテン島まで遠征し、その後の皇帝も幾たびか侵攻を試みていました。 当時のブリテン島の住民は、いくつもの小部族に分かれており、互いに争っている状態でした。

これよりもさらに時代を遡ると、書かれた資料がほとんどないため、遺跡などから当時の様子をうかがい知るのみです。 科学技術が発達した現代は、出土物の年代測定や、埋められた人や動物の歯から育った地域を推定することができるそうで、これまで定説とされてきたことが覆される可能性も大いにあります。

最初にブリテン島に渡った人々

旧石器時代

Weichsel-Würm-Glaciation
CC BY-SA 3.0, Link

「旧石器時代(~約1万年前)」は、地球の気温が低く海岸線が後退していたので、ブリテン島は島ではなくヨーロッパ大陸と陸続きでした。 緩やかな気温上昇に伴って北上した人々が、ブリテンにたどり着きました。 人々は狩猟や採集で生活し、動物の骨や歯、貝殻、象牙などから道具や装飾品を作っていました。

気温は上昇を続け海の水位も上がり、おおよそ8500年前には、ブリテンはヨーロッパ大陸から完全に切り離されて島になっていたといわれています。 ちなみに、気温の上昇に伴って海面が上昇する理由は、第一に海水の膨張、第二に陸上の氷河が溶けて海に流れ込むことです。地球温暖化による海面上昇の原因!実は氷が融ける事ではなかった!の説明がとても解りやすいです。

新石器時代とストーンヘンジ

オークニー諸島に遺る新石器時代の住まい
The inside of the Neolithic houses constructed on Skara Brae in Orkney, northern Scotland. By Wknight94Own work, CC BY-SA 3.0, Link

人々は狩猟・採集を主とする生活から、やがて農耕・牧畜による生活へと移ってゆきます。 約7000~6000年前(紀元前5000~4000年)以降は「新石器時代」に分類されます。 人々は、牛や豚を飼育し、栽培した小麦・大麦は石臼で引いてパン状にしました。 石を磨いた斧や、土器も作られました。

紀元前3000年頃には、イベリア半島などから移住してきた人々もいたようです。 もとは遊牧民的な暮らしでしたが、次第に定住したと考えられています。

ストーンヘンジが手掛けられ始めたのも紀元前3000年頃と推定されています。 まずは直径約100メートルの円状に堀と堤が築かれ、中央に巨石が組み立てられたのは紀元前2500年頃と推定されています。 巨石は大きいもので高さ6メートル、重さ40~50トンにも及びます。 2つの支柱の上に水平に渡された石は、崩れないよう石と石のつなぎ目に凹凸加工があるなど高い技術が使われました。

Stonehenge By garethwiscombe – http://www.flickr.com/photos/garethwiscombe/1071477228/in/photostream/, CC BY 2.0, Link

「石器時代と聞くと多くの人が、こん棒をもって洞窟に住んでいる人々をイメージすると思うけど、石器時代末期の人々は農業に勤しみ、知能の面でも現代の我々と変わりませんでした。」と考古学者マイク・パーカー・ピアソンは、ある番組でコメントしています。

この時代の人々の住居跡などがオークニー諸島で発見され、世界遺産に登録されています。

世界的にはこの頃、メソポタミアでシュメール人の都市国家が発達し、青銅器が造られ、文字が発明されました。紀元前2100年頃には、ジッグラトが建てられたとされています。 エジプトでは紀元前3000年頃にナイル川上流域と下流域を統一した王朝が誕生し官僚組織の整備が進められていました。現存するピラミッドの多くは紀元前2600~1800年頃にかけてつくられました。

ストーンヘンジを取り巻く先史時代の年表

紀元前8500年~紀元前700年頃まで ストーンヘンジに関する歴史

オークニー諸島の新石器時代遺跡

オークニー諸島に遺る新石器時代の「住まい」「墓地」「ストーンサークル」「宗教施設」

銅器時代、青銅器時代のブリテン諸島

銅器・青銅器をもたらしたベル・ビーカー人

鐘状ビーカー CC BY-SA 3.0, Link

ブリテン諸島の青銅器時代は、大陸から渡ってきたベル・ビーカー人と呼ばれる人々によってもたらされました。 彼らは、鐘(ベル)を逆さにしたような形状の土器(容器/ビーカー)を作っていたのでこのように呼ばれていますが、貴金属を装飾する高い技術ももっていました。

