ウィリアム征服王の息子たち:領土争いの末に四男ヘンリーがすべてを獲得

ウィリアム征服王の息子たち:領土争いの末に四男ヘンリーがすべてを獲得
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ウィリアム征服王の息子たち

ウィリアム征服王(William_the_Conqueror)とマチルダ(Matilda of Flanders)のあいだには4人の息子がいました。長男から順に:

  • ロバート(Robert / c.1051 – 1134)
  • リチャード(Richard / c.1054 – 1070)
  • ウィリアム(William / c.1056 – 1100)
  • ヘンリー(Henry / c.1068 – 1135)

です。

イングランド王位とノルマンディ公爵位がヘンリーの手に

長男ロバート:ノルマンディを継承

長男ロバートは1087年にノルマンディ公爵領を継承しました。

次男リチャード:死亡

次男リチャードはニュー・フォレスト(New Forest)で落命しました。狩りの最中に、張り出した木に衝突したためと云われています。16歳前後でした。

三男ウィリアム:イングランドを継承

三男ウィリアムはイングランド王国を継承してイングランド国王になりました。しかし1100年にやはりニュー・フォレストで狩りの最中の事故で亡くなりました。44歳でした。結婚しておらず、子供もありませんでした。

四男ヘンリー:遺産なし⇒すべてを獲得

さて、継承できる土地がなかった四男ヘンリーは、ノルマンディのコタンタン(Cotentin)を長男ロバートから購入しました。しかし1091年にこれを取り上げられてしまいます。

三男ウィリアムの死でイングランドを継承

1100年に三男ウィリアムの死をうけて、ヘンリーがイングランド王国を継承することになりました。すると翌年、イングランド王国を欲した長男ノルマンディ公爵ロバートが、軍を率いて侵攻してきました。これは最終的に、ヘンリーをイングランド国王と認める形で話し合いの決着がつきました。

長男ロバートを破ってノルマンディを獲得

しかし平和は長く続かず、こんどはヘンリーがノルマンディに侵攻してロバートを討ち、ノルマンディ公爵領をも獲得しました。1106年のことでした。

ヘンリーは、これに納得しない人々からの攻撃を受け続けました。フランス国王ルイ6世(Louis VI of France)、フランダース伯ボールドウィン7世(Baldwin VII of Flanders)、アンジュー伯フルク(Fulk V of Anjou)らは、ロバートの息子ウィリアム(William Clito)の反撃を支援し、公爵領の反乱を支援しました。

この決着は1120年夏、ブレミュールの戦い(Battle of Brémule)でのヘンリーの勝利を経て、和平合意が結ばれました。こうしてヘンリー1世が獲得した地位や領土は、しかし、唯一の嫡男ウィリアムの死によって崩壊へと向かってゆきます。

ヘンリー1世(治世 1100 – 1135)

厳しくも効果的な統治

ヘンリー1世は当時を生きた人々から「厳しいが効果的な統治を行う国王」と考えられていたようです。ノルマンディとイングランドの封建領主(barons)を巧みにあやつりました。

※barons…爵位の制度が確立する12世紀までは、封土を与えられて国王に仕える家臣や上級貴族の総称としても用いられる語。

ヘンリー1世(13世紀の画)
出典 Wikimedia Commons

イングランドでは、アングロサクソン時代の司法や地方政府や税のシステムを採用し、これを強化するための機関を追加しました。たとえばロイヤルエクスチェッカー(exchequer)と呼ばれる税の管理機関を設けたり、司法官が地方を巡回するシステム(itinerant justices)を設けたりしました。ノルマンディも司法と税管理の機関が整えられ強化されました。

イギリスの大蔵省の名前の由来

イギリス中央政府の会計機関を「エクスチェッカー(the exchequer)」と呼びます。エクスチェッカーという名前は、テーブルクロスのチェック柄に由来しています。中世初期、長さ3メートルもあるおおきなテーブルで税金や年貢の計算が行われており、このテーブルにチェック柄のテーブルクロスがかけられていました。チェック柄のそれぞれのスペースはポンド、シリング、ペンスを表していました。

ヘンリーが敷いた新しいシステムの実行を担った役人の多くは、上流貴族ではなく、むしろ出自のあいまいな人々でした。

教会との関係

ヘンリーはかつて教皇グレゴリウスの改革(Gregorian Reformを支持していました。しかしイングランドの王位に就くと、立場は複雑なものになります。

※グレゴリウス改革…叙任権の世俗権力からの奪還と、聖職者の態度を正すことが改革の二本柱。

カンタベリー大司教のアンセルムス(Anselm of Canterbury)は根強い教皇派で、ヘンリーの求めや妥協案を受け入れませんでした。互いに制裁を加える形で争いになりますが、1105年に交渉が整います。

