イギリスの歴史年表【11世紀~15世紀】

https://en.wikipedia.org/wiki/Hundred_Years%27_War#/media/File:Hommage_of_Edward_I_to_Philippe_le_Bel.jpg
1286年:英国のエドワード1世(赤)とフランスのフィリップ4世(青)/アキテーヌ公爵として、エドワードはフランス王の臣下でもあった。

11世紀初頭、デンマーク&ノルウェー王のクヌートがイングランド王を兼ねていました。その支配域から北海帝国とも呼ばれましたが、彼の死後に再び分裂します。イングランドはクヌートの息子が継ぎますが、その死後はアングロ・サクソン系の王が復位しました。この王はエドワード証聖王とよばれます。彼の幼少期にイングランドはデーン人(デンマーク&ノルウェー)の侵略を受けていたため、彼は母方の故郷ノルマンディに亡命し、そこで四半世紀を過ごしていました。

エドワード証聖王には子がなく、その死後に後継者争いがおこります。サクソン貴族のハロルドが即位しますが、ノルウェー王ハーレル、ノルマンディ公ギョーム2世も王位を主張し混乱の末に戦争になりました。この戦いで勝利を収めたノルマンディ公ギョーム2世がウィリアム1世としてイングランド王になります。

ウィリアム1世は反乱諸侯の領地を取り上げ、戦争で功績のあったノルマン人に分け与えたため、サクソン人の貴族はほとんどいなくなりました。農民からすると領主が入れ替わったという感じでしょうか。支配者がサクソン人からノルマン人に変わったので、これをノルマン・コンクエスト(ノルマン人による征服)と呼びます。

なお、このときノルマン人が征服したのはイングランドであり、ウェールズ、スコットランド、アイルランドは変わらずそれぞれ旧来のケルト人(ブリテン人)の勢力下にありました。

こうして新たな時代が始まります。

11世紀(ノルマン・コンクエスト)

  • https://en.wikipedia.org/wiki/Norman_conquest_of_England#/media/File:Norman-conquest-1066.svg
    Location of major events during the Norman conquest of England in 1066
  • 1057 ノルウェー王がイングランドの王位についた時から亡命していたエドマンド2世の息子エドワード(Edward the Exile)は、エドワード証聖王に呼ばれイングランドに帰国するも、到着2日後に死亡する

  • 1066 エドワード証聖王(懺悔王)の死後、ウェセックスのハロルドが王位に就くも、ノルウェー王ハーラル3世、ノルマンディ公ギヨーム2世も自らの王位を主張し争う

  • ハロルドはノルウェー王ハーラル3世の軍を討つが、ノルマンディ公ギヨーム2世の軍に撃破され、ノルマンディ公ギヨーム2世がウィリアム1世としてイングランド王に即位する

  • ウィリアム1世は反乱諸侯(サクソン人)から領土を取り上げて功績のあるノルマン人に分け与えた

  • ウィリアム1世は所領を与える際、まとまった一地域を与える代わりに各地の荘園(マナー manor)を分散して与えた。征服が少しずつ進んだことによる必然でもあるが、このため一地域を半独立的に支配する諸侯は生まれなかった(王族などに例外はある)。諸侯は所領が分散しているため反乱を起こしにくく、また支配地域の安定のために王の力に頼る必要があったため、王権は最初から強かった。一方、諸侯はお互いに頼りあうことになるため、王に対しても協力して対抗しやすく、後にマグナ・カルタやイングランド議会の発展につながる要因となっている。 by Wikipedia
  • 修道院や大聖堂を建設し、ロンドン塔の建設にも着手する

  • 1085 ウィリアム1世の命で世界初の土地台帳(ドゥームズデイ・ブック)が作られる

  • ウィリアム1世の死後、孫のひとりが即位しウィリアム2世となる

  • スコットランドのマルコム3世がノーザンブリア伯(ノルマン人)に討たれる

12世紀(プランタジネット朝)

  • By Gb4dot.svg: Wereonderivative work: Hchc2009 (talk) - Gb4dot.svg, Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=15322204
    Political map of Wales and southern England in 1140; areas under Matilda’s control (blue); Stephen’s (red); Welsh (grey)
  • イングランド王ウィリアム2世の不慮の死により、弟のヘンリー1世が即位

