アングロサクソン人の社会

アングロサクソン人の社会

ノルマンコンクエスト(1066)が起こる前のイングランドは、アングロサクソン人が統治する王国でした。

  関連リンク   アングロサクソン七王国:バイキングの侵攻とウェセックス王国の台頭(9世紀)

アングロサクソン時代の初期、イングランドの土地のほとんどは森でした。人口も少なく、総じて100万人ほどだったと推測されています。ひとびとは小さな村に暮らしていました。ほとんどの村は100人未満の人口でした。それぞれ村単位で自給自足の生活をし、衣食をまかないました(塩と鉄だけは外部から入手しました)。

しかし11世紀に入る頃には、状況は変わっていました。ほとんどの人はまだ田舎に暮らしていましたが、人口の10%が町に暮らすようになっていました。おおくの新しい町が築かれ、交易が栄えました。地方単位で統治が行き届く政治システムも確立されました。

イングランドの地名には、アングロサクソン時代の名称のなごりが数多く残っています。

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ピラミッド型の身分制社会

ひとの人生は、社会的身分によって変わりました。ピラミッドの頂点に近いほど裕福かつ権力があります。下層ほど貧しく、自身の人生さえも自由にならないことがありました。

しかし異なる社会的身分へ転身できる場合がありました。たとえば奴隷身分から解放されて自由身分の農民になるなどです。とはいえ、生まれた時とおなじ身分のまま生涯を終えることがほとんどでした。

領主 / 君主(lord)

食料、土地、保護を与えている者は皆、領主 / 君主(lord)です。領主に食料、土地、保護を依存している者たちは、その領主のために戦うか、あるいは労働力を提供しました。

Anglo-Saxon Society | GCSE History Revision | Anglo-Saxon & Norman England

King
国王

9世紀以来、イングランドはひとりの国王によって治められる統一された国でした。イングランド社会のなかで最高権力を握るのが国王です。

Earl / Ealdorman
エール(伯爵)

国王以下の支配階級のなかでもっとも高い位にあるのがエール(伯爵)です。国王から領土を与えられ、ここから利益を得るかわりに、領土を統治する義務を負っていました。

※伯爵…その他の身分(公爵、侯爵、子爵、男爵)が制定されるのは後世

Thegns
セイン(従士)

支配階級のなかで下位にあるのが従士です。国王もしくは伯爵から領土を与えられました。

Peasants and slaves
農民と奴隷

人口の最も高い割合を占めたのが農民です。土地を貸し与えられ、農民は自分と領主のために田畑を耕しました。奴隷身分の農民もいました。奴隷は人身売買されました。

身分をさらに細分すると…

  • 王家
  • 貴族
  • 従士
    • シェリフ 高官…High-reeve
    • シェリフ …Reeve (bailiff)
    • セイン / 従士 …Thegn/housecarl (retainer)
  • 農民
    • 自由農民 …Churl (free tenant)
    • 従属農民 …Villein (serf)
    • 奴隷 …Þēow (slave)

洗練された統治システム

シャイア(州 / shires)

イングランドの土地は、シャイア(州 / shires)と呼ばれる単位に区分けされていました。シャイアごとにシェリフ(shire-reeve / sheriff)が置かれ、シェリフが管轄区域の統治にあたりました。シェリフを務めたのはたいてい従士身分の人物でした。エール(ealdorman)は複数のシャイアを統轄しました。

シャイアのなごり

シャイアはアルフレド王(871-899)の時代にも見られ、エドガー王(959-975)の治世のころまでに確立していました。ノルマンコンクエストよりのちは、フランス語の類義語カウンティ(county)が導入され、シャイアに取って代わりました。「カウンティ」が公式となったものの、「シャイア」という言葉もすたれることなく使われつづけ、公式の記録物にも用いられることがありました。また「シャイア」の名残りは、現在も多くの地名にみることができます。たとえばチェシャー(Cheshire)、ハンプシャー(Hampshire)、ウォリックシャー(Warwickshire)などです。

法と秩序の施行

エールおよびシェリフは、管轄の人びとに法と秩序を順守させました。土地争いの解決や犯罪の審判などが、シャイア法廷(Shire courts)で行われました。シェリフはここで議長をつとめました。

双方監視制度

アングロサクソン時代の社会には、10の家族がひとくくりになって互いに言動を監視をするシステムがありました。12歳以上の男性がこのグループのメンバーとなります。
グループのリーダーは「tithing-man」とよばれます。グループ内に犯罪のないように監督する責任がありました。

さらに10家族を10組束ねてハンドレッズ(Hundreds)と呼び、巡査役を選出しました。

10家族 ⇒ tithing
10家族(tithing)×10 ⇒Hundreds

ひとつのシャイアに複数のハンドレッズが存在しました。

税金の徴収

エールとシェリフはまた、税金の徴収を徹底しました。アングロサクソン時代のイングランドの徴税システムは、洗練され組織化されていました。シャイアごとに税額は異なり、これは土地の価値に基づいていました。なお、税は金銭で納められました。

通貨

通貨の価値と質は、国王が調整しました。造幣所は各地にありましたが、規格化された貨幣を鋳造していました。この通貨管理のシステムは、当時のヨーロッパでもっとも洗練されていたと言われています。

戦争

国王が戦闘部隊を招集したとき、これに応えるのがエールなど上流階級の役目でした。エールは戦隊を組織し、これを率いて戦地に赴きました。

アングロサクソン時代のイングランドは、常に命の危険と隣り合わせです。7世から11世紀にかけてはバイキングの侵攻がありました。また隣国との戦いも頻繁に生じました。

暮らし

食べ物

当時のひとびとは、穀物を挽いてパンを焼き、ミルクからバターやチーズを作りました。砂糖のない時代なのでハチミツはとても大切でした。どの村でも養蜂をおこなっていました。肉は贅沢品でしたので、頻繁に食べることができたのは上流階級のひとびとだけです。貧しい人々にとっては、卵がたんぱく源でした。鶏だけでなく、アヒルやガチョウや野鳥の卵もたべました。

飲み物は、ビールのほかミード(mead)がありました。ミードはハチミツを発酵させてつくります。上流階級のひとびとは、ときどきワインも口にしました。

村の暮らし

アングロサクソン時代の村を再現した施設

イングランド東部、サフォークのウェスト・ストー(West Stow)に、アングロサクソン時代の村を再現した博物施設があります。この施設が、当時の暮らしを再現したビデオを公開しているので紹介しておきます。

West Stow Anglo-Saxon Village introductory video full version

ウェスト・ストー アングロサクソン村について

公式サイト:
West Stow Anglo Saxon Village Museum

所在地:
West Stow Anglo Saxon Village

男性優位の社会

アングロサクソンの法律では、女性も領土や資産を所有したり、相続したり、売ることが認められていました。夫婦が離婚した場合、女性は資産の半分を得る権利および、子供がいる場合は親権も得ることができました。

そうはいっても、女性の権利と自由は男性よりも制限されていました。女性の人生は、多くのことがらにおいて、身内の男性によって決めらることが一般的でした。

中世の人びとを知るために当時の書物をひもといても、書かれている人物はたいていは男性です。権力者に焦点をあてた文書がほとんどですが、権力者はたいてい男性だったからです。このため女性の暮らしや人生を知ることは難しい状況です。


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参考
GCSE History OCR B
A Brief History of Life in the Middle Ages
shires
LIFE IN ANGLO-SAXON ENGLAND
Life in towns and villages

500年~1000年頃のアングロサクソンの装い(19世紀画)
出典 Wikimedia Commons
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