エレノア・クロス:12の十字架(碑)

エレノア・クロス:12の十字架(碑)

1290年の巡幸中に亡くなった妃エレノアを悼んで、国王エドワード1世は12の十字架(碑)を建てました。このページにはその場所と写真とエピソード、関連施設を掲載しています。

Advertisement

エドワード1世とエレノア妃

1290年の巡幸中に亡くなった妃エレノアを悼んで、エドワード1世は12の碑を建てました。この12の碑は「エレノア・クロス(Eleanor cross)」と呼ばれています。

エドワード1世(治世:1272 – 1307)と妃エレノア(Eleanor of Castile)は、王侯貴族の政略結婚のなかで珍しく仲の良い夫婦でした。エレノアは結婚してから亡くなるまでの36年間、エドワード1世の多くの遠征や旅に付き添いました。

エドワード王子とエレノア王女の結婚

エレナー/エレノアはスペインのカスティーリャ出身です。イングランド国王エドワード1世の妃です。結婚したのは1254年、エドワードが15歳の王子で、エレノアは13歳の王女でした。

この結婚はイングランドとカスティーリャ間で結ばれた同盟の一環でした。当時プランタジネット家(イングランド王家)の領土だったガスコーニュ地方(現フランス西部)を守る目的と、両国そろって強国フランスに備える意味がありました。

12の十字架(碑)

1290年の晩秋にノッティンガムシャーのハービー(Harby, Nottinghamshire)で亡くなったエレノアの棺は、ウェストミンスター寺院(Westminster Abbey)まで運ばれました。この葬儀の列が宿泊した道中の12の地域に、碑(エレノア・クロス)がたてられました。

Map of Eleanor crosses
エレノア・クロスの位置
出典 Wikimedia Commons

次項で北から順にそれぞれのクロスの写真と所在地を紹介します。

数世紀の間に解体されたり損傷した碑も多く、建てられた地点が不明のものもあります。ほぼほぼ無傷で遺っているものにはタイトルに★マークを付しました。

なお、12の碑のなかでもっとも大きく、もっとも装飾されているのは、チャーリングクロス(Charing Cross)です。チャーリングクロスは19世紀に再建されたレプリカではありますが、ウェストミンスター寺院から近い場所に建っているので、ロンドン観光の機会があれば簡単に見ることができます。

エレノア・クロスの写真と所在地

1. Lincoln
リンカン

Lincoln Castle, the remains of the Eleanor Cross
リンカン城の敷地内に移動されたエレノア・クロス
出典 Wikimedia Commons

おおよその所在:Castle Hill, Lincoln LN1 3AA, United Kingdom
リンカンについて:Lincoln

リンカンのエレノア・クロスは、1292年に完成しました。当時の市壁の南側の外、聖キャサリン修道院に続く道に建てられました。この碑の断片が遺っており、現在はリンカン城で見ることができます。

葬列の旅路

  • エレノアの葬列は、エレノアが亡くなった翌日にハービー(Harby, Nottinghamshire)を出発
  • 約7マイルの道のりを進みリンカン(Lincoln)で夜を越す
  • ここで遺体に防腐処理がほどこされる(このとき取り除かれた臓器が、大聖堂に埋葬された)

リンカン城

およそ1000年前に、ウィリアム征服王によって着工された城です。ローマ時代に築かれた要塞の遺跡を利用してモット・アンド・ベイリー型の城を建てたのち、建材が石の置き換えられました。入城できます。

公式サイト:LINCOLN CASTLE

  関連リンク   ノルマンコンクエスト【城のはじまり】城のタイプと目的そして影響

2. Grantham 
グランサム

Grantham Market Cross
グランサム広場のエレノア・クロス
出典 Wikimedia Commons

おおよその所在:Conduit Ln, Grantham NG31 6PB, United Kingdom
グランサムについて:Grantham

グランサムのエレノア・クロスについては、建立の記録が残っていません。このため、誰がデザインし、どれほどの費用がかかったのかは不明です。(このように記録のない碑は、ほかにふたつあります。)

