サマリー:イギリスの摂政時代

サマリー:イギリスの摂政時代

イギリスには「摂政時代 / リージェンシー」と呼ばれる時代があります。作家ジェーン・オースティンが暮らし、その小説に描かれている時代です。精神を患った国王ジョージ3世に代わって王太子ジョージ(のちのジョージ4世)が摂政をつとめたことからこのように呼ばれます。

18世紀末~19世紀初頭

‘The Next Dance’, signed ‘G.G.Kilburne’, titled on mount; watercolour heightened with touches of white, 36 x 53 cm

ジョージ4世が摂政をつとめた期間は1811年から1820年です。ですから正式には「摂政時代 / リージェンシー」とはこの期間を指します。

しかし前後の十数年をふくんだ1795年頃から1837年頃を「摂政時代 / リージェンシー」とみなす場合があります。なぜなら建築様式・文学・ファッション、そして政治や文化などに共通の特徴がみられるためです。後者の場合、ジョージ3世の治世の末期~ジョージ4世とウィリアム4世の治世をふくんでいます。

イギリスの正式名称

The United Kingdom of Great Britain and Ireland was a sovereign state that existed between 1801 and 1922.

当時のイギリスの正式名は、1707年から1801年までが「グレートブリテン王国(Kingdom of Great Britain)」で、1801年から1922年は「グレートブリテン及びアイルランド連合王国(United Kingdom of Great Britain and Ireland) 」です。

「グレートブリテン王国」は、イングランド(ウェールズを含む)とスコットランドが合体してひとつになった王国です。ここにアイルランドを併合して「グレートブリテン及びアイルランド連合王国」となりました。

アイルランドの併合については現代にいたるまで問題を残していますが、ここでは割愛します(が『麦の穂を揺らす風』という映画は、理解が深まるのでおすすめしたいです)。なお、当たり前のようにイングランドに含まれてしまっているウェールズについては、中世後期のイングランド王エドワード1世による征服まで歴史をさかのぼります。

摂政時代のイギリス

不安定な国内情勢

To Henry Hunt, Esq., as chairman of the meeting assembled in St. Peter’s Field, Manchester, sixteenth day of August, 1819

社会全体は、政治と経済の面でおおきな変動があり、国内情勢は不安定でした。機械化による産業革命で職を失った労働者が機械を破壊(ラッダイト運動)したり、首相が暗殺されたり、軍が民衆を虐殺してしまうピータールー事件や、民衆による内閣メンバ殺害の計画もありました。

フランス革命とナポレオンの台頭の影響

The French Empire in 1812 at its greatest extent

18世紀末に起こったフランス革命で、フランスの王侯貴族がギロチン台に送られました。ヨーロッパ各国の支配者層は震撼し民衆を恐れました。革命後に台頭したナポレオンがフランスを率いて他国に侵攻し「ナポレオン戦争(1803-1815)」が勃発します。

数々の戦争は国内外の商取引や政治に影響をあたえました。戦争は大陸を荒廃させ、上流社会の英国人も父、夫、息子、兄弟、叔父を亡くしました。

文化・文明的な発展

Brighton Pavilion, 1826

血にまみれた荒々しい時代でありながら「摂政時代 / リージェンシー」はまた、優美で洗練された文学・アート・建築を後世にのこしました。建築と芸術の分野での強力なパトロンのひとりは、王太子ジョージ(4世)自身でした。上流社会には新古典主義(あるいは小ルネサンス)の文化が花開きます。

王太子は莫大な費用をかけてブライトンに宮殿(Royal Pavilion)の建築を発注しました。またロンドンに華やかなマンション(カールトンハウス / Carlton House)を建てたり、著名な建築家たちにさまざまの建築物を依頼しました。もちろん彼のこうした情熱は、国庫を圧迫することにもなりました。

英雄

Admiral Horatio Nelson, 1799 portrait by Lemuel Francis Abbott (C)

海軍の英雄ではネルソン提督、陸軍の英雄ではウェリントン公爵が有名です。ネルソン提督は1805年のトラファルガーの戦いを勝利に導きフランス軍の侵攻を食い止めましたが、自身はこの戦いで命を落としました。ウェリントン公爵は1815年のワーテルローの戦いでナポレオンを打ち負かし、長生きして首相も務めました。

Portrait of Arthur Wellesley, 1st Duke of Wellington (C)

ふたりとも上流階級の生まれですが爵位はなく、戦勝の功績によってこれを授かり貴族に列せられました。