ベル・ビーカー人がブリテン諸島に渡ってきたのは紀元前2500年頃と考えられています。 当初は「銅」を作っていましたが、紀元前2150年頃に「青銅」の作り方を発見します。 銅に少量の錫(スズ)を加えると青銅になり、強度は2~3倍になるそうです。 こうしてブリテン諸島に 青銅器時代が訪れました。 ブリテン島では、錫は現在のコーンウォールやデボンにあたる地域で多く産出し、銅は北ウェールズで採掘されました。

ベル・ビーカー人は鋳物師、交易商人としてブリテン諸島を渡り歩き、商品経済の概念を普及させたと考えられています。 銅器・青銅器は、武器のほか、農耕器具にも使われ耕作の効率が良くなりました。 この頃から先住民の間で富の格差が拡大し、部族国家的な集団がいくつも存在するようになりました。

新石器時代の墓は long barrow (長形墓)と呼ばれる共同墓地でしたが、青銅器時代の初期には個別に埋葬されるようになりました。 亡くなった人は土葬され、しばしばビーカー土器が共に埋葬されました。 やがて、これらは火葬に変わり、個々に骨壺に収められて共同墓地に埋葬されるようになりました。

なお鐘状ビーカーは、ブリテン諸島だけでなくスペインや南フランス、シチリア島、ドイツ、ハンガリーなどヨーロッパ各地で発見されています。 これは、鐘状ビーカーの担い手が放浪民だったことから各地に伝播された結果だと考えられています。

エイムズベリーの射手

2002年、ストーンヘンジに近いエイムズベリーで、ベル・ビーカー人の墓が多くの副葬品と共に見つかりました。 埋葬されていた人は Amesbury Archer (エイムズベリーの射手)と名付けられました。 「射手」というニックネームが付けられたのは「石製の矢の先端16個」が共に埋葬されていたためです。 このほかにも、ビーカー土器や銅製のナイフ、石や金属を加工する道具、イノシシの牙、金で造られた対のアクセサリーなどの副葬品が見つかりました。

Late Neolithic, 2400–2200 BC. Photographed at the Salisbury Museum. By TobyEditorOwn work, CC BY 4.0, Link

英国の新聞は「ストーンヘンジの王!?」と銘打ってこれらの発見を伝えたそうですが、考古学者によれば、その関係性は確かなものではないとのことです。

炭素年代測定によれば、彼は、ストーヘンジに巨石が立てられた頃(紀元前2500年頃)に生まれたと推定されるそうです。 また、アイソトープ解析を用いて彼の歯を調べると、中央ヨーロッパのアルプスあたりから来たと推定されるそうです。

鉄器時代の発展

鉄器時代の暮らしと遺跡

Human skulls with sword cuts, probably from battle. Iron Age 200-50 BC. Glastonbury Lake Village. Also a sword scabbard recovered from peat. Iron Age 200-50BC. Meare Heath. Museum of Somerset, Taunton Castle, Taunton, Somerset, England. By Simon BurchellOwn work, CC BY-SA 4.0, Link

紀元前750年頃、鉄を作る技術がヨーロッパ大陸からブリテン島に伝わりました。 アイルランド島で鉄器が使われるようになるのはもう少し遅く、紀元前500年頃です。

鉄は青銅よりも強く、資源も豊富にありました。 鉄器の登場は、農業に大きな影響を与えます。 鉄の斧はより効率的に森を切り開くことができましたし、鉄の農具は、より早く、より深く、土地を耕すことができました。 多くの農地が作られ、「土地を所有すること」が大切になってきました。 また、貴金属に複雑な装飾加工を施す熟練した職人も現れるようになりました。

この時代の遺跡としては、ブロッホと呼ばれる石造りの塔の跡がスコットランド北部やオークニー諸島に遺っています。 また、今も島の各地で見られるヒルフォート(丘砦/土塁)は、この時代に盛んに造られました。 特に有名なヒルフォートは、ドーセットの Maiden Castle、サマーセットの Cadbury Castle、ハンプシャーの Danebury などです。 こうした土塁は、防衛目的だけでなく、家畜の飼育にも使われていたことがわかっており、後世の人々に再利用されてきたものもあります。

