なご トオ子

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イギリスの摂政時代をざっくり

イギリスには「摂政時代 / リージェンシー」と呼ばれる時代があります。精神を患った国王ジョージ3世に代わって王太子ジョージ(のちのジョージ4世)が摂政をつとめたことからこのように呼ばれます。18世紀末~19世紀の初頭で、王朝はハノーヴァー朝(House of Hanover)※にあたります。 優雅に暮せる人々は優雅に暮らし、奔放な王太子ジョージを筆頭に、お洒落なボー・ブルメルや破天荒な詩人バイロン […]

イギリス:4つの国から成る国

わたしたちが「イギリス」と呼んでいる国は、正式名称を「グレートブリテン王国および北アイルランド連合王国」といいます。4つの国が集まってできています。イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドです。 国名の変遷について 長い歴史の中で最も強かったのがイングランドです。中世のイングランド国王がウェールズを征服して併合し(1283)、近世のイングランド国王はアイルランドの国王をも名乗るよう […]

エドワード4世

エドワード4世はヨーク家出身の最初の国王です。父リチャード( Richard, Duke of York )※の意思をついで、ランカスター王家のヘンリー6世を廃して、王位につきました。 ※父リチャードは1460年の「ウェイクフィールドの戦い( Battle of Wakefield )」の戦いで命を落とした。 ヘンリー6世が復位した時期(およそ半年間)があるため、エドワード4世の在位期間は1461 […]

[詳しく]6世紀のイギリス

410年にローマ皇帝ホノリウスがブリタンニアを見捨てた時をもって、ローマによるブリタンニア支配は終焉を迎えたと定義されています。以降は文献史料が乏しく、6世紀のイギリスについては多くが謎に包まれたままです。 6世紀のイギリスの主なできごとは次のとおりです。 ベイドン丘の戦い 現存する当時の文献史料はギルダスによる「ブリトン人の没落」 アイルランド出身の宣教師らがスコットランドとイングランドに宣教 […]

摂政時代のファッション雑誌

摂政時代のファッション雑誌3冊を紹介します。GoogleBooksで多くのページを閲覧することができます。またファッション・パレットとよばれる繊細な色付きの挿絵は、ウィキメディアコモンズで閲覧できます。それぞれ各章にリンクを張っているので楽しんでください!

地主階級(ジェントリ / Gentry)の身分と職業

爵位があれば貴族ですが、爵位がなければ地主階級です。地主階級(ジェントリ / Gentry)とは貴族の下に属する階級です。上流階層(支配者層)の最下位に位置します。地主階級に属する人々を細分すると上から、バロネット(準男爵)・ナイト(騎士)・エスクワイヤ(郷士)・ジェントルマン(紳士)に分けることができます。

リージェンシー・ファッション-女性編-

18世紀末から19世紀初頭にかけて流行したスタイルを「エンパイアスタイル」などと呼びます。胸のすぐ下で絞ってバストを支え、スカートをながすスタイルです。ドレスのなかに下着(undergarments)、外にはガウン(gowns)や上着(outerwear)を重ね着しました。上着は、スペンサー(spencer)やペリーズ(pelisse)が人気でした。動画では、下着からコルセット、ドレス、ガウン、アウターまで、エンパイアドレスを実際に着る様子を、解説付きで見ることができます。

ジョージ2世(George Augustus)

ジョージ2世は、ジョージ1世の唯一の嫡男です。父ジョージよりは、イギリス人らしいアイデンティティを備えていましたが、政治についてはやはり、ロバート・ウォルポールに依存せざるをえない状況でした。 ジョージ2世は1743年の「デッティンゲンの戦い」に参戦しました。歴代のイングランド国王のなかで、軍を率いて自らが参戦した最後の例です。 1745年には、ステュアート家を支持するジャコバイトが、チャールズ若 […]

アングロサクソン七王国時代:王国の興亡(7世紀、8世紀、9世紀)

ブリテン島各地に乱立したアングロサクソン人の王国は互いに争い、7世紀初頭には上述の七つの王国が主要な王国として台頭していました。7世紀~8世紀を通じてさらに淘汰され、イーストアングリア王国、ノーザンブリア王国、マーシア王国、ウェセックス王国の4つが主要な王国として順に覇権を握ります。9世紀~10世紀にかけてはバイキングの侵攻に苦しみました。このなかで生き残ったウェセックス王国が覇権を握ってバイキングに反撃をしかけます。

アングロサクソン七王国:バイキングの侵攻とウェセックス王国の台頭(9世紀)

アングロサクソン人が「大異教軍」と呼んだこの軍団は、871年にスカンジナビアから到来した「大夏軍」によってさらに増強されました。そしてこののち10年以内に、アングロサクソン人の王国のほとんどが、この侵略者によって陥落させられるのです。867年にノーザンブリア王国が陥落、869年にイーストアングリア王国が陥落、874年~77年にかけてマーシア王国の大部分が侵略されました。王国、学舎、所蔵物、教会が、デーン人の猛攻撃によって崩壊しました。

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