アゼルスタン(Æthelstan)

アゼルスタン(Æthelstan)
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アゼルスタン(Æthelstan

アゼルスタン
出典 Wikimedia Commons
治世924年 – 939年 (14-15年)
継承権エドワード長兄王の息子
生没c.894年 – 939年 (45歳)
家系ウェセックス家(house of Wesex
父母Edward the Elder & Ecgwynn
結婚
子供
埋葬Malmesbury Abbey, Malmesbury, Wiltshire
アゼルスタン(924 – 939)

おもなできごと

アゼルスタンは、エドワード長兄王の息子で、アルフレッド大王の孫にあたります。

アゼルスタンの王位継承を支持したのは主にマーシアの人びとでした。ウェセックスの人びとは、アゼルスタンの異母兄弟にあたるエルフウェルド(Ælfweard of Wessex)を支持していました。しかしエルフウェルドは父王の死後3-4週間のちに亡くなったため、アゼルスタンはマーシアとウェセックスの両域に君臨することができました。

アゼルスタンはアルフレッド大王が築いた法整備を強化し、また敬虔なクリスチャンとして教会を築きました。イングランドのみならずヨーロッパの政治動向にも興味をもち、姉妹を有力者に嫁がせるなどして、関係を築きました。

アゼルスタンは軍人としても優秀でした。アゼルスタンは937年の「ブルナンブルの戦い(Battle of Brunanburh)」に勝利してイングランドの領域を広げました。この戦いは「かつてないほどの血みどろの戦い」として語り継がれました。アゼルスタンは、スコット人、ケルト人、デーン人およびバイキングからなる同盟軍を打ち負かし、「全ブリテンの王」を名乗りました。

この戦いを通じて、かつてのアングロサクソン諸王国はイングランドというひとつの国家としてまとまるようになりました。アゼルスタンの支配域は、現在イングランドして知られる地域にほぼ等しいものとなりました。(ケルト人の王国コーンウォールを除く)

アゼルスタンは939年10月27日に亡くなりました。埋葬地は、父王や兄弟と異なり、ウィルトシャーのマームズベリー修道院(Malmesbury Abbey)です。

アゼルスタンの死後はイングランド北部の支配の維持がむずかしくなり、続く2代の国王は再征服の試みに多くの時間を割くことになります。

地図

930年~940年頃のイギリスの主な地域
出典 Wikimedia Commons

年表

924アゼルスタンの即位
926アゼルスタンがノーザンブリアを併合
ウェールズの諸王、ストラスクライド、ピクト人、スコット人らを服従させる
926アゼルスタンが姉妹をヨークのバイキング王に嫁がせ、北部に影響力を得る
934アゼルスタンがスコットランドに侵攻
937ブルナンブルの戦い(アゼルスタンがスコット人、ケルト人、デーン人およびバイキングからなる同盟軍を打ち破る)
アゼルスタンが「全ブリテンの王」を名乗る
939アゼルスタンがグロスターで死去
アゼルスタン(924 – 939)

参考
Æthelstan
Kings and Queens of England & Britain
Athelstan
Athelstan

エルフウェルド(Ælfweard of Wessex)
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父王(エドワード長兄王)が没して間もなく、エルフウェルドもなくなりました。父王とおなじウィンチェスターに埋葬されたと『アングロサクソン年代記(Anglo-Sax.....
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