ヨーロッパ大陸との盛んな交易

この時代、島の部族間では、闘争だけでなく商業的な取引も行われていました。 また、ブリテン島の南部と東部は、ヨーロッパ大陸との関りも深くなってゆきました。

Copper alloy Iron Age brooch. It is in very good condition and comprises a three-spoked wheel placed just off centre of the bow. Two rounded mouldings link this to the foot and a setting that would have held a coloured stone, coral or red glass. The foot then loops under to form the catchplate, which appears almost complete. The hinge consists of a damaged coil that still has part of the pin in place. Two rounded mouldings then link this to the wheel. It is a Hull and Hawkes Type 2B La Tene II brooch, a type that Hull and Hawkes describe as a decorative form, peculiar to Britain. This relatively small group contains a number of often very distinctive and individual brooches that appear to be a British phenomenon. However, there are no brooches in Hull and Hawkes’ catalogue identical to this example, as features seem to have been ‘borrowed’ from other Type 2B brooches. It is Middle Iron Age in date, between 400/350 to 150/100 BC. By The Portable Antiquities Scheme/ The Trustees of the British Museum, CC BY-SA 2.0, Link

古代ギリシャのフェニキア人は、紀元前8世紀頃から交易のためにブリテン島を訪れ始めたと考えられています。 ブリテン島の東部地域は、北海を渡ってきた北ヨーロッパの人々とも交流がありました。 中央ヨーロッパのケルト文化発祥の地である「ハルシュタット文化域」「ラ・テーヌ文化域」に紐づく品々が大陸から輸入され、ブリテン島の社会に大きな影響を与えたと考えられています。 紀元前2世紀の後半には、ブリタニー(現フランスのブルターニュ地方)を介してローマ社会とのつながりもありました。 イギリス海峡に突き出た Hengistbury Head は当時の重要な交易港だったようで、イタリアワインの容器( amphorae )が出土しました。

ブリテン島南東部と大陸の交易は、紀元前50年にジュリアス・シーザー(ユリウス・カエサル)が、ガリア(現フランス・ベルギー・スイスあたり)を征服した後も盛んに行われたようです。Wikipedia の British Iron Age によれば、ローマの記録に次のように残っているそうです。

ブリテン島がローマから輸入したのは「象牙のネックレス、琥珀、ガラス容器、そのた諸々」で、輸出したのが「穀類、家畜、金、銀、鉄、革、奴隷、猟犬」

原文:Strabo, writing in the early 1st century AD, lists ivory chains and necklaces, amber gems, glass vessels, and other petty wares, as articles imported to Britain, whilst he recorded the island’s exports as grain, cattle, gold, silver, iron, hides, slaves and hunting dogs.

一般的な時代区分では、ブリテン島の「鉄器時代」は、その南部がローマ帝国の侵攻によってローマ化される紀元43年頃を境に終わるとされます。 一方、アイルランド島は、ローマの支配が及ばなかったのでキリスト教が浸透する紀元400年頃までが「鉄器時代」として区分されています。 また、ブリテン島においても現在のスコットランドにあたる地域はローマの支配域外だったため、やはりローマ化された地域よりも鉄器時代の終わりは遅く、紀元400年頃とされています。

ブリテン諸島のケルト文化

鉄器時代のブリテン諸島の碑や遺跡、装飾品には、「ケルト文化」の特徴が見られます。

ケルト語やケルト文化は、中央ヨーロッパで発祥したと考えられています。 現オーストリア周辺で栄えたハルシュタット文化(紀元前1200~450年)はやがてヨーロッパ各地に広がり、ラ・テーヌ文化期(紀元前450~50年)に、今日言うところの「ケルトらしい」特徴を持ってさらに広がり、ブリテン諸島やイベリア半島にも強い影響を与えました。

Ancient Celtic warrior/ carnyx player/signaler; with trumpet horn, plaid/ tartan cloak, and horned bronze helmet (called the Waterloo or Battersea helmet). Circa 60 AD, possibly Iceni tribe of East Anglea, or Vacomagi tribe or Aberdeenshire, Scotland. By Kabuto 7Own work, CC BY-SA 4.0, Link

これらの文化圏やその地に暮らす人々を、ギリシャ人やローマ人は「ケルトイ」「ケルタエ」と呼んでおり、「ケルト」の語源となっています。 「ケルトイ」「ケルタエ」は他称です。 ギリシャ人やローマ人から見て、アルプス以北の地域を漠然と一括りにした言葉だったかもしれません。 当時の中央ヨーロッパには全域を統一する国家や政治体制があったわけではなく、地方ごとに首長制の社会が展開していました。 また「ケルトイ」「ケルタエ」という呼び名は、当時のブリテン島やアイルランド島を指して使われたことはなかったようです。

