18世紀の間に、主要な道の多くの区間が有料化され、収入は道路の修理や拡張にあてられました。道のコンディションが良くなったおかげで、馬車の移動スピードも向上しました。
乗合馬車のスピード比較
18世紀の後半、道路のコンディションは飛躍的に良くなりました。1760年から1780年までのあいだに、有料道路(turnpike road / toll toad)の網は、その全長が 8,000キロメートル から 40,000キロメートル にまで伸びました。
有料化によって道路のコンディションが良くなったり、馬車の造りが改善された影響で、馬車の移動スピードも向上しました。以下、スピードの比較例です。
ステージコーチ(stagecoaches)のスピード
- 1750年代…時速 8 Km
- 1790年代…時速 11 Km
18世紀末のスピード
- ロンドン(London)⇔ブリストル(Bristol)…時速 13 Km、道路状況と天候等の好条件がそろった時にメールコーチ(mail coach)が所要1日で到着したとの記録あり
- ロンドン(London)⇔バーミンガム(Birmingham)…時速 24 Km
1836年のロンドン⇔リバプール便
- 19時30分発⇒翌16:50分着…途中の停車駅や馬のつなぎかえを含んで時速16㎞
ちなみに、1789年にフランスで起きた大事件『バスティーユ陥落』のニュースがフランス全土に広まった速度は、時速 6 Km だったそうです。
乗合馬車の走行距離が延び、本数も増える
1754年、マンチェスターの新聞に次のような広告が掲載されました。
however incredible it may appear, this coach will actually arrive in London four days after leaving Manchester
信じがたいことでしょうが、この馬車はマンチェスターを出発してから 4日 でロンドンに到着します、本当です
すこしづつ、乗合馬車の走行距離も伸びはじめました。1760年には、ロンドンからファルマス(Falmouth)までの運行がはじまります。
1780年代からは本数も増えはじめました。夏のレジャーシーズンは週に16本の馬車が、ロンドンからバース(Bath)まで運行されたそうです。
ジョン・ウェズリーの布教の旅
ジョン・ウェズリー(John Wesley 1703 – 1791)はメソジスト派の創始者のひとりです。彼が布教のためにイギリスじゅうを広範囲に旅することができたのも、その人生の後半から、道路のコンディションが飛躍的によくなったため、と言うことができます。
馬車造りの素材の変化
馬車のスピードの向上は、馬車そのものの構造が良くなったことも関係しています。サスペンションが、皮革のストラップから鉄とスチールをつかった”バネ”に変わりました。
たくさんの「馬」も必要
スピードの速い馬車は、より多くの「馬」を必要とします。6日間で 320Km を移動するステージコーチの場合は合計18頭の馬で足りますが、この距離を2日間で移動する場合には70頭の馬が必要でした。
参考
A Brief History of Britain 1660 – 1851: The Making of the Nation
Key dates in Land, Road, Building Great Britain 1200 – 1899