ヘンリー7世(Henry VII)
       

ヘンリー7世は、ウェールズのテューダー家出身の国王です。ランカスター傍系の母方を通じて、イングランド王エドワード3世の血を引いており、「ボズワースの戦い」でリチャード3世を討って王位に就きました。

ヘンリー7世の治世の始まりは、中世の終わり/近世の始まりとして位置づけられています。

婚姻を通じてイングランド内のヨーク派とランカスター派の融合を図り、ばら戦争に終止符を打ちました。両家の紋章を掛け合わせた「紅白の薔薇」がテューダー家の家紋になっています。

出身のウェールズはもとより、スペイン、フランス、スコットランドとも友好関係を築き、イングランドの安定と発展の基盤固めに貢献しました。

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ヘンリー7世(Henry VII)

ヘンリー7世
出典 Wikimedia Commons
治世1485年8月22日-1509年4月21日(23年243日)
継承権母方からエドワード3世の血をひく
戦勝による権利
ヨーク家のエリザベスの夫
生没1457年8月22日:Pembroke Castle
1509年4月21日(52歳):Richmond Palace
家系テューダー家(House of Tudor
父母 Edmund Tudor & Margaret Beaufort
結婚ヨーク家のエリザベス(Elizabeth of York 1486年)
子供Arthur, Prince of Wales
Margaret, Queen of Scots
ヘンリー8世(Henry VIII, King of England
Elizabeth
Mary, Queen of France
Edmund, Duke of Somerset
ほか
埋葬Westminster Abbey
ヘンリー7世

年表

1485「ボズワースの戦い」でリチャード3世を破ったヘンリー7世が王位に就く
※「ばら戦争」の終結
1486ヘンリー7世、ヨーク家のエリザベスと結婚
ヨーク家とランカスター家の融合
1487ヘンリー7世、ランバート・シムネル( Lambert Simnel )を擁立したリンカーン伯爵の反乱を鎮圧
1491ヘンリー7世、フランスに侵攻
エタ―プルの和平条約( Treaty of Etaples )が結ばれ、イングランド軍の撤退と引き換えに莫大なお金を得る
1492ロンドン塔に幽閉された王子リチャード(エドワード5世の弟)を名乗る男( Perkin Warbeck )が現れ、敗戦し1499年に処刑される
1492クリストファー・コロンブスが大西洋を横断しキューバのサン・サルヴァドールと、ハイチに到着
ハイチをインドだと信じ込む
1497John Cabot)がブリストルから出航し新大陸を発見
アジアであると信じて、イングランドの所有権を主張
1501スペインのアラゴン王女キャサリン( Catherine of Aragon )と、ヘンリー7世の長男アーサー( Prince Arthur )の結婚
1502ヘンリー7世の長男アーサー王子が死去
ヘンリー王子が王太子となる(のちの8世)
1503ヘンリー7世の娘マーガレット( Margaret )を、スコットランドのジェームス4世( James IV of Scotland )に嫁がせる
1503ヘンリー7世の妃、ヨーク家のエリザベスが死去
1509ヘンリー7世リッチモンド宮殿で死去(52歳)
ヘンリー7世の治世の年表

おもなできごと

生い立ち

ヘンリーの母マーガレット( Margaret Beaufort )は、ランカスター家の血をひいています。ヘンリーの父リッチモンド伯エドマンド( Edmund Tudor )は、ヘンリー6世の異兄弟であり、ウェールズの貴族( Tudors of Penmynydd )でもあります。

ヘンリー7世の出自

ヘンリー・テューダーの子供時代、叔父にあたるヘンリー6世は、ヨーク家のエドワード4世と王位を争っていました。エドワード4世が王位を再奪取した1471年以降、ヘンリー・テューダーは亡命先のブルターニュ(Brittany)で14年間を過ごしました。