  • ヘンリー1世が、娘マチルダ(8歳)を神聖ローマ皇帝と結婚させる

  • ヘンリー1世の唯一の息子が海峡で事故死する

  • ヘンリー1世は娘マチルダの即位を望むが、ヘンリー1世の死後は甥のステファンらが阻んでマチルダの即位は成らず、ステファンが戴冠した

  • マチルダの息子ヘンリーがアキテーヌ公女アリエノールと結婚しフランスに広大な領地を得る

  • 1154 マチルダの息子ヘンリーがイングランド王に即位し(ヘンリー2世)、プランタジネット朝の最初の王となる(彼はウェールズの広域と、ノルマンディ、アンジュ―、ガスコーニュ、その他のフランスの領地を支配下に置いていた)

  • ヘンリー2世の治世に法や政治体制が強化される

  • ゴシック様式の建築が始まる

  • ヨーク大聖堂の建築が始まる

  • https://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Becket#/media/File:De_Grey_Hours_f.28.v_St._Thomas_of_Canterbury.png
    Illumination from an English book of hours containing an account of the murder of Becket, c. 1390, National Library of Wales
  • 1170 カンタベリー大司教ベケットがヘンリー2世の騎士によって殺される(かつてヘンリー2世と親しかったベケットは、ヘンリー2世の命令によってカンタベリー大司教に任られた。教会を王の支配下に置く目的だったが、ベケットが本物のクリスチャンになって王に従わなくなっていた。)

  • 1189 ヘンリー2世の死後、息子のリチャードが王位を継承する

  • リチャード1世(獅子心王)は第3回十字軍を指揮する(その軍事費維持のため増税し、財を売った)

  • リチャード1世死亡の知らせを受け、代理で統治していた弟のジョンが正式に即位する

  • (ロビン・フッドの物語はこの時代が背景)

13世紀(ジョン失地王)

  • https://en.wikipedia.org/wiki/John,_King_of_England#/media/File:Magna_Carta_(British_Library_Cotton_MS_Augustus_II.106).jpg
    An original version of Magna Carta, agreed by John and the barons in 1215
  • ジョン王はフランス国内の領土をめぐってフィリップ2世をはじめとするフランスの諸侯と対立し、戦いにことごとく敗れ、フランスにおける領地をほとんど失った(このため失地王とあだ名される)

  • ジョン王は教皇とも対立し、破門されたのちに謝罪して教皇に屈した

  • ジョン王は、外交政策の失敗、軍役代納金・増税などをめぐってイングランド国内の諸侯からも反発を招く

  • 1215 ジョン王は、「国王が貴族や聖職者の権利を認めるマグナ・カルタ(大憲章)」に署名することで諸侯と和解するも、わずか2ヶ月で破棄する

  • 1216 ジョン王が死去し、息子のヘンリーが王位を継承する(ヘンリー3世)

  • 1272 ヘンリー3世の死後、息子が継承しエドワード1世となる

  • エドワード1世は、国内の法整備を進め、近隣諸国と戦争を行いウェールズの大部分を獲得する

  • 1282-1284 イングランド法を押し付ける過酷な統治にウェールズ人が反発 ウェールズ大公と共に反乱を起こすがエドワード1世が勝利し、ウェールズの独立は叶わなかった

  • 1294-1299 フランス王フィリップ4世が口実を見つけてイングランド王領であるフランスのアキテーヌ地方没収を言い出したため戦争になるが、最終的に和議で解決する(かつてのジョン王はフランスにおける領土のほとんどを失ったが、アキテーヌ地方だけは残っていた)

  • 1297 スターリング・ブリッジの戦いでウィリアム・ウォレス率いるスコットランド軍が対イングランド戦で初の大勝利を収める

  • 1298 エドワード1世がウィリアム・ウォレス率いるスコットランド軍を打ち破る

14世紀(ウェールズとイングランド – プリンス オブ ウェールズ)

