17世紀の陸路

17世紀の陸路

陸路が舗装され始めるのは18世紀です。17世紀のイギリスを移動するのは容易なことではありませんでした。それでも農作物は市場まで運ばれなくてはなりません。穀物類は馬に積んだり馬に荷車を引かせて運び、生きている家畜の場合はドローバー(drover)が引き連れて街まで移動させました。

イギリス17世紀の陸路

地方から地方への運搬もロンドンを経由、荷馬車はマンチェスターまで所要5日間

ドローバーの道も、荷馬車のルートも、ロンドンに続いていました。地方から地方への移動も、たいていはロンドンを経由しました。地方から地方へダイレクトに移動するには道が粗末すぎて困難だったからです。商品は、ヨークシャー(Yorkshire)やスコットランド(Scotland)やウェールズ(Wales)など遠いところからも、いったんロンドン(London)まで運ばれ、そこからさらに各地へ運ばれました。

1690年代には毎週約350本の荷馬や荷馬車が、ロンドンを出発していました。1700年代に入る頃には、この数字は85本ほど増えて毎週約435本になりました。

荷物の運搬にかかる日数は、エクセター(Exeter)やマンチェスター(Manchester)あるいはニューカッスル(Newcastle)まで、およそ5日間でした。

By Hywel Williams, CC BY-SA 2.0

1690年代に地方からロンドンまで運ばれた家畜の数(1年あたり)

  • 牛…8.75万頭
  • 羊…60万頭
  • 豚…15万頭
  • 七面鳥…数百万羽

有料道路の登場

運営は民間に信託、道路には通行料が課されて修繕費に

道路の修理は、一般的には個々の小教区の責任でした。このため道路が修理されずに放置されることがしばしばありました。道路は穴だらけで、なかにはとても深い穴に水がたまっていることもあり、足がずぶ濡れになることも珍しくありませんでした。

1663年、主要道路の一部※1の修繕計画が議会を通過しました。道路に通行料を課して修繕の費用にあてるのです。有料道路の登場です。運営は、民間に信託されました。

※1主要道路の一部…グレートノースロード(Great North Road)のハートフォード(Hertford)からハンディントン(Huntingdon)まで

このような有料道路は「ターンパイク(turnpike)」と呼ばれるようになります。「回転する槍」のような意味で、そもそもは「騎馬兵の攻撃から地域を守るために設けられたバリア」を指した言葉のようです。これが転じて、料金所に設置されたゲートを指す言葉となり、現代にいたってはアメリカ英語で「有料道路」そのもの指す言葉になったようです。(ちなみにイギリスでは有料道路を toll road と言います。)

The term “turnpike” originates from the similarity of the gate used to control access to the road, to the barriers once used to defend against attack by cavalry.

さて、料金を支払うと”ターンパイク”が開けられました。形は開閉する柵のようなもので、感覚的には現代の有料道路に設置されたバーのような感じでしょうか。

18世紀末~19世紀初頭のターンパイク
Tottenham Court Road Turnpike, about 1800
18世紀~19世紀の陸路
18世紀~19世紀の陸路
これまでの穴だらけ泥だらけの道に比べて、修繕された有料道路は快適でした。旅人や商人は「有料」の「価値」を認めはじめました。 道路のコンディションがよくなると、.....

参考
A Brief History of Britain 1660 – 1851: The Making of the Nation
drover
United Kingdom turnpikes