ブリテン人の血をひくヘンリー7世

ヘンリーの父リッチモンド伯エドマンドは、ヘンリーが生まれる前に亡くなり、まだ年若かった母は再婚しました。ヘンリーは叔父ジェスパーのもとで幼少期を過ごしました。

ヘンリーは父方を通じて、ウェールズのデハイバースの君主( Rhys ap Gruffydd )の血をひいています。これゆえに、ウェールズのケルト系の王子の血をひき、サクソン人の流入より以前のブリテン島の支配者の血をひいていると主張することもできます。真偽はともかく、さらには伝説のアーサー王の血を受け継いでいるとも主張し、これを印象付けるためか長男をアーサーと名付けました。

王位奪取・ボズワースの戦い

ヘンリーは、ばら戦争( Wars of the Roses )のクライマックスである「ボズワースの戦い( Battle of Bosworth Field )」でリチャード3世をやぶり、王位に就きました。

ヘンリーはフランス、スコットランド、そしてウェールズの支援を得て、これを達成しました。

ヘンリー7世は、歴代のイングランド国王のなかで、戦いによって王位を奪取した最後の王です。ヨーク家のエリザベス( Elizabeth of York )と結婚することで、王朝の基盤を固めました。

王位の基盤固め

テューダー家出身のヘンリーによる王位請求権は、たいへん弱いものでした。母方を通じてエドワード3世の息子ジョン・オブ・ゴーントの血をひいてはいましたが、それは側室( のち結婚 Katherine Swynford )を通じてのものでした。

エドワード5世とその弟が、おそらくはロンドン塔ですでに亡くなっていたとはいえ、より上位の王位請求者はまだいました。ヘンリーが王位に就くことができた真の理由は、リチャード3世を打ち破った「征服による」部分が大きいと考えられています。

ヘンリー7世は、自身の王位請求権をより強固なものにするため、ヨーク家のエリザベスと結婚しました。エドワード4世の長女です。この結婚によって、ヨーク家とランカスター家が融合した新たな王朝が開かれることになりました。

ヘンリー7世は広くヨーロッパにおいても、彼の王位が認められるよう奔走しました。1486年には教皇イノケンティウス8世を味方につけ、自身を正式な王位継承者として認めてもらうことに加え、ほかの請求者には破門をちらつかせて威嚇しました。

統治・経済

ヘンリー7世は、内戦を終わらせイングランドに安定した時代をもたらすことに成功しました。行政機関や経済、外交に貢献しました。

ネーデルラント(現オランダ・ベルギー)とは距離をおいて国内の羊毛産業を支援しました。これによって長きにわたる経済的利益をイングランドにもたらしました。

ヘンリー7世は身の回りを豪華絢爛に飾るよりも、細かいところまで目を配って収益をもたらすことに注力しました。また、いくつかの新しい税金の導入によって政府の財政を安定させました。

ヘンリー7世が遺したものは「安定」

ヘンリー7世は、お金のかかる「戦争」を避けることに尽力しました。長年の敵であるフランスとの同盟を必要とし、このためにはスコットランドとの同盟も欠かせませんでした。

スペインとの政略結婚を進めるいっぽうで、スコットランドとも交渉を行い、イングランド王室とスコットランド王室の結婚の計画が進められました。

このような努力の結果、イングランドとウェールズとスコットランドの友好的な関係が築かれました。

ただし、両国の友好に協力的だったジェームス3世は、スコットランド貴族の怒りを買うことになり、1488年に暗殺されてしまいました。

崩御・王位継承

ヘンリー7世の治世はおよそ24年におよびました。

ヘンリー7世は孤独な王であったと云われています。妃へ忠誠を尽くしましたが愛情は控えめだったと云われ、また国王としての地位や成し遂げた様々の業績に酔うこともなかったと云われています。

崩御にともなって、王位は平和裏に息子ヘンリー8世に継がれました。

地図

ペンブローク城

ヘンリー7世が生まれた城です。出産前に父が亡くなり、ヘンリーは幼少期を叔父ジャスパーのもとで育ちました。1461年にペンブローク城がヨーク派に落とされると、ヘンリーはフランスのブルゴーニュへ亡命しました。


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参考
Henry VII of England
King Henry VII (1485 – 1509)
A Brief History of British Kings & Queens

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