グランサムのエレノア・クロスは、エレノア没後4年目に建てられました。場所は聖ピーター礼拝堂に隣接する聖ピーターズヒル(St Peter’s Hill)でした。

しかし1645年にロッシター大佐(Edward Rossiter)の命令で破壊されてしまいます。英国で内戦が起こり(British Civil Wars)、反王政のクロムウェル(Oliver Cromwell)が台頭した時代です。

エレノア・クロスに使われていた石の一部は、どこかで保存されて、現在グランサムのマーケット広場(Market pl)に建っている十字架に組み込まれているそうです。また、エドワード1世とエレノア妃を彫った盾が、2015年に Guildhall Arts Centre の壁に飾られました。

葬列の旅路

  • リンカンを出発してグランサム(Grantham)で宿泊

3. Stamford 
スタンフォード

Stamford Modern Eleanor cross
スタンフォードのモダンなエレノア・クロス
出典 Wikimedia Commons

おおよその所在:Stamford, UK
スタンフォードについて:Stamford

スタンフォードのエレノア・クロスは、町の外の Casterton road に建てられました。葬列が町を去るときに通った道です。

これがいつ解体されたのかはさだかではありませんが、18世紀よりも以前であることは確かです。1745年、町の歴史に強い関心をもっていたウィリアム・ステュークリ(William Stukeley) は、エレノア・クロスの破片を入手して、庭に飾っていたそうです。

現在は、スタンフォード・シープ・マーケット(Stamford’s Sheep Market)にモダンなエレノア・クロスが建てられています。

葬列の旅路

  • 葬列は22マイルの距離をすすみ、スタンフォードに到着
  • エドワード1世と一行は城に宿泊
  • エレノアの遺体は城の礼拝堂もしくは、市内の教会に安置されたと考えられる

※城…現在は城跡の一部が遺るのみ(所在)。スタンフォード城はウィリアム征服王によって建てられたのが始まり。その後拡張されて12-13世紀に利用されたが14世紀半ばには朽ちかけ、リチャード3世(r. 1483-1485)の時代に解体されたのち石材は別の用途に使われた。詳細:Passionate about British Heritage!

4. Geddington ★ 
ゲディントン

Eleanor cross, Geddington
ゲディントンのエレノア・クロス
出典 Wikimedia Commons

おおよその所在:Bridge St, Geddington, Kettering NN14 1AD, United Kingdom
ゲディントンについて:Geddington

ゲディントンのエレノア・クロスは、12の碑のなかでもっともよい状態で遺っています。1295年までに完成していたと考えられています。このエレノア・クロスは5層から成っています。細部の写真はウェブページ THE GEDDINGTON CROSS で見ることができます。

葬列の旅路

  • 葬列はさらに19マイル進んで、12月6日水曜日にゲディントンに達する
  • この村には、王室の狩猟用ロッジがあった
  • エドワード1世とエレノア妃は狩猟が好きで、この村には数週間前の9月に滞在したばかりだった

5. Hardingstone ★ 
ハーディングストーン

Hardingstone Eleanor Cross.
ハーディングストーンのエレノア・クロス
出典 Wikimedia Commons

おおよその所在:280 London Rd, Northampton NN4 8AX, United Kingdom
ハーディングストーンについて:Hardingstone

ハーディングストーンのエレノア・クロスは、良い状態で現存しています。1291~92年に建てられ、費用は100ポンド以上でした。碑は5層から成り、「紋章」や「開いた本」などの装飾が施されています。3層目にはエレノア妃の像があります。4層目は十字架のための装飾された土台ですが、十字架そのものは壊れてなくなっています。

葬列の旅路

  • 5番目の宿泊地点は、おそらくノーザンプトン城(Northampton Castle
  • しかしエレノア・クロスは町の外に建てられた(おそらくは、エレノアの棺が夜を越したのがドラプレ修道院(Delapré Abbey)だったから)

