Rudolph Ackermann
ルドルフ・アッカーマン

生誕 | 1764年4月20日 Schneeberg, Electorate of Saxony |
死没 | 1834年3月30日 Finchley, London |
父 | 馬具作り職人 |
母 | |
職業/奉仕 | 馬具修理・馬車設計、書店・出版事業、発明者、リトグラファー(印刷技術) |
所属/支持 | 反ナポレオン |
功績 | アッカーマン・ジャントー機構を用いた馬車の設計、19世紀の刊行物 |
馬車の設計者として
ドイツ出身、ロンドンのロングエーカーで身をおこす
ルドルフ・アッカーマンは、馬具修理や馬車作りを行いながらドイツ~フランスの都市を転々とし、1787年23歳でイギリスのロンドンに落ち着きました。コヴェントガーデン(Covent Garden)近くのロングエーカー(Long Acre)という通りで身を起こします。ロングエーカーはロンドンの馬車作りの中心地でした。
馬車デザイナーとして名をあげる
ルドルフ・アッカーマンはビジネスとデザインの才能を発揮します。アイルランド貴族院の議長であったクレア初代伯爵ジョン・フィッツギボン(John FitzGibbon, 1st Earl of Clare)の儀式用馬車の製造を、200ポンドで契約することに成功しました。さらに「The Royal Sailor」という8輪馬車をデザインしました。この馬車は Charing Cross ~ Greenwich ~ Woolwich を走行しました。
アッカーマンは「アッカーマン・ジャントー機構」の特許を取得しました(発明者は Georg Lankensperger 1817)。この仕組みは、カーブを曲がる際に内側の車輪と外側の車輪が必要とする角度の違いの問題を解決します。アッカーマンはこれを用いた馬車を設計しました(1818)。
Little Russell Street に住んでいた1791年、アッカーマンは「Imitations of Drawings of Fashionable Carriages(ファッショナブルな馬車の模倣図面)」という本を出版しています。
出版事業での功績
アッカーマンは1795年に 69-Strand で印刷所とドローイングスクールを開設します。平版印刷機を導入し、印刷物の取引を始めました。その後、風景画やミニチュア画のための絵の具やカートン紙の製造も始めました。3年足らずで敷地が手狭になったため 101-Starand へ移ります。
摂政時代のファッションや家具の流行がわかる本
1797年から1800年にかけて、アッカーマンは多彩な芸術家や版画家を集めました。1809年~1829年には40巻にわたる「Repository of arts, literature, commerce, manufactures, fashions, and politics」を出版します。摂政 / リージェンシー 時代のファッションや家具の流行の変化が、挿絵付きで文書化されています。
『Repository of arts, literature, commerce, manufactures, fashions, and politics』
以下のリンクから全巻、または挿絵を閲覧できます!
全巻アーカイブ:INTERNET ARCHIVE
装い:fashion plates
家具:furnishings
景観:Select Views of London
その他:Ackermann’s Repository of Arts
アッカーマンはこのほか「Poetical Magazine」「The English Dance of Death」「Forget-Me-Not」「The Microcosm of London」「Westminster Abbey」「The Rhine」「The Seine」「The World in Miniature」などを出版しました。
アッカーマンの国際的な出版手法とネットワークは、現代の出版の在り方の先駆けともいわれます。彼がロンドンで始めたビジネスは、その後継者によって19世紀を通じて栄えました。
反ナポレオン印刷物
ナポレオン戦争のあいだ、アッカーマンは反ナポレオン姿勢の印刷物や、軍事マニュアルによって、イギリス政府のプロパガンダに多大な貢献をしました。1809年3月に、イギリスに帰化しています。
参考
Rudolph Ackermann
Ackermann steering geometry
INTERNET ARCHIVE
リトグラフ