  • 1301年 エドワード1世は息子のエドワード(後のエドワード2世)にウェールズ大公の称号を与えた

  • ウェールズの称号を残すことでウェールズ人の反感を和らげる目的だったという。以降イングランド・イギリス王室の皇太子はこの称号を名乗るのが慣例となり、その伝統は現在に至るまで続いている by Wikipedia
  • https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%892%E4%B8%96_(%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E7%8E%8B)#/media/File:Retour_d_Isabelle_de_France_en_Angleterre.jpg
    夫エドワード2世を逮捕させ、息子の皇太子エドワードとともにイングランドへ戻ったイザベラ王妃
  • 1307 エドワード1世が死去し息子のエドワードが王位を継承する(⇒エドワード2世)

  • 1315-1322年 欧州大飢饉

  • 1326 エドワード2世が王妃イザベラのクーデターにより失脚し、翌年、議会によって廃位される

  • イザベラはフランス王フィリップ4世の娘で、エドワード2世に嫁いでいたがエドワード2世の寵臣ディスペンサー父子と対立していた。あるときイザベラは「エドワード2世がアキテーヌ領有を続けられるよう手助けする」ことを口実にイングランドを離れフランスに出向いたが、イングランドへの帰国を拒否しパリに滞在しつづけた。イザベラは反ディスペンサー貴族の支持を得て、1326年、イングランド東部のサフォークから上陸し、ロンドンへ進軍した。ディスペンサー親子は処刑され、エドワード2世はケニルワース城で幽閉の身となった(ケニルワース城、バークレイ城)。

  • 1327 エドワード3世が即位し(イザベラが摂政を務める)、エドワード2世は幽閉中に惨殺されて崩御する

  • 王太子エドワードはまだ14歳であったが、母が自分を傀儡に政権を握ろうとしていることと、それに対する反感の盛り上がりを賢く察知し、「父から直接譲位がないかぎり即位しない」と指名を拒否し、父からの譲位書を受け取って初めて即位に同意した。 by Wikipedia
  • 1330 17歳になり権力を得たエドワード3世は、その母イザベラを終身刑とした

  • 1337-1453 フランス王国の王位継承をめぐるヴァロワ朝フランス王国と、プランタジネット朝およびランカスター家イングランド王国の戦い、始まる(1世紀以上にわたって続いた一連の紛争に後世の歴史家は「百年戦争」と名付けた)

  • 1328年にカペー朝の断絶を受けてフランス王に即位したフィリップ6世に対して、エドワード3世は自身のフランス王位継承を主張した。母がカペー家の王女だったことが理由であるが、これに対しフィリップ6世は、スコットランドと呼応して1337年5月にアキテーヌ公領没収を宣言し、ガスコーニュに軍を進めたため、11月にエドワード3世はフランスに宣戦布告した。これにより、百年戦争が開始された。 by Wikipedia
  • https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E5%B9%B4%E6%88%A6%E4%BA%89#/media/File:Hundred_years_war.gif
    百年戦争の変遷、フランス(黄)、イングランド(グレー)、ブルゴーニュ(黒)
  • 1348-1349 黒死病の流行

  • エドワード3世の息子エドワード黒太子が、ポワティエの戦いではフランス王ジャン2世を捕虜とする

  • エドワード黒太子は優秀な軍人だったが、遠征中の病で父より早く死亡したため王になることはなかった

  • 1377 エドワード3世が死去し、孫のリチャードが10歳にして王位を継承する

  • 1399 リチャード2世が、従弟のヘンリー・ボリングブルックら貴族層のクーデターによって王位から追放・幽閉され、翌年に死去する

  • 15世紀(ランカスター家VSヨーク家の薔薇戦争を経てテューダー朝)

  • 1400 ヘンリー4世が戴冠しランカスター家最初のイングランド王となる

  • 1413 ヘンリー4世が死去し、息子のヘンリーが王位を継承する(ヘンリー5世)

  • 1415 ヘンリー5世が、アジャンクールの戦いでフランス軍を打ち破る(百年戦争)

  • 1422 ヘンリー5世が急死し、1歳に満たない息子が王位を継承する(ヘンリー6世)