6. Stony Stratford
ストーニーストラトフォード

Eleanor Cross Plaque.
エレノア・クロスの記念盾
出典 Wikimedia Commons

おおよその所在:157 High St, Stony Stratford, Milton Keynes MK11 1AT, United Kingdom
ストーニーストラトフォードについて:Stony Stratford

エレノア・クロスは、町のハイストリート(high street)に建てられました。他の碑と同様に、エレノア妃の像が含まれていたようです。

しかし現在、碑は完全になくなっています。これもやはり17世紀の内戦のあいだに破壊されたものと考えられています。エレノア・クロスが建てられていたと考えられる場所に、現在は盾が掲げられています。

葬列の旅路

  • 1290年12月9日土曜日、葬列はバッキンガムシャーのストーニーストラトフォードに到着

7. Woburn
ウォーバーン

Woburn Abbey
ウォーバーン修道院跡地に建つ屋敷
出典 Wikimedia Commons

地図(地点不明):Woburn
ウォーバーンについて:Woburn

ウォーバーンに建てられたエレノア・クロスも、完全に消失してしまいました。どのような碑であったかも、ほとんどわかっていません。エレノア・クロスが建てられた場所さえも不明です。

一行が宿泊したウォーバーン修道院は、1538年に閉鎖されました。ヘンリー8世がローマ教会から離脱し、修道院を解散(Dissolution of the monasteries)した時期です。ウォーバーン修道院のあった場所にはその後、18世紀にマンション(豪邸、カントリーハウス)が建てられました。

  関連リンク   イングランドのカントリーハウス(1)生い立ちと建築様式の変化

葬列の旅路

  • 葬列の一行はウォーバーン(Woburn)の修道院に宿泊
  • エドワード1世はここで、公務のため一時的に葬列を離れ先にセントオールバンズ(St Albans)に向かったもよう

8. Dunstable
ダンスタブル

ダンスタブルの盾
出典 geograph.org.uk

おおよその所在:4 High St N, Dunstable LU6 3HA, United Kingdom
ダンスタブルについて:Dunstable

1291年~93年に建てられたと考えられるダンスタブルのエレノア・クロスは、現在は消失していて見ることはできません。十字架(碑)が建てられていた場所には現在、盾が掲げられています。

ゲディントンおよびハーディングストーンのエレノア・クロスと似たデザインだったと考えられています。16世紀の歴史愛好家の記録によれば、紋章とエレノア妃の像が彫られていたそうです。

葬列の旅路

  • 12月11日月曜日、葬列はダンスタブル修道院に達する
  • この修道院の記録から、この時この葬列にエドワード1世が不在だったことがわかる

9. St Albans
セントオールバンズ

view of the area now known as Market Cross in St Albans
セントオールバンズ広場に建つ時計塔
出典 Wikimedia Commons

おおよその所在:High St, St Albans AL3 4EL, United Kingdom
セントオールバンズについて:St Albans

修道院の向かい側、ハイストリートマーケットの南端に、エレノア・クロスは建てられました。

エレノア・クロスは損傷したものの、1703年頃まで一部が残っていたようです。ここに新たなマーケット・クロスが建てられ、しかしそれはのちに解体されました。現在は時計塔に盾が掲げられています。

葬列の旅路

  • 葬列は南下してセントオールバンズ修道院でエドワード1世と合流

10. Waltham ★
ウォルサム

Waltham Cross
ウォルサムのエレノア・クロス
出典 Wikimedia Commons

所在:High St, Waltham Cross EN8 7BH, United Kingdom
ウォルサムについて:Waltham Cross

ウォルサムのエレノア・クロスは、1291年~92年に建てられました。費用は110ポンドで、他のエレノア・クロスと同様に5層から成り、六角形をしています。中段にエレノア妃の像があり、上段に十字架の土台、そして頂上に十字架があります。

