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エゼルレッド(Æthelred the Unready)
治世 | 978 – 1013 (34年~35年) 1014 – 1016 (2年81日) |
継承権 | エドガーの息子 |
生没 | c.966 – 1016 (48歳) |
家系 | ウェセックス家(house of Wesex) |
父母 | Edgar, King of England & Ælfthryth |
結婚 | Ælfgifu of York / Emma of Normandy |
子供 | Æthelstan / Ecgberht / Edmund, King of England / Eadred / Eadwig / Edgar / Eadgyth / Ælfgifu /Wulfhilda / Edward, King of England / Alfred / Goda, Countess of Boulogne |
埋葬 | Old St Paul’s Cathedral, London(消滅) |
年表
978 | 先王エドワードが暗殺され、異母弟のエゼルレッドがイングランド王位に就く |
980 | デーン人が襲撃を再開:チェスターとサウザンプトンが襲撃される |
986 | 北欧のスウェンが、父であるデンマークおよびノルウェー王を廃位し同王位に就く |
991 | モルドンの戦い(Battle of Maldon):エセックス伯ビュルフトヌス(Byrhtnoth) が、侵攻してきたデーン人に破れる エゼルレッドが10,000ポンドの銀(Danegeld)をデーン人に支払って解決 |
992 | エゼルレッドとノルマンディ公リシャール1世(Duke Richard I of Normandy)の休戦 |
994 | スウェン1世が率いるデーン人と、オラフ(Olaf Trygvesson)率いるノルウェー人がテムズ川をのぼってロンドンを包囲:エゼルレッドが金で片付ける |
1002 | エゼルレッドが、イングランド内に住むデーン人の虐殺を命じる 妃を亡くしたエゼルレッドが、ノルマンディのエマと再婚 |
1012 | デーン人がケントに来襲し、カンタベリー大聖堂を焼き払い、司教(Alphege)を殺害 |
1013 | デンマーク王スウェン1世がイングランドに上陸しイングランド王位を奪取 エゼルレッドはフランスのノルマンディに亡命 |
1014 | スウェン死去 エゼルレッドが亡命先から呼び戻される |
1015 | デンマークおよびノルウェー王のクヌートがイングランドに侵攻 |
おもなできごと
エゼルレッドは先々王エドガーの息子で、暗殺された先王エドワードの異母弟です。即位したのは10歳のときでした。
イングランドはたびたび北欧人から侵攻を受けますが、エゼルレッドは筋の通った抵抗を示さず、事態をお金で片付けました。そのいっぽうでイングランド内に暮らしていた北欧人を虐殺することで恨みを晴らします。
エゼルレッドのニックネームは「unready(準備不足)」として定着していますが、じつは古英語では「un raed」と綴られており、意味は「賢明ではない」だそうです。
1013年、デンマーク王スウェン1世がイングランドに侵攻しました。エゼルレッドは妃の実家であるフランスのノルマンディに亡命します。デンマーク王スウェン1世はイングランド王位を請求しました。
同年のクリスマスに、リンカンシャーのゲインズボロー(Gainsborough, Lincolnshire)でスウェンの即位が宣言されます。しかし5週間後に、スウェンは亡くなりました。
エゼルレッドは亡命先から呼び戻され、ふたたび王位に就きますが、ここに攻め入ってきたのがスウェンの息子クヌート(Cnut)でした。エゼルレッドは戦いに破れ、その後まもなく死亡します。
参考
Æthelred the Unready
Kings and Queens of England & Britain
Aethelred II
Aethelred II the Unready