エドワード4世
       

エドワード4世はヨーク家出身の最初の国王です。父リチャード( Richard, Duke of Yorkの意思をついで、ランカスター王家のヘンリー6世を廃して、王位につきました。

※父リチャードは1460年の「ウェイクフィールドの戦い( Battle of Wakefield )」の戦いで命を落とした。

ヘンリー6世が復位した時期(およそ半年間)があるため、エドワード4世の在位期間は1461~1470年と、1471年~1483年の2度に分かれています。

ヘンリー4世は戦士として、また将軍として、優れた人物でした。背が高くハンサムであったと云われてます。エリザベス・ウッドウィルという名の身分の低い貴族と結婚し、この妃の出身家系を優遇したため、既存の有力貴族の不満を買いました。

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エドワード4世

エドワード4世
出典 Wikimedia Commons
治世第一回:1461年3月4日-1470年10月3日(9年241日)
第二回:1471年4月11日-1483年4月9日(11年364日)
継承権父方の高祖父がエドワード3世(Edward III
王位簒奪
先王の親戚
生没1442年4月28日:場所
1483年4月9日(40歳):場所
家系プランタジネット家(Plantagenet
ヨーク系(York
父母Richard of YorkCecily Neville
結婚Elizabeth Woodville(1464年)
子供エリザベス(Elizabeth, Queen of England
Cecily, Viscountess Welles
エドワード(Edward V, King of England
Richard, Duke of York
Anne, Lady Howard
George, Duke of Bedford
Catherine, Countess of Devon
Arthur, Viscount Lisle(非嫡出)
ほか
埋葬St George’s Chapel
エドワード4世

年表

1461タウトンの戦い(Battle of Towton):ヨーク派が勝利
ヨーク公リチャード(既死)の息子エドワードが、ウォリック伯によって新国王(4世)と宣言される
1464ヘクサムの戦い(Battle of Hexham):ウォリック伯がランカスター派に勝利
1464エドワード4世がエリザベス・ウッドヴィルと結婚し、ウォリック伯が難色を示す
1469エッジコートの戦い( Edgecote ):ウォリック伯が寝返りエドワード4世に反乱
エドワード4世は亡命し、ランカスター王家ヘンリー6世が復位
1471バーネットの戦い( Battle of Barnet ):エドワード4世がフランダースからイングランドに戻り、ウォリック伯を討つ
1471テュークスベリーの戦い(Battle of Tewkesbury):妃マーガレット軍が破れ、王太子エドワードが落命(ランカスター王家)
1474エドワード4世、北ドイツのハンザ同盟都市にイングランドとの交易特権を与える
1476イングランドの商人ウィリアム・キャクストン(William Caxton)がウェストミンスターに印刷機を導入
1478クラレンス公爵ジョージが反逆罪に問われ有罪判決:ロンドン塔で処刑される
1483エドワード4世、亡くなる
エドワード4世の治世の年表

おもなできごと

ヨーク家出身の最初の国王(簒奪)

1461年の「モーティマズ・クロスの戦い( Mortimer’s Cross )」および「タウトンの戦い( Towton )」に勝利したエドワード4世は、ヘンリー6世を廃して王位を奪取することに成功しました。

ヨーク系とランカスター系、いずれもプランタジネット家

エドワード4世はヨーク家系から出た最初の国王です。先王ヘンリー6世はランカスター家系の国王でした。一見異なる家系のようですが、両家はいずれともプランタジネット家の分家であり、両王ともにエドワード3世(生没1312-1377)の血をひいています。なので広い意味ではプランタジネット家として総称されます。

なお、ランカスター家の始祖はランカスター公爵ジョン・オブ・ゴーント(生没1340-1399)で、ヨーク家の始祖はヨーク公爵エドマンド(生没1341-1402)です。いずれもエドワード3世の息子です。

エドワード4世の血統
出典 Wikipedia

エドワード4世の父は、ヨーク公爵リチャード(Richard, duke of York)です。ヨーク公リチャードは1460年に自身の王位を宣言しましたが、まもなく「ウェイクフィールドの戦い(battle at Wakefield)」で命を落としました。

