「ジェンキンスの耳の戦争」でウォルポール首相が失脚

「ジェンキンスの耳の戦争」でウォルポール首相が失脚

ジェンキンスの耳の戦争

ジェンキンスの耳の戦争( War of Jenkins’ Ear )は、1739年~1748年にかけてのイギリスとスペインの対立です。主戦地域は南アメリカのニューグラナダ( New Granada )とカリブ海の西インド諸島( West Indies )です。

戦争の名前は、イングランドの商船長ロバート・ジェンキンス( Robert Jenkins )の耳がスペイン兵に切断されたという事件に由来します。開戦の8年前の出来事ですが、反スペイン感情をあおる目的で、野党の政治家や南海会社( South Sea Company )が持ち出したことから戦争の名前にまでなりました。

Trade map of the West Indies and North America during the war, 1741

野党や南海会社のもくろみは、奴隷貿易における有利な契約を得るためにスペインに圧力をかけることでした。また同時に国内においては、商業紛争を国家間の戦争に発展させることによって、首相ロバート・ウォルポールの失脚を望んでいたとも言われます。軍事紛争を回避できず、また望まれたように力強く推し進めることも出来ず、ウォルポールは1742年2月に辞任します。

1742年以降、この戦争はより大きな「オーストリア継承戦争( War of the Austrian Succession )」に包含されることになり、1748年のアーヘンの和約( Treaty of Aix-la-Chapelle )を待つことになります。

イギリス最初の首相ロバート・ウォルポール

ジョージ2世が戴冠した1727年、ジョージ2世とロバート・ウォルポール( Robert Walpole )の仲は悪くなっていました。しかしすでにウォルポールの立場は強く影響力はとても大きく、国王が非難できるものではなくなっていました。関係は修復され、ジョージ2世はウォルポールに 10 down street ( 10 Downing Street )を贈りました。しかしウォルポールはこれを私有物としてではなく「公式の首相官邸としてのみ受け取る」としました。

ウォルポールは事実上、イギリス最初の「首相」であるとされています。ただし実は、首相( prime minister )という言葉は当時はまだ確立しておらず、20世紀を待つ必要があります。また現在の首相とは異なる点がおおくあります。たとえば、首相は議会によってではなく国王によって指名されました。また彼の内閣を選ぶのも、首相よりもむしろ国王でした。職務や役目もまだあいまいです。

Walpole by Jean-Baptiste van Loo, 1740

参考
War of Jenkins’ Ear
History of Britain and Ireland: The Definitive Visual Guide