アングロサクソン時代の宗教
       

ノルマン人による征服(1066年)よりも以前から、イングランドではキリスト教が信仰されていました。教会は強い影響力をもっていました。

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初期…改宗と発展

サクソン人は異教徒だった

ブリテン島にやってきた初期のサクソン人は、自然を崇拝し複数の神々を信仰していました。このサクソン人の信仰については、詳しいことはわかっていません。

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サクソン人の宗教がどのようなものであったかは、ものや場所の名前に名残がみられるほか、発掘調査、そしてブリテン島のキリスト教僧侶ベーダなどが記した書からうかがい知ることができます。ベーダが記したその神々の特徴から、ギリシャ・ローマ神話との類似が見いだせるそうです。

曜日の語源はサクソン人の神々

英語で火曜日~金曜日は、Tuesday、Wednesday、Thursday、Friday と言いますが、これらは、サクソン人の神々の名前を語源としています。

Tuesday ← Tiw (Tiwesdæg)
Wednesday ← Woden (Wodnesdæg)
Thursday ← Thor (Ðunresdæg)
Friday ← Freya (Frigedæg)

なお、月曜 Monday と日曜 Sunday は古北欧語、土曜 Saturday はローマの神を語源としています。

ブリテン島のキリスト教

キリスト教がブリテン島に伝わったのはローマ時代(AD43-410)です。ブリテン島で最初の聖人は303年頃に殉教したとされるアルバン(Alban)です。

ローマの支配が陰り始めると、英語を話す異教徒がブリテン島の南部~西部を陣取るようになります。しかしローマ・キリスト教の信仰は消失せず、先住のひとびとの間で残りつづけました。

南西生まれの聖パトリック(St Patrick)や「ブリテンの没落(Ruin of Britain)」を記したギルダス(Gildas)などが有名です。ギルダスは「ブリテン人の敗北は、君主たちが信仰をおろそかにしたために受けた神の罰」だと捉えていたようです。

アングロサクソン人の改宗

アングロサクソン人の君主たちがキリスト教への改宗をはじめたのは6世紀頃です。この改宗の過程はベーダ(Bede)の「イングランド教会史(Ecclesiastical History of the English People)」にも記されています。

教皇グレゴリウス1世(Pope Gregory I)がアングロサクソン人の諸王国に宣教師を派遣しました。アウグスティヌス(Augustine)が率いる一行は597年にケント王国に到着し、国王エゼルベルト(Æthelberht)とその臣下を改宗させ、カンタベリー(Canterbury)に教会を建てました。

アイルランドからの宣教師もアングロサクソン人の改宗に一役買いました。635年、ノーザンブリアの国王オズワルド(Oswald)はアイルランド系の僧侶エイダン(Aidanを招き入れて司教としました。エイダンは、国王の拠点バンボロー(Bamburgh)からほど近いリンディスファーン島(Lindisfarne)に修道院を建てました。

※エイダン…ノーザンブリアに来る前はスコットランド沖の島アイオナの修道院を拠点としていた僧侶。この修道院は、アイルランドの僧侶コルンバによって設立されていた。

カンタベリーとヨーク

こんにちのイングランドにおけるキリスト教の2大中心地はカンタベリーとヨークです。これは異教徒だったアングロサクソン人への布教がはじまった場所がカンタベリーおよびヨークだったから、という歴史に由来しています。カンタベリーのアウグスティヌス(Augustine of Canterbury)がケント国王を改宗させ、ノーザンブリア王国ではエイダン(Aidan)という名の僧侶がリンディスファーンに修道院を建てました。

改宗の理由

アングロサクソン人にとってキリスト教に改宗する魅力はなんだったのでしょうか。いくつかの理由が考えられます。

  • ラテン語アルファベットでの読み書きの技術を統治システムに活かしたい。
  • ケント国王エゼルベルトの妃がフランスのパリ出身のキリスト教徒だった。このように、社会的政治的に関りのある諸外国がこぞってキリスト教だったので影響を受けた。