しかし、現在の私たちが「ケルト」という言葉を用いる時はブリテン諸島を含んでいます。 古代の中央ヨーロッパおよびブリテン島を「ケルト」として括るようになったのは、近世になってからのようです。 アイルランドやウェールズに残る言語と古代ガリアで使われていた言語に共通性があったので「ケルト語」と総称されるようになったことが、その始まりです。 ここから「ケルト系言語」を話す人々(話した人々)を「ケルト人」「ケルト民族」と呼ぶようになり、共通の特徴を持つ古代遺跡や美術工芸品と結びつけられるようになり、今日の「ケルト人/民俗/文化」の発想が生まれました。

ブリテン島へのケルト文化の流入は、大陸のケルトが島に侵攻し征服したことによる、とするのが19世紀~20世紀中頃の定説でした。 しかし、大陸のケルトと遺伝子的なつながりが見いだせないことなどから、近年はこれらの説が見直されています。 いまでは、ブリテン諸島の「ケルト文化」は、交易などで大陸の影響を受けたことによって、島内で徐々に出現したと見る説が有力になっているようです。

大陸から移住してきた集団もありましたが、大規模ではなかったようです。 銅器・青銅器を伝えたベル・ビーカー人が初期のケルト系社会と密接な関りがある、とする説もあり、研究途上だそうです。

「ケルト語」は、発祥の地である中央ヨーロッパには現在まで遺ることはありませんでしたが、フランスのブルターニュ地方とブリテン諸島の各地に、現在も4つの「ケルト系言語」が引き継がれています。

ハルシュタット文化期(紀元前1200~450年)
現オーストリアのハルシュタット近郊で遺跡が発見されたことからこう呼ばれます。 多数の墓、青銅製の長剣・斧・矛などの武器、馬具、鍋や高杯が発見されました。 この文化期の前半は中央ヨーロッパの青銅器時代、後半は鉄器時代にあたります。 文化圏は現在のスイス・ドイツ南部・チェコ西部に広がり、アッティカ式黒像陶器片、日干し煉瓦の城壁痕などが見つかっています。
ラ・テーヌ文化期(紀元前450~50年)
現スイスのヌーシャテル湖で発見されたラ・テーヌ遺跡に由来する名称です。 中央ヨーロッパの鉄器時代にあたり、文化圏は現スイス・フランス・ドイツ・オーストリア・チェコに広がりました。 農耕と牧畜で生活し、アルプス以南とも交易を行っていたとみられています。 これらの地域からは、大量の鉄剣、槍先が発見され、またギリシャの貨幣に倣った独自の貨幣、石墨陶土とろくろを用いて作った陶器、ガラス工芸品なども見つかっています。
現在も「ケルト系言語」が残っている地方
アイルランド、スコットランド、ウェールズ、コーンウォール、マン島、フランスのブルターニュ地方

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先史時代のイギリス
ローマ帝国が侵攻する以前のブリテン諸島
オークニー諸島の新石器時代遺跡
ストーンヘンジを取り巻く先史時代の年表

書籍

ケルト文化事典

先史時代のケルト文化の発祥と広がり、中世のケルト圏、近代のケルト復興の動きに関する事柄まで「歴史・社会・言語・宗教・民俗・伝承・文学・芸術」を網羅。定説/諸説に加え、最新の研究にも触れられている。辞典なのでサッと引きやすく、かつ、なぜか単独の読み物としても楽しい。

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洋書

The Story of Britain

ブリテン諸島(イングランド、スコットランド、アイルランド、ウェールズ)に暮らす子供向け(10~12歳くらい?)に書かれたブリテン諸島の歴史。各時代の主要人物や出来事が身近に感じられる小さなストーリー仕立て。ノルマンコンクエスト以降~20世紀末が主題だが、導入部分に先史時代も。(TOEIC650点前後の時に読んで、文法読解力が上がった気がする)

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Wikipedia
ブリテンの先史時代
鐘状ビーカー文化
Prehistoric Britain
Bronze Age Britain
British Iron Age
Iron Age tribes in Britain
Amesbury Archer
Roman Britain
Prehistoric Ireland
Celts
Insular Celts
BBC
Overview: From Neolithic to Bronze Age, 8000 – 800 BC
The Amesbury Archer: The King of Stonehenge?
Overview: Iron Age, 800 BC – AD 43
A Scientific View
Paviland Cave access, Gower
書籍
ケルト文化事典
オックスフォード ブリテン諸島の歴史〈1〉ローマ帝国時代のブリテン島
なごやん

なごやん

歴史と旅行と猫が好き。

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