  • 1420年のトロワ条約において、フランス国王シャルル6世の死後はイングランド国王がその後継者になるとされていた。このためヘンリー6世は後にフランス王も兼ねる(シャルル6世はヘンリー6世の母方の祖父にあたる)

  • 1453 イングランドはフランス北部のカレーを除くすべての領土を失い、百年戦争がようやく終結する

  • https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:White_Rose_Badge_of_York.svg
    ヨーク家の白薔薇
  • https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%94%E8%96%87%E6%88%A6%E4%BA%89#/media/File:Red_Rose_Badge_of_Lancaster.svg
    ランカスター家の赤薔薇
  • 1455-1485 ランカスター家とヨーク家の薔薇戦争はじまる

  • 1453年のカスティヨンの戦いでの敗北の後、ヘンリー6世は一時的に精神疾患に陥っていた。この間に、評議会が王の側近サマセット公の独裁を恐れヨーク公へ助力を要請したことでヨーク公が参政し、政権を握る一歩を踏み出していた。ヘンリー6世は、この後も断続的に精神疾患を繰り返した。

  • 1461 ヨーク家がランカスター家を打ち負かし、ヨーク公の息子エドワードが王を宣言し戴冠する(エドワード4世) ヘンリー6世と王妃はスコットランドへ身を隠した

  • 1470-1471 ランカスター家のヘンリー6世が今一度王位に就くが、ヨーク派がランカスター派を倒し、おそらくはロンドン塔でヘンリー4世を殺害し、エドワード4世が再び王位に就く。

  • https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%895%E4%B8%96_(%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E7%8E%8B)#/media/File:Simmler_Children_of_King_Edward.jpg
    『エドワード5世とリチャード兄弟』(19世紀 ポール・ドラローシュ作)
  • 1483 エドワード4世が死去し、12歳の息子エドワード5世が王位を継承するも戴冠式挙行前に退位させられた

  • 新王エドワード5世の摂政に就任したグロスター公リチャードは、エドワード4世の弟でありエドワード5世の叔父である。彼は、エドワード4世の側近であったリヴァーズ伯を逮捕し処刑した。処刑されたリヴァーズ伯は新王エドワード5世の母方の叔父であった。その後、新王エドワード5世は弟と共にロンドン塔に幽閉される。2か月後、議会は新王エドワード5世兄弟の母とエドワード4世の婚姻が無効であったとし、彼らを庶子として、王位継承の無効を議決した。

  • ロンドン塔に幽閉された後のエドワード5世と弟リチャードの消息は、現在に至るまで判明していない。かつては2人がリチャード3世によって暗殺されたと広く伝えられてきたが、現在の研究ではヘンリー7世が2人の運命に深く関わったとする説も有力である。リチャード3世、そしてヘンリー7世、いずれの王位簒奪者にとってもエドワード5世と弟リチャードの存在は障害でしかなかったのは確かである。 by Wikipedia
  • 1483 グロスター公リチャードが王となる(リチャード3世)

  • 1485 テューダー朝のヘンリーがボスワースの戦いでリチャード3世を破り、戴冠してヘンリー7世となる

  • ボズワースの戦い(中略)は、リチャード3世の戦死による敗北と、ヘンリーによるテューダー朝樹立という結果で幕を閉じる。実際にはその数年の後に、ヨーク派を自称して王位奪還を目論む勢力との戦闘はあったが、歴史的にはこの戦闘をもって「薔薇戦争の終結」としている。 by Wikipedia ボズワースの戦い
  • ランカスター家の系統のヘンリー7世は、ヨーク家のエドワード4世の娘にしてリチャード3世の姪にあたるエリザベス・オブ・ヨークと結婚して王位を固め、薔薇戦争による混乱を解決した。テューダー朝を創立して24年間王位に座り、平和裏に息子ヘンリー8世に王位を継承した。 by Wikipedia ヘンリー7世(イングランド王)
  • 1497 イングランド南西部のブリストルから出港したジョンカボットが北アメリカ大陸を発見する

なごやん

なごやん

歴史と旅行と猫が好き。

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