アーサー王伝説が生まれた経緯:ローマ撤退後のブリテン島(2)
       

アーサー王伝説では、ブリトン人のアーサーがアングロ・サクソン人の侵略を食い止めてブリテンの王になります。

アーサー王は実在した王でしょうか。おそらく実在はせず、民間伝承から創作された架空の王だとするのが現在の歴史家による一般的な見解です。では、アーサー王の伝説はどのようにして生まれ、語り継がれてきたのでしょうか。

The Round Table experiences a vision of the Holy Grail, an illumination by Évrard d’Espinques (c. 1475)
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アーサー王物語の誕生のいきさつ

5世紀に活躍したとされるアーサー王、9世紀の文献に初登場し、12世紀に伝説化される

現存する文献のなかで、アーサーの名が登場するもっとも古いものは9世紀の”歴史書”です。12世紀の”列王史”にさらに詳しく書かれ、すぐにアーサー王ロマンスとして物語化され、中世文学の核となりました。

一連の”歴史書”や創作物語をまとめて『ブルターニュ物語(Matter of Britain)』と呼びます。アーサー王物語はこの大部分を占め、中世のあいだ人気を博しました。近世にさしかかると衰退し、近代に入って再び日の目を見て、現代に至ります。

文学だけにとどまらず、舞台や映画やテレビ番組、ゲームやコミックなどさまざまな場面で目にする『アーサー王物語』ですが、その時代設定がいまいちよくわからないのは、5世紀を生きた人物が後世の習慣や風俗や概念で描かれることが多いせいかもしれません。

During the 12th century, Arthur’s character began to be marginalised by the accretion of “Arthurian” side-stories such as that of Tristan and Iseult, here pictured in a painting by John William Waterhouse (1916)

アーサー王伝説を育んだ3つの要素

1. Historia Brittonum
ブリトン人の歴史(C.829)

「アーサー」の名が登場する文献のなかでもっとも古いものが828年の『ブリトン人の歴史(Historia Brittonum)』です。

ローマ撤退後の5世紀~6世紀にかけてサクソン人がブリテン島に侵入しました。アーサーは、ベイドン山の戦い(Battle of Badon)でサクソン人と交戦した英雄(王ではなく、戦いのリーダー)として描かれています。

2. Historia Regum Britanniae
ブリタニア列王史(C.1136)

1136年頃にジェフリー・オブ・モンマス(Geoffrey of Monmouth)によって『ブリタニア列王史(Historia Regum Britanniae)』がまとめられました。

『ブリタニア列王史』では、当時から遡ること過去2000年におよんで、ブリトンの王を列挙し、その生涯を語っています。中世には史実として信じられ影響力は絶大でしたが、いまでは 偽史書 / フィクション とみなされ、中世文学として評価されています。

ジェフリーはアーサーをブリテンの王に設定し、サクソン人を破って広大な国を築いた人物として描きました。わたしたちが知っているアーサー王伝説に欠かせない事件やさまざまの要素のおおくは、ジェフリーの書いたこの『列王史』に起因しています。

たとえば、アーサーの父ユーサー・ペンドラゴン(Uther Pendragon)、魔法使いマーリン(Merlin)、アーサーの妻グィネヴィア(Guinevere)、聖剣エクスカリバー(Excalibur)やティンタジェル城(Tintagel)、カムランの戦い(Camlann)とモードレッド(Mordred)、そして致命傷を負ったアーサー王が最後を迎えたとされるアヴァロン(Avalon)などです。

The Death of Arthur by John Garrick (1862), depicting a boat arriving to take the dying Arthur to Avalon after the Battle of Camlann

3. Chrétien de Troyes’ work
クレティアン・ド・トロワの作品(c.1165–1180)

12世紀の後半、フランスの詩人クレティアン・ド・トロワ(Chrétien de Troyes)が、ランスロット(Lancelot)などの登場人物や、聖杯(Holy Grail )にまつわる話を物語に加えました。アーサー王物語がロマンスとして語られ、中世文学の重要な位置を占めるようになります。

このフランス産のストーリーでは、物語の主役がアーサー王から、円卓の騎士(Knights of the Round Table)など他のさまざまのキャラクターへと移ることがよくあります。

Lancelot brings Gvenevere to Arthur (1902)

「アーサー王」のモデル

ヒントになったかもしれない4人の英雄

9世紀の”歴史書”やモンマスの”列王史”が、いまでは偽史書といわれるとはいえ、物語を紡ぐためのヒントとなった人物や伝承はあったかもしれません。

アーサー・マック・オーダン(Artuir mac Áedán
6世紀のゲール人の王国(Dál Riata)の王子で、ピクト人と戦った人物。

アンブロシウス・アウレリアヌス(Ambrosius Aurelianus
ローマンブリティッシュ人を率いて、サクソン人に対して反乱を起こしたとされる人物。

ルキウス・アルトリウス・カストゥス(Lucius Artorius Castus
サルマタイ人の騎馬編隊を指揮した2-3世紀頃の人物。

リオティマス(Riothamus
470AD頃に活躍し、ブリテンの王と呼ばれた人物。ガリア(Gaul)に遠征し、西ゴートと戦った。

伝説上のブリトン王の一覧は、ここで見れます:

List of legendary kings of Britain(EN)
伝承上におけるブリタニア王の一覧(JA)


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参考
Sub-Roman Britain
The ‘Dark’ Ages: From the Sack of Rome to Hastings
Historicity of King Arthur
King Arthur

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