イギリスの歴史年表【17世紀】

James I England (VI Scotland)
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1603年にエリザベス1世が崩御すると、スコットランド王のジェームズ6世がイングランド王に即位してジェームス1世となり、ステュアート朝が始まります。テューダー朝イングランドのヘンリー7世はジェームズ1世(6世)にとって高祖父にあたります。

彼のイングランド王即位をもって、イングランド(ウェールズを含む)、スコットランド、アイルランドが共通の1人の王のもとで治められる初めての機会となりました。彼は当初はイングランドでも歓迎されましたが、宗教改革の課題も残るなか、性格の異なる3国を統治するのは簡単ではありませんでした。

17世紀のブリテンでは、内戦や革命の末に王が処刑されたり、地位を追われるなどして国王不在の10年間さえありました。議会が力を得たり、一部で科学的な研究が行われるなど、近代化の一歩を踏み出すとともに、しかしながら、植民地等での労働力として奴隷取引が盛んに行われはじめる時代でもありました。

17世紀(ステュアート朝)

  • 1600 東インド会社の設立

  • イギリス東インド会社は、アジア貿易を目的に設立された、イギリスの勅許会社である。アジア貿易の独占権を認められ、イングランド銀行から貸付を受けながら、17世紀から19世紀半ばにかけてアジア各地の植民地経営や交易に従事した。当初は香辛料貿易を主業務としたが、次第にインドに行政組織を構築し、徴税や通貨発行を行い、法律を作成して施行し、軍隊を保有して反乱鎮圧や他国との戦争を行う、インドの植民地統治機関へと変貌していった。セポイの乱(インド大反乱)の後、インドの統治権をイギリス王室に譲渡し、1858年に解散した。by Wikipedia
  • 1603 エリザベス1世が死去し、スコットランドのジェームズ6世がイングランド王に即位しジェームズ1世となる

  • ジェームス1世の即位はイングランド(ウェールズを含む)、スコットランド、アイルランドが共通の1人の王のもとで治められる初めての機会となった

  • 事件の容疑者を描いた銅版画。
    右から2人目が首謀者ロバート・ケイツビー
    その左が実行役ガイ・フォークス。
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  • 1605 カトリック信者によるジェームス1世暗殺計画(火薬陰謀事件)の発覚

  • 上院議場の地下に大量の火薬を仕掛け開院式に出席する国王ジェームズ1世らを爆殺する陰謀が実行直前に露見し、カトリック信者のガイ・フォークスら実行犯が捕まった

  • イタリアのガリレオ・ガリレイ、イングランドのロジャー・ベーコン、ウィリアム・ハーヴィーらが科学的手法を用いて実験や研究を行う

  • 1618-48 ヨーロッパで30年戦争が起こる

  • 神聖ローマ帝国のプロテスタントの反乱をきっかけに始まった宗教戦争が、ヨーロッパ中を巻き込む国際戦争へと発展した

  • 1620 アメリカに植民地を作るためメイフラワー号が出発

  • 1625 ジェームス1世が死去し、息子のチャールズ1世が王位に就く

  • 1628 議会がチャールズ1世に「権利請願」を提出する

  • Charles I in Three Positions by Anthony van Dyck, 1635–1636
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  • 1629-40 チャールズ1世が議会を無視して独自の法を敷き人々の反感を買う またカンタベリー大司教のウィリアム・ロードがチャールズ1世の許可を得て国教会の改革と統一を進め、ピューリタンの反感も買う

  • 1639-40 スコットランドが国教会を強制するチャールズ1世に対して反乱を起こし、戦争に発展してチャールズ1世が負ける

  • 1640 チャールズ1世は、対スコットランド戦の費用得る目的で11年ぶりに議会を招集するが、議会は国王に賛同しなかった

  • 1642 議会のメンバーが政権を握ることを恐れたチャールズ1世が議員を逮捕しようとするが、逃げられて未遂に終わる

  • 1642 第一回内戦が始まる(ピューリタン革命)

  • (国王は)カンタベリー大主教ウィリアム・ロードの助言で国教統一に乗り出し、ピューリタンを弾圧した。ロードの政策がスコットランドにも国教を強制するにおよんで、各地に反乱が起きた。1640年、スコットランドの反乱鎮圧のための戦費を得る目的で11年ぶりに議会を招集したが、議会は国王批判の場となった(短期議会・長期議会)。1642年1月、チャールズは反国王派の5人の議員を逮捕しようとして失敗、議会派と王党派の内戦が勃発した(イングランド内戦、ピューリタン革命)。 by Wikipedia
  • 議会とスコットランドの同盟派が“厳粛同盟(the Solemn League and Covenant)”に同意する