高位聖職者の「世俗的な権力」と「教会的な権力」を区別するための線引きが設けられたのです。つまり、ヘンリー1世が聖職者の叙任権をあきらめる代わりに、選出された聖職者が保有することになる領土(temporalities)については国王への忠誠を誓う義務が課されました。

両者はその後、互いの良き協力者となりました。

ヘンリー1世の嫡男ウィリアムと娘マチルダ

ヘンリー1世は、スコットランド王の娘マチルダ(Matilda_of_Scotlandと結婚しました。マチルダは母方を通じてウェセックスのアルフレド大王の血も引いています。二人の間に生まれた子供のうち、2人が生存しました:

※スコットランドのマチルダ…スコットランド王マルコム3世(Malcolm III of Scotland)とウェセックス王女マーガレット(Margaret of Wessex)の娘。

側室との間に生まれた子供

ヘンリーと複数の側室との間にも、子供が生まれました。

男子:Robert of GloucesterRichardReginald de DunstanvilleRobert FitzEdithGilbert FitzRoyWilliam de Tracy / Henry FitzRoyFulk FitzRoyWilliam

女子:Matilda FitzRoyMatilda FitzRoyJuliane / Mabel / ConstanceAlineIsabel / Sybilla de NormandyMatilda Fitzroy / Gundrada de Dunstanville / Emma / Adeliza / Elizabeth Fitzroy / Sibyl of Falaise

1120年:ホワイトシップの遭難で嫡男が死亡

しかし1120年の秋、ヘンリー1世と妃の唯一の息子だったウィリアムは「ホワイトシップの遭難(White_Ship)」で命を落とします。ウィリアムが乗っていた船ホワイトシップが、ノルマンディ沖の海に沈んだのです。イングランドに向けてノルマンディのバルフルール港(Barfleur)を出港してすぐのことでした。

14世紀初頭に描かれたホワイトシップの遭難の絵図
出典 Wikimedia Commons

ウィリアムと乗組員らは酒に酔っていました。300人が亡くなったと云われています。

このため、王位およびノルマンディ公爵位の継承問題が引き起こされました。

ヘンリー1世、再婚して世継ぎを望むも叶わず

ヘンリー1世の妃マチルダは1118年に亡くなっていました。そこでヘンリー1世は、ルーヴァンのアデライザ(Adeliza of Louvainと再婚し、男児の出産を期待しました。このときヘンリー1世は53歳、アデライザは18歳でした。歳の差があったものの、アデライザはヘンリー1世を慕っていたようです。しかしこの結婚は、子供にめぐまれませんでした。

※ルーヴァンのアデライザ…ブラバント公ゴドフロワ1世・ド・ルーヴァンの娘で、カール大帝の子孫。

  関連リンク   ホワイトシップ遭難事件の影響:アンジュー伯 VS ヘンリー1世「娘に持参金としてもたせた領土を返せ」

1126年:娘マチルダを後継者に指名

ヘンリー1世は、1126年に娘のマチルダを継承者として指名し、1128年にアンジューのジョフロワ(Geoffrey of Anjou)と結婚させました。しかし、この夫婦と父ヘンリーの関係はやがて悪化します。領土の境界線に沿って、アンジューとの戦争さえ起こりました。

1135年:ヘンリー1世崩御

1135年12月1日、ヘンリー1世が崩御します。すると王位を巡って、イングランドとノルマンディで「内戦(the Anarchy)」が勃発し、ヘンリー1世の甥にあたるスティーブン(Stephen of Blois)がイングランド王として戴冠します。ノルマンディ公領もスティーブンのものとなりました。

ヘンリーの娘マチルダとその夫アンジュー伯は納得がゆきません。マチルダは王位を主張してイングランドに乗り込み、ジョフロワはノルマンディ公領の獲得に乗り出しました。

  関連リンク   王位継承戦争:ヘンリー1世の娘マチルダ VS 甥スティーブン


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参考
William_the_Conqueror Matilda of Flanders
 Robert_Curthose
 Richard_(son_of_William_the_Conqueror)
 William_II_of_England
 Henry_I_of_England Matilda_of_Scotland Adeliza of Louvain
  William_Adelin
   White_Ship
  Empress Matilda
Exchequer#Etymology
Anglo-Saxon_law