大部分が修復されて、現在も町の中心に建っています。

葬列の旅路

  • 12月13日水曜日(エレノア妃の死から15日目)にエドワード1世は一足先にウェストミンスターにむかう(葬儀について重要な決定をくだす必要があったため)
  • いっぽうで葬列は東へ向かい、エセックスのウォルサム修道院に到着(おそらく翌日にロンドンへ北東から入り、西のウェストミュンスター寺院まで市内を行進するため)

11. Cheapside
チープサイド

Demolition of Cheapside Cross
1643年、チープサイドのエレノア・クロス解体
出典 Wikimedia Commons

おおよその所在:43 Cheapside, London EC2V 6AH, UK
チープサイドについて:Cheapside

11個目のエレノア・クロスは、チープサイドの真ん中に建てられました。マイケル・オブ・カンタベリー(Michael of Canterbury)の設計で費用はおよそ300ポンドでした。このエレノア・クロスは15世紀に建て直されたので、詳しい原形はわかっていません。

しかし、カトリックであること及び王政の象徴であることから、1643年には解体されてしまいました。石の破片は大英博物館に所蔵されています。また近年では2015年に、すぐ近くのセントメアリールボウ教会(St Mary-le-Bow)に、チープサイドのエレノア・クロスについて書かれた敷石が敷かれました。

葬列の旅路

  • 1290年12月14日、エレノア妃の棺を載せた葬列は、北の門「Bishopsgate」からロンドンに入城
  • 翌15日、葬列はチープサイド通りをゆっくりと西へ進む

12. Charing
チャーリング

The 19th century replica Eleanor Cross at Charing Cross in the City of Westminster.
19世紀に再建されたチャーリング・クロス
出典 Wikimedia Commons

所在:40 Strand, London WC2N 5HX, United Kingdom
チャーリングについて:Charing Cross

12個目のエレノア・クロスは、1291年~93年に、クランデール(Richard and Robert Crundale)によって建てられました。場所はチャーリングの交差点(現トラファルガー広場)で、北からも南からも西からも見えるようデザインされました。

費用は600ポンドを超え、12のエレノア・クロスのなかで最も高額でした。コルフェ大理石が惜しみなく使われ、おそらくは八角形の碑に8つのエレノア像が配されていました。

チャーリングに建てられた最初のエレノア・クロスは、内戦中の1647年に破壊されてしまいました。現在、チャーリングクロス駅の近くに建てられているものは、ビクトリア時代に再建されたものです。

葬列の旅路

  • 土曜、葬列は数百ヤードを移動しドミニコ会修道院(おおよその位置)でミサを行う
  • リンカンから、棺と別に運ばれてきたエレノアの心臓は、のちにここに埋葬される(10歳で亡くなった息子アルフォンソもここに埋葬されていた)
  • 1290年12月17日(エレノアの死から19日目)棺はウェストミンスター寺院に到着
  • ベネディクト修道僧によって葬儀が執り行われた


Advertisement

参考
THE ELEANOR CROSSES A Journey Set in Stone By Nick Holder
Eleanor_cross
Grantham Civic Society
blackfriars

ウォルサムのエレノア・クロス
出典 Wikimedia Commons
イングランド国王エドワード1世(1239-1307 / r. 1272 – 1307)
イングランド国王エドワード1世(1239-1307 / r. 1272 – 1307)
ヘンリー3世が亡くなると、その長男エドワードがイングランド王位を継承しました。エドワード1世は十字軍遠征の帰路の道中で王位継承の知らせを受けました。 エドワード.....
中世後期のイギリス(年表式)11世紀・12世紀・13世紀・14世紀・15世紀
中世後期のイギリス(年表式)11世紀・12世紀・13世紀・14世紀・15世紀
11世紀初頭、デンマーク&ノルウェー王のクヌートがイングランド王を兼ねていました。その支配域から北海帝国とも呼ばれましたが、彼の死後に再び分裂します。イングラン.....