  • オリヴァー・クロムウェル率いる鉄騎隊(New Model Army)の活躍で国王派が打ち破られる

  • カンタベリー大司教のウィリアム・ロードが処刑される

  • 1646 チャールズ1世が降伏する 鉄騎隊がチャールズ1世をワイト島へ送る 

  • 1647-48 第二回内戦が始まる ワイト島に監禁中のチャールズ1世と秘密裏に約束を交わしたスコットランドの同盟者が王を助けようとして、内戦が起こるが、同盟者が打ち負かされる

  • ロバート・ウォーカーによるオリバー・クロムウェルの肖像画(1649年) Wikipedia
  • 1649 チャールズ1世が議会によって処刑される クロムウェルの実質上の独裁が始まる

  • 1650-51 チャールズ1世の息子チャールズ(後のチャールズ2世)がスコットランドに上陸したのを討つため、クロムウェルがスコットランドに遠征する チャールズ皇太子率いるスコットランド軍を討ち、チャールズ皇太子は大陸へ亡命する

  • 1652-54 第一回 対オランダ戦争

  • 1658 クロムウェルが死亡し、彼の息子リチャードが第2代護国卿(Lord protector)となるが、父ほどの器量や才能がなかったため軍が跡を継いだ 混乱した状況の中、モンク将軍は王を呼び戻すことを考える

  • 1660 王政復古 チャールズ2世が王に即位する

  • 1665 ペスト(黒死病)の流行

  • 1666 ロンドンの大火事

  • 1667 第二回 対オランダ戦争ミッドウェイ海戦で英国軍がオランダ軍に敗れる

  • 1672-74 第三回 対オランダ戦争

  • 1678-81 ”カトリックの陰謀”が流布され、イングランドの反カトリック感情をあおってカトリックを敵視した立法・裁判が横行する 国全体がパニックに陥るが、捏造であったことが次第に露見するとかえって反カトリック勢力(ホイッグ)の地位が低下する結果となる

  • 1679-81 チャールズ2世が議会と論争 ホイッグはカトリック信者の王弟が王になることに反対する

  • 1683 ホイッグによるライハウス陰謀事件(カトリック信者のジェームズの王位継承を阻止する目的) ただし証拠に乏しく捏造の可能性もあるとされている

  • 母方からチャールズ1世の血を引くウィリアム3世(オラニエ公)
    母方からチャールズ1世の血を引くウィリアム3世(オランジュ公)
  • 1685 チャールズ2世が死去し、弟ジェームズが即位してジェームズ2世となる

  • チャールズの庶子でオランダ生まれのモンマス公爵が王位を主張して立ち上がるが敗れて処刑された

  • 1688 名誉革命でジェームス2世がオランジュ公ウィリアムによって廃位させられる

  • 1689 ジェームズ2世の娘メアリーが王女となり、その配偶者であるオランジュ公ウィリアムは共同統治者として即位しウィリアム3世となる

  • 1689 ウィリアム3世が「権利の章典」を承諾する

  • イングランド国王の存在を絶対前提とした上で、国王に忠誠を誓う議会および国民のみが享受できる権利と自由を定めた法律である。国王といえども否定できない、国民が古来より相続してきた諸権利を確認した。
    • 議会の同意を経ない法律の適用免除・執行停止の禁止。
    • 議会の同意なき課税、平時の常備軍の禁止。
    • 議会選挙の自由、議会内の発言の自由、国民の請願権の保障。
    • 議会を召集すること。
    • 国民の請願権、議会における議員の免責特権、人身の自由に関する諸規定。
    • 王位継承者からカトリック教徒を排除すること。
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  • 1690 ボイン川の戦いでウィリアム3世がジェームス2世を討つ

  • 1692 グレンコーの虐殺 スコットランドにおいて、イングランド寄りのキャンベル氏族が(スコットランドに不案内な国王の許可を得て)マクドナルド氏族を虐殺した事件 後のイングランド・スコットランド関係が険悪になる一因ともなった

なごやん

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歴史と旅行と猫が好き。

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