このときエドワードは18歳でした。

問題となった結婚

フランス国王ルイ11世は、エドワード4世よりも先王ヘンリー6世を支持する立場をとっていました。そこで、エドワード4世とルイ11世の新同盟をとりつけるべく尽力していたのが、ウォリック伯です。エドワード4世とルイ11世の義妹の結婚をもって、この新同盟が成立する段取りとなっていました。

そんな折に、エドワード4世はイングランドの騎士の未亡人と秘密裏に結婚してしまったのです。ウォリック伯は、努力が報われないばかりか恥をかく結果にもなりました。

妃となった女性の名前はエリザベス・ウッドウィル( Elizabeth Woodville )です。結婚は1464年のことでした。

「キング・メーカー」ウォリック伯リチャード・ネヴィル

ウォリック伯リチャード・ネヴィル(Richard Neville)は、エドワード4世の従兄にあたります。ヨーク家を支持して戦い、エドワード4世の王位獲得のために大活躍した貴族です。エドワード4世が王位に就くと、活躍に見合った褒美を受けました。式部卿(グレートチェンバレン卿 / chamberlainship of England)に任じられたほか、様々な名誉と領地を与えられ、イングランドで2番目の有力貴族となっていました。しかし、徐々にエドワード4世との折り合いが悪くなってゆきます。

妃エリザベス・ウッドウィル

「エドワード4世の結婚」は強力な外交手段となり得るものでした。それにもかかわらず、エドワード4世が誰と結婚したかというと、それはイングランドの騎士の未亡人だったのです。名前をエリザベス・ウッドウィル(Elizabeth Woodville)といいます。この結婚は1464年5月に、秘密裏に行われました。世間に知れるのは4ヵ月後です。

エリザベス・ウッドウィルは、初代リヴァース伯爵(1st Lord Rivers)の娘で、騎士階級のジョン・グレイ(Sir John Grey)に嫁ぎました。しかし1461年のセントオールバンズの戦い( St Albans)で夫を失い、未亡人となりました。この頃にエドワード4世と知り合う機会があったようです。

この結婚には様々な噂が付きまといました。エドワード4世の重婚であったとか、エドワード4世は多くの女性と関係をもつためにその気もないのに「結婚」を約束したというものなどです。

※エレナー(Lady Eleanor Butler)という女性が、ウッドウィルよりも先に婚約していたとする話も後に浮上する。証拠は見つかっておらず、リチャード3世が噂に乗じて捏造した可能性が高いと考えられている。

エドワード4世は人気の高い国王でしたが、エリザベス・ウッドウィルとの結婚は、その評判に影をおとしました。また妃エリザベス自身は、成り上がり者と考えられ、不人気でした。

ここに生まれたエドワードとリチャードが、のちにロンドン塔に幽閉され消息を絶つことになる王子です( Princes in the Tower )。

ウォリック伯が寝返りエドワードは亡命

ウォリック伯は、エドワード4世を見限ることにしました。この決断に至った理由は、他には次のようなものがあります。

  • エドワード4世はフランス国王との同盟よりも、ブルゴーニュ公国との同盟を望み、ウォリック伯と意見が合わなかった(フランス王国とブルゴーニュ公国は対立関係)
  • 妃エリザベスの出身家系であるウッドウィル家が、国王から厚遇されはじめた
  • ウォリック伯家と王室メンバの結婚に、エドワード4世が反対
  • エドワード4世は実妹をブルゴーニュ公国に嫁がせた

ウォリック伯、王弟クレランス公爵を擁立しエドワード4世を捕縛

ウォリック伯と王弟クレランス公爵( George, Duke of Clarence )が、エドワード4世の廃位を目指して蜂起しました。

油断していたエドワード4世は、ノッティンガムで反乱軍に捕らえられてしまいます。国王の救援部隊が駆け付けますが敗北しました。しかし、エドワード4世を脱出させることには成功しました。

脱出したエドワード4世は、ウォリック伯の軍隊の数が多いことを知ります。ここでエドワード4世は、戦争を避けて、ふたたび自らウォリック伯に捕らえられるという賢明な戦略をとりました。

