イギリスの摂政時代をざっくり
       

イギリスには「摂政時代 / リージェンシー」と呼ばれる時代があります。精神を患った国王ジョージ3世に代わって王太子ジョージ(のちのジョージ4世)が摂政をつとめたことからこのように呼ばれます。18世紀末~19世紀の初頭で、王朝はハノーヴァー朝(House of Hanoverにあたります。

優雅に暮せる人々は優雅に暮らし、奔放な王太子ジョージを筆頭に、お洒落なボー・ブルメルや破天荒な詩人バイロン男爵、民衆の弾圧で悪名高いシドマス子爵など、濃いキャラクターが実在しました。海軍の英雄ネルソン提督には失業状態の苦しい時代があり、陸軍の英雄ウェリントン公爵は政治的な人脈にも恵まれて順調に出世しました。

政治史的には、イギリスはアメリカ13植民地を失い、上流階級の人々もナポレオン戦争で命を落とし、労働者は機械を破壊し、首相は暗殺され、軍が民衆を虐殺する事件が起こり、民衆による内閣抹殺が計画されるなど、騒がしい時代でした。

※ハノーヴァー朝…ジョージという名の国王が連続した1714年から1830年を、ジョージアン期と呼んだりもします。ウィリアム4世を含んで1837年までをジョージアン期とする場合もあります。摂政時代はジョージアン期の末期に含まれます。

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摂政時代の「期間」はあいまい

1811年~1820年、または1790年代~1837年ころ

‘The Next Dance’, signed ‘G.G.Kilburne’, titled on mount; watercolour heightened with touches of white, 36 x 53 cm

ジョージ4世が摂政をつとめた期間は1811年から1820年です。「摂政時代 / リージェンシー」とは、正式にはこの期間を指します。

しかし前後の十数年をふくんだ1795年頃から1837年頃を「摂政時代 / リージェンシー」とみなす場合があります。それは建築様式・文学・ファッション、そして政治や文化などに共通の特徴がみられるためです。

後者の場合、ジョージ3世の治世の末期~ジョージ4世とウィリアム4世の治世をふくんでいます。このページでも、広い意味での「摂政時代 / リージェンシー」についてまとめています。

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新古典主義の流行

上流社会には新古典主義(小ルネサンス)の文化が花開く

Brighton Pavilion, 1826

「摂政時代 / リージェンシー」は、優美で洗練された文学・アート・建築を後世にのこしました。建築と芸術の分野での強力なパトロンのひとりは、王太子ジョージ(4世)自身でした。上流社会には新古典主義(あるいは小ルネサンス)の文化が花開きます。

王太子は莫大な費用をかけてブライトンに宮殿(Royal Pavilion)の建築を発注しました。またロンドンに華やかなマンション(カールトンハウス / Carlton House)を建てたり、著名な建築家たちにさまざまの建築物を依頼しました。もちろん彼のこうした情熱は、国庫を圧迫することにもなりました。

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国内の大事件

1783年にアメリカを失っている

イギリスのアメリカ13植民地が、革命戦争を経て1783年に独立しました。イギリスの課税法に不満をもった植民地人が「代表なくして課税なし」という主張のもと反乱をおこして、戦争に突入し、勝利したのです。イギリスはアメリカを失ってしまいました。

この戦争はイギリスの内戦だったといえます。しかしフランスが植民地人の革命を支援してアメリカ側について介入したため、国際戦にもなりました。

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産業革命による失業者・首相の暗殺・ピータールー事件など

To Henry Hunt, Esq., as chairman of the meeting assembled in St. Peter’s Field, Manchester, sixteenth day of August, 1819

社会全体は、政治と経済の面でおおきな変動があり、国内情勢は不安定でした。機械化による産業革命で職を失った労働者が機械を破壊(ラッダイト運動 c.1811-1817)したり、首相が暗殺されたり(1812)、軍が民衆を虐殺してしまうピータールー事件(1819)や、民衆による内閣メンバ殺害の計画(1820)もありました。

海外の大事件

フランス革命戦争 & ナポレオン戦争

The French Empire in 1812 at its greatest extent

18世紀末に起こったフランス革命で、フランスの王侯貴族がギロチン台に送られました。ヨーロッパ各国の支配者層は震撼し民衆を恐れました。

1792年4月「フランス革命戦争(1792-1802)」が始まります。翌年にフランス国王ルイ16世が処刑されたのを契機として、イギリスを中心に「対仏大同盟」が結ばれ、ヨーロッパの君主国が参戦しました。

ナポレオンが主導権を握ってから再開された戦争は「ナポレオン戦争(1803-1815)」として呼び分けられています。

1802年に『アミアンの和約』が結ばれて一時休戦となりました。この間に、フランス軍から台頭したナポレオンがクーデターを起こして統領となり(1799年11月)、さらに1804年に皇帝として即位しました。

この戦争は国内外の商取引や政治に影響をあたえました。戦地となった大陸は荒廃しましたし、戦地にこそならなかったイギリスでも、人々は戦争に出た父、夫、息子、兄弟、叔父を亡くしました。

英雄

海軍の英雄ではネルソン提督、陸軍の英雄ではウェリントン公爵が有名です。

ネルソン提督

ネルソンは、1798年のナイルの海戦に勝利してナポレオンの計画をくじきました。さらに1805年のトラファルガーの戦いを勝利に導いてフランス軍の侵攻を食い止めるのですが、自身はこの戦いで命を落としました。

Admiral Horatio Nelson, 1799 portrait by Lemuel Francis Abbott (C)

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ウェリントン公爵

ウェリントン公爵はイベリア半島戦争での対フランス戦で活躍したのち、1815年のワーテルローの戦いでナポレオンを打ち負かし、長生きして首相も務めました。

Portrait of Arthur Wellesley, 1st Duke of Wellington (C)

ネルソン提督もウェリントン公爵も、上流階級の生まれですが当初は爵位がなく、戦勝の功績によってこれを授かり貴族に叙せられました。

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イギリスの正式名称

The United Kingdom of Great Britain and Ireland was a sovereign state that existed between 1801 and 1922.

当時のイギリスの正式名は、1707年から1801年までが「グレートブリテン王国(Kingdom of Great Britain)」で、1801年から1922年は「グレートブリテン及びアイルランド連合王国(United Kingdom of Great Britain and Ireland) 」です。

「グレートブリテン王国」は、イングランド(ウェールズを含む)とスコットランドが合体してひとつになった王国です。ここにアイルランドを併合して「グレートブリテン及びアイルランド連合王国」となりました。

アイルランドの併合については現代にいたるまで問題を残していますが、ここでは割愛します(が『麦の穂を揺らす風』という映画は、理解が深まるのでおすすめしたいです)。なお、当たり前のようにイングランドに含まれてしまっているウェールズについては、中世後期のイングランド王エドワード1世による征服まで歴史をさかのぼります。


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