ナポリを奪還したネルソン少将、ハミルトン夫妻をともなって帰還

ナポリを奪還したネルソン少将、ハミルトン夫妻をともなって帰還

ナポリがフランスの手に落ち、王室メンバはシチリア島に避難

ナポリは船の修理に便利な港でした。「ナイルの海戦」で勝利したネルソンは、1798年9月に寄港し英雄として迎えられました。公使夫人エマ・ハミルトン(Emma Hamilton)も彼を歓待しました。

Lady Hamilton as a Bacchante, by Marie Louise Élisabeth Vigée-Lebrun, 1790–1791

ナポリは南下してくるフランスに抵抗する国でした。ローマはすでにフランス軍に占領され、教皇は捕虜となっていました。ナポリ国王フェルディナンド(Ferdinand)はようやく対仏同盟に加わり、フランスに宣戦布告しました。

ナポリの小さな陸軍はオーストリアの将軍カール・マック(General Mack)に率いられ、ネルソンの艦隊に見守られながらローマの奪還を目指しました。しかし成功せず、ナポリをも占領されてしまう結果になります。

ネルソンは急いでナポリの王室メンバと、ハミルトン夫妻らをシチリア島のパレルモに避難させました。1798年12月下旬のことでした。

ネルソンがエマとの恋に落ちたのはこの頃です。共に既婚者で共に有名なふたりの噂はロンドンに届き、スキャンダルとして新聞に取り上げられました。

German: Admiral Nelson und Lady Hamilton in Neapel

ネルソンが愛したエマ・ハミルトン

エマはイギリスの鍛冶職人の娘として生まれ、美貌に恵まれ、絵画のモデルや舞踏の見せ物で人気を博しました。貴族の愛人となった期間を経て、1791年ナポリにて26歳のエマは、公使として駐在する60歳のウィリアム・ハミルトン(Sir William Hamilton)との結婚に至ります。ネルソンとの出会いは1793年です。ナポリに援軍を求めて派遣されてきたネルソンに、エマは公使夫人として会っていました。それから約5年後「ナイルの海戦」直後に再会してから親密な仲になりました。

Emma, Lady Hamilton

ナポリの奪還に成功するも、ネルソンには帰国命令が下る

1798年中にネルソンの司令官は、ネルソンと相性の良かったヴィンセント伯ジャービス(Earl of St Vincent)から、馬の合わないキース子爵エルフィンストーン(Viscount Keith)に代わっていました。

キース子爵が「ナポレオン軍の次なるターゲットはミノルカ島(Minorca)だ」と見込み、ネルソンに全艦隊を率いてミノルカ島へ赴くよう命令を出したとき、ネルソンは「ナポリが脅威にさらされる」という理由で拒否していたのです。

1799年、ネルソンと艦隊はナポリ王フェルディナンドを支援して、ナポリの奪還に成功しました。

しかしネルソンとエマとのオープンな不倫スキャンダルは海軍司令部にも届いており、良くない印象をロンドンに報告されました。新しい司令官とは相性が悪く、なにより命令に従わなかったことが許されなかったのです。

ネルソンはフェルディナンド王から公爵領ブロンテ(Dukedom of Bronté)を与えられたことで、上官のさらなる怒りを買いました。こうした結果から、ネルソンはイングランドへ帰還することを命じられます。

ネルソンの人気高く、群衆から「英雄」として迎えられる

命令に従い、1800年、ネルソンはイングランドに向けて出発します。ところがそれは陸路で、しかもハミルトン夫妻を伴っての帰国でした。奇妙な取り合わせの一行は、11月にイングランドに到着します。

さて海軍司令部はともかくとして、群衆はネルソンに喝さいをおくり「英雄」として迎えていることが明らかになってきました。ロンドンまでの道のりは、凱旋さながらとなりました。

Portrait of Horatio Nelson, 1st Viscount Nelson circa 1805—1807

参考
Horatio Nelson
Emma, Lady Hamilton
Horatio Nelson, 1st Viscount Nelson