王弟クレランス公爵と結んでエドワード4世を捕縛したウォリック伯は、自らの名で政治を司ろうと試みますが、議会の中に支持者を得ることができませんでした。

政府が崩壊するにつれて、「君主を投獄した」としてウォリック伯への非難が高まり人気も低下しました。

ウォリック伯は、やむをえずエドワード4世を解放します。エドワード4世は、1469年の10月にロンドンにもどり、歓迎を受けました。

エドワード4世は、表向きには、反乱を指揮したウォリック伯および王弟ジョージと和解しました。しかしウォリック伯は、もはや自分が過去の栄光に返り咲くことができないことを認識していました。

ウォリック伯ランカスター側に寝返り、エドワードは亡命

ウォリック伯が威光をとりもどすために残された手段は、ルイ11世と先の王妃マーガレットに加わること、すなわち、ヘンリー6世の復位を支持してランカスター側に寝返ることでした。

1470年、ウォリック伯は、ふたたび反乱軍を編成して国王エドワード4世に攻撃をしかけました。

準備不足だったエドワード4世は、あっけなくブルゴーニュ公国のフランダース地方(Flanders)に亡命します。

エドワード4世が亡命しているあいだに、ウォリック伯はヘンリー6世の復位に成功しました。

エドワード4世の反撃と復位

しかし翌1471年3月、ブルゴーニュ公国の支援を得たエドワード4世が艦隊と軍隊を編成してイングランドに上陸しました。

「バーネットの戦い( Barnet )」および「テュークスベリーの戦い( Tewkesbury )」に勝利したエドワード4世は、国王に復位します。

ウォリック伯は、この戦いで命を落としました。

ルイ11世に催促されブルゴーニュを敵に回したウォリック伯の誤算

ウォリック伯を支援していたのはフランス国王ルイ11世です。ルイ11世の敵はブルゴーニュ公国でした。ヘンリー6世の復位が叶うとルイ11世は、ウォリック伯に対してブルゴーニュ公国へ宣戦布告して戦争に加わるよう催促しました。

ウォリック伯とルイ11世はそろって、ブルゴーニュ公国に宣戦布告します。

エドワード4世はブルゴーニュ公国に亡命していました。ブルゴーニュ公国のシャルルは、実のところ、イングランドの内戦にはあまり関わりたくありませんでした。しかし宣戦布告されたからには、エドワード4世の復位を支援せざるをえずをえません。エドワード4世に艦隊と軍隊を与えて送り出しました。

1471年3月11日、この軍を率いたエドワード4世がイングランドに上陸します。

エドワード4世は戦士として、また将軍として、優れた人物でした。数の上で劣っていたにもかかわらず「バーネットの戦い(battle of Barnet)」でウォリック伯の軍を打ち破ります。この戦いで、ウォリック伯とその弟(ネヴィル兄弟)は、ついに命を落としました。

その後まもなく、先王ヘンリー6世がロンドン塔で亡くなりました。ヘンリー6世を擁立しての反乱が二度と起こらないよう、エドワード4世が殺害を命じたとされています。しかし不穏な噂が広まるのを避けるために、自然死であるとして遺体が公開されました。

このあとエドワード4世は、フランスに侵攻を試みるものの、早い段階で和平条約を結ぶに至りました。これに不満をもった王弟ジョージが、もういちど反乱を起こします。今度は許されず、捕らえられて幽閉されました。「その後、マルヴァジアワインの樽で溺死させられた」という逸話がのこっています。

エドワード4世は1483年に40歳で急逝します。幼い息子エドワードが5世として王位を継ぐはずでしたが、王弟リチャードがリチャード3世として王位につく結果となります。

地図

当時のブルゴーニュ公国

赤線の内部がフランス王国
オレンジ/イエローがブルゴーニュ公国
(1477年)

ブルゴーニュ公国(ヴァロア=ブルゴーニュ)はフランス王家の分家として14世紀に始まりました。巧みな婚姻政策、買収、相続などにより、現在のベルギーとオランダ南部に相当する地域を獲得しました。しかし本国フランスとは敵対関係となります。シャルル突進公の戦死(1477)を受けて一人娘のマリーが領土を相続する際、本来のブルゴーニュ公領はフランスに接収されました。


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参考
Edward_IV_of_England
King Edward IV (1461 – 1483)
A Brief History of British Kings & Queens
物語イギリスの歴史(上)

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