ケルト色を帯びたキリスト教

アイルランドから再伝搬されたキリスト教はケルト色を帯びています。このスタイルのよい例として「リンディスファーンの福音書(Lindisfarne Gospels)」や「オトコーパスの福音書(Otho-Corpus Gospels)」の装飾が挙げられます。

リンディスファーンの福音書の1ページ
出典 Wikimedia Commons

改宗の過程

しかし、アングロサクソン人のキリスト教への改宗は単純ではありませんでした。キリスト教を採用した国王が死亡した後、異教徒の人物が国王となるケースもありました。異教の習慣を保ったままキリスト教を採用する者もいました。ベーダが遺した記録によれば、7世紀のイーストアングリア国王レドヴァルド(Rædwald)の礼拝所にはキリスト教の祭壇に異教の偶像が混在していたそうです。

660年代にはカンタベリーに司教不在の5年間がありました。教会システムはまだ発展途上でした。7世紀末にカンタベリーの司教となったセオドア(Theodore)そして修道院長エイドリアン(Adrian)らによって、教会の構造が構築されてゆきました。

後期…支配者階級と教会の相互支援

9世紀、ブリテン諸島のキリスト教会はバイキングの襲撃に苦みました。イングランドでも多くの修道院が襲撃され破壊されましたが、10世紀の間に少しづつ回復しました。国王や上流階級のひとびとが、土地や高価な品物を寄進して教会の再建をサポートしました。

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教会の聖職者は読み書きができたので、俗世の権力者はさまざまな事柄の記録をとらせました。これは統治に欠かせない作業でした。

教会と支配階級の関係

国王や貴族は、教会に土地や貴重な品々を贈るだけでなく、攻撃や盗難からの防衛も手伝いました。これを「保護(patronage)」と呼びます。

お返しとして、聖職者は保護者のために祈りました。聖職者の祈りは、支配階級にとって重要な意味をもちました。祈りが成功や勝利をもたらすと信じられていたからです。

人びとは、支配者の成功には神の加護が必要だと信じていました。そして教会の支援とはすなわち「神がその支配者に味方している」と理解されました。

神の意思

教会と支配階級の関係は、双方にとって利のあるものでした。聖職者によって作成された絵や書などの史料から、支配階級と教会の関係が読み取れるケースがあります。たとえば、クヌート大王の戴冠を描いた絵を見ると、クヌート大王が天使によって戴冠されています。これは彼が王位に就くことが神の意思であることを示唆し、王位の正当性を印象付けています。この絵は、クヌートと親しいウィンチェスターの修道僧によって描かれました。

天使によって戴冠されるクヌート大王の姿(右)が描かれている
出典 Wikimedia Commons

上流階級の人々は、長男以下を教会にあずけて司祭になるための教育を受けさせることを望みました。次男以下を聖職に就けることは、家系の土地の継承争いを防ぐことにも役立ちました。

また上流階級のひとびとは、司教や修道院長や教区司祭の「任命権」を握ろうと試みました。これが叶えば、親族や親しい者を通して、その影響力を使うことができるからです。

庶民への教会の影響

アングロサクソン時代、イングランドは大教区(dioceses)と呼ばれる16のエリアに区分されていました。1066年までに、この区分はより小さな小教区(parishes)に細分されました。

小教区は地域社会をベースとして設けられ、町や村に教会が建てられました。キリスト教は庶民への影響力を強めました。それぞれの教会には司祭がおり、地元の人びとをみまもりました。

司祭は定期的な儀式を執り行い、洗礼式や葬式などで重要な役割を果たしました。また、ひとびとの懺悔をきいて罪の償いをたすけました。

950年~1035年頃の大教区
出典 Wikimedia Commons

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参考
The Celtic Influence
Christianity_in_Anglo-Saxon_England
Religion in the Anglo-Saxon Kingdoms

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アングロサクソン様式の教会
出典 Wikimedia Commons
       
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