エドワード長兄王(Edward the Elder)
       

エドワード長兄王はアングロサクソン時代の王のひとりです。父王アルフレッドを継いで「全アングロサクソン人の王」となり、デーン人(バイキング)が掌握していた地域を再征服しました。父王から継いだ国家の防衛策を強化し、当時のブリテン諸島で最強の国を築きました。

関連記事【歴代】イギリスの君主(国王・女王)一覧
抜粋文:このページでは、4ヶ国すべての君主※を掲載しています。知りたい国家および年代を、目次から選択してジャンプしてください。 ※「イギリス」は正式名称を「グレートブリ.....

Advertisement

エドワード長兄王(Edward the Elder

エドワード長兄王
出典 Wikimedia Commons
治世899年 – 924年 (24年266日)
継承権アルフレッドの息子
生没c.874年 – 924年 (50歳)
家系ウェセックス家(house of Wesex
父母Edgar, King of England & Ælfthryth
結婚Ecgwynn(893年頃) / Ælfflæd(900年頃) / Eadgifu of Kent(919年頃)
子供Æthelstan / Edith (?) / Ælfweard / Edwin / Eadgifu / Eadhild / Eadgyth / Edmund I Eadred, Eadburh ほか
埋葬New Minster, Winchester(のちに Hyde Abbey ただし1538年解体)
イングランド国王:エドワード長兄王(978 – 1013)

年表

900キングストンアポンテムズ(Kingston-upon-Thames)にてエドワード長兄王の戴冠
901エドワード長兄王が「全アングロサクソン人の王(King of the Angles and Saxons)」の称号を継承
902ホームの戦い(Battle of Holme
イーストアングリアを支配していたデーン人エリックが落命
910デーンロウの再征服はじまる
イングランドの襲撃を試みたバイキング軍がイングランド軍に破れる
913エドワード長兄王が、デーン人からエセックス(Essex)を奪還
916マーシア卿エセルフリーダ(エドワードの姉)がウェールズの大部分を征服
916バイキングがアイルランドのダブリン(Dublin)とウォーターフォード(Waterford)に入植
918マーシア卿エセルフリーダの死後、エドワード長兄王がマーシアの支配を兼ねる
920エドワードがデーン人からイーストアングリアを奪還
921ヨークのバイキング王ラグナル(Ragnall ua Ímair)がエドワードを上王と認める
923スコットランド王コンスタンティン2世がエドワードに服従
924対ウェールズ戦で軍を率いていたエドワードが落命
年表:イングランド国王エドワード長兄王(978 – 1013)

おもなできごと

エドワードは先王アルフレッドの長男ですが、王位継承権は保証されていませんでした。当時の社会では、王族のなかで強い者に同等の王位継承権があったからです。

父王アルフレッドはエドワードに王位を継承したいと考えていたため、存命中にさまざまな方法でエドワードをサポートしていました。対バイキング戦(Battle of Farnham)では、エドワードに軍の指揮も執らせていました。

父王アルフレッドが亡くなると、エドワードは、従兄弟エルウォルド(Æthelwold)との戦いに勝って即位しました。

教養

「アルフレッドの生涯(Life of King Alfred)」を記した同時代の歴史家アッサーが伝えるところによると、エドワードと末の妹は、アルフレッドの宮廷で学んだそうです。それぞれに教師がつきました。アングロサクソン社会において、王女が王子と同等の教育を受たことがわかる唯一の例だそうです。

エドワードは、南イングランドとミッドランドをデーン人から奪還します。デーン人の支配域はノーザンブリアのみに縮小されました。

またマーシア卿に嫁いでいた姉エセルフリーダ(Aethelflaed of Mercia)が亡くなったあと、エドワードはマーシアの支配も兼ねるようになりました。

スコットランド王コンスタンティン2世(Constantine II of Scotland)もエドワードを、「父にして君主」と認めた、と『アングロサクソン年代記』は伝えています。

924年、エドワードは対ウェールズ戦で軍を率いていたとき命を落とします。場所はチェスターの近く(Farndon, Cheshire)でした。 

エドワードは、先王アルフレッドが築いた要塞町を拡張しました。たとえば、ハートフォードやバッキンガム、ベッドフォードやスタンフォードなどです。

「長兄王」のニックネームの由来

アルフレッドの長男だから… ではなく、後世の歴史家がのちの同名の王エドワード殉教王(Edward the Martyr /r. 975 – 978)と区別するために付した呼称だそうです。

地図

910年頃のイングランドの領域とデーン人の領域
(Æthelred = Lord of the Mercians)
出典 Wikimedia Commons

Advertisement

参考
Edward the Elder
Kings and Queens of England & Britain
Edward the Elder
Edward the Elder

アルフレッド大王(Alfred the Great)
アルフレッド大王(Alfred the Great)
アルフレッドは849年頃、バークシャー(Berkshire)のワンテジ(Wantage)に生まれ、立派な教育を受けて育ちました。ローマへ訪れる機会も2度あったと.....
エルフウェルド(Ælfweard of Wessex)
エルフウェルド(Ælfweard of Wessex)
父王(エドワード長兄王)が没して間もなく、エルフウェルドもなくなりました。父王とおなじウィンチェスターに埋葬されたと『アングロサクソン年代記(Anglo-Sax.....
【歴代】イギリスの君主(国王・女王)一覧
【歴代】イギリスの君主(国王・女王)一覧
このページでは、4ヶ国すべての君主※を掲載しています。知りたい国家および年代を、目次から選択してジャンプしてください。 ※「イギリス」は正式名称を「グレートブリ.....
       
?>