F.05 アングロサクソン時代

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1066年、もうひとりの候補者:アルフレド大王の直系エドガー・アシリングの人生

エドワード証聖王が亡くなり王位争奪戦の起こった1066年、エドガーが王位継承者として候補にあがりました。エドガーはアルフレド大王の直系にあたります。しかしおよそ14歳と若く、ほか3者※の強敵の出そろった時世には間がわるく戴冠することはありませんでした。ノルマンディ公ウィリアムがイングランドを征服すると、エドガーは反乱勢から擁立され、またスコットランドのマルカム3世の後ろ盾を得て、イングランド王位を主張しました。

中世前期のイギリス(5世紀・6世紀・7世紀・8世紀・9世紀・10世紀)

5世紀ころからアングロ・サクソン人がブリテン島に侵攻し定住を始めます。 アングロ・サクソン人というのは、ゲルマン系の3つの部族”アングル人、ジュート人、サクソン人”の総称です。彼らは、現在のイングランドに相当するエリアに定着しました。アングル人が支配した土地だからアングランド⇒イングランドとなったようです。 アーサー王伝説では、ブリトン人のアーサーがアングロ・サクソン人の侵略を食い止めてブリテンの […]

中世(前期)のヨーロッパの服装【女性編】

女性の衣服は、1枚以上の長そでのチュニックと、ペプロス( peplos )とも呼ばれるチューブ状の衣服で構成されていました。チューブ状の衣服はピンで肩に留めて着用します。スカンジナビア地方の洋服を特徴づけるものとして最も有名なのは「エプロンドレス( Apron Dress、trägerrock、hängerock、smokkr)」と呼ばれる衣服です。

アゼルスタン(Æthelstan)

アゼルスタンは、エドワード長兄王の息子で、アルフレッド大王の孫にあたります。アゼルスタンは937年の「ブルナンブルの戦い(Battle of Brunanburh)」に勝利してイングランドの領域を広げました。この戦いは、かつてないほどの血みどろの戦いとして語り継がれています。アゼルスタンは、スコット人、ケルト人、デーン人およびバイキングからなる同盟軍を打ち負かし、「全ブリテンの王」を名乗りました。

アングロサクソン七王国時代:七王国のなりたち

ローマンブリティシュ人が住んでいた4世紀ころから、ケントは度重なる海からの攻撃にさらされてきました。そこでどうやら、ゲルマン語を話す異民族が傭兵として招き入れられて、この地域に住み始めたようです。410年にローマ支配が終わると、さらに新たなゲルマン語系の民族集団がこの地に移住してきました。最初に定着したのはジュート人で、東ケントに王国を築きました。

クヌート大王(Cnut the Great / Canute)

クヌートはスヴェンの息子で、デンマークの王子でした。父スヴェンはイングランドの征服に成功して、イングランド国王の地位についた人物です。ただし即位後まもなく亡くなり、王位はふたたび旧来のウェセックス家へと戻っていました。 クヌートはイングランドを征服してイングランド王位に就き、デンマーク王位を継承し、スコットランド王をしのぎ、ノルウェーを征服してノルウェー王にもなりました。その支配域は「クヌートの北海帝国」として知られています。

エゼルレッド(Æthelred the Unready)

エゼルレッドは先々王エドガーの息子で、暗殺された先王エドワードの異母弟です。即位したのは10歳のときでした。 エゼルレッドは北欧人の来襲に対し、筋の通った抵抗を示しませんでした。これがエゼルレッドのニックネーム「unready(準備不足)」の由来である、とよく言われます。じつは古英語でのスペルは少し異なり、意味もかなり違うのですが、残念ながら「unready(準備不足)」がしっくりくる治世となってしまいました。

[詳しく]6世紀のイギリス

410年にローマ皇帝ホノリウスがブリタンニアを見捨てた時をもって、ローマによるブリタンニア支配は終焉を迎えたと定義されています。以降は文献史料が乏しく、6世紀のイギリスについては多くが謎に包まれたままです。 6世紀のイギリスの主なできごとは次のとおりです。 ベイドン丘の戦い 現存する当時の文献史料はギルダスによる「ブリトン人の没落」 アイルランド出身の宣教師らがスコットランドとイングランドに宣教 […]

アングロサクソン時代の文化

ラテン語と古英語 中世のヨーロッパではほとんどの書物がラテン語で書かれていました。しかし、ラテン語を理解できるのは、ほぼ聖職者だけでした。 このようなヨーロッパにおいて、イングランドは少し特異でした。書物に古英語も使われていたのです。古英語は多くのひとの話し言葉でした。 書物の多くは聖職者によって書かれたものだったので、必然的に宗教色の強いものが多くなります。しかし聖職者以外のひとが古英語で書いた […]

ハロルド・ゴドウィンソン(Harold Godwinson)

1066年、子供のないエドワード証聖王が、死の間際に、ハロルドに王位継承を告げたとされています。賢人会議もハロルドを国王に選出しました。北部でノルウェー軍を討ったハロルドは、ウィリアムを討つべく南部へ引き返しますが「ヘイスティングスの戦い(Battle Of Hastings)」に破れ、命を落としました。44歳、治世は282日でした。

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《 本の紹介 》

イングランド王国前史 五世紀半ば、ブリテン島を支配していたローマ人が去った後にやってきたアングロサクソン人。彼らはいかにして「七王国」時代を築いたのか。

消えたイングランド王国 本書は、歴史の狭間に消えゆく故国に命を賭した、誇り高き、最後のアングロサクソン戦士たちの史録である。

ヴァイキングの歴史 時に傭兵として、商人として、あるいは政治的支配者として東西ヨーロッパの歴史に深く関与し、他方で農業を生業として独自の法的社会を築いており、その実態は一様には語れない。

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