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プロイセン VS ハプスブルグ
1756年から1763年まで続いた七年戦争( Seven Years’ War )は、オーストリア継承戦争がのこした未解決の問題から生じました。まず勢力を伸ばしたいプロイセンと、失地( Silesia )の回復を求めるオーストリアが衝突します。それぞれをイギリスとフランスが援護して、両大国の覇権争いに発展します。
イギリス VS フランス
イギリス&ハノーファーはプロイセンを援護しました。ハノーファーはかつてプロイセンの競合相手でしたが、いまやその領主はイギリスの国王です。対するオーストリアは、過去数世紀にわたる宿敵であったフランスと結び、これにザクセン、スウェーデン、ロシアが加わります。スペインは1762年に公式にフランス側につきましたが、ポルトガル侵攻に失敗します。ポルトガルはイギリス側についていました。北アメリカとカリブ海でもイギリスは、フランスおよびスペインと植民地を争って陸海の大規模な戦争になりました。
勝利したイギリス、植民地帝国へ
勝利したのはイギリス側の同盟軍です。イギリスは世界的な植民地大国となり、さらなる飛躍をとげました。フランスにはかつてのような勢いはなくなり、つぎなる覇権の拡大はフランス革命後のナポレオンの台頭を待つことになります。プロシアはドイツ(神聖ローマ帝国)でオーストリアをしのぐ勢力を得て、列強としての地位を確実なものにしました。
参考
Seven Years’ War
History of Britain and Ireland: The Definitive Visual Guide