A.2 特集

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アングロ-サクソン人の侵入と定着:ローマ撤退後のブリテン島(3)

アングロ-サクソン人は、現在のデンマークや北ドイツやオランダに相当する地域から、北海を南へ渡ってきた人々でした。航海術に長け、過去何年ものあいだに沿岸地域を襲っては、彼らが住まうための土地を要求したり、ときには地元の人々を追い払うこともありました。 サクソン人はさらなる土地を求めて内陸に目を向けます。ブリトン人との抗争は避けられないものになりました。

イギリスのカントリーハウス-3タイプ

パワーハウスとは最も巨大なカントリーハウスのことを言います。中世のホールハウスから発展して必要に応じて部屋が追加されたか、もしくは地元の建築家によって新たに建てられた邸宅を便宜的にマイナーカントリーハウスと呼びます。 パワーハウスに比べて規模は小さく、数の上では勝ります。19世紀の産業革命につづいて、第三のカントリーハウスが、新しい富裕層によって建てられました。ビクトリアンハウスです。

1066年、もうひとりの候補者:アルフレド大王の直系エドガー・アシリングの人生

エドワード証聖王が亡くなり王位争奪戦の起こった1066年、エドガーが王位継承者として候補にあがりました。エドガーはアルフレド大王の直系にあたります。しかしおよそ14歳と若く、ほか3者※の強敵の出そろった時世には間がわるく戴冠することはありませんでした。ノルマンディ公ウィリアムがイングランドを征服すると、エドガーは反乱勢から擁立され、またスコットランドのマルカム3世の後ろ盾を得て、イングランド王位を主張しました。

航海中の船、経度を知るには?ジョン・ハリソンが船用時計を開発

経度は、出発地(Greenwich)と現在地の時刻を比較して求めることができます。現在地の時刻は天体観測から知ることができました。しかし出発地の時刻を知るには、出発地で合わせた時計を止めることなく正確に動かし続けて携帯する必要があります。これが問題でした。振り子時計は、船上では揺れの影響を受けてしまい、正確に動くことができませんでした。ですから、船の上でも正確に時を刻む精巧な時計の開発が求められたのです。

アメリカ革命のながれ(2/2)

アメリカ革命(独立)戦争は「英領北アメリカの13植民地人」と「国王代理の総督府」の間に生じた亀裂が大きくなった結果の、”内戦”としてはじまりました。1778年にはフランス国が植民地人サイドについて参戦してきます。イギリスの内戦であったものが、国家間の対立に発展しました。1781年、バージニアのヨークタウンでイギリス軍が敗戦します。公式の終戦は1783年ですが、植民地人はここで事実上の独立を勝ち取ったようなものです。

【女性編】18世紀末~19世紀初頭の服装(摂政時代)

摂政 / リージェンシー 時代の女性の装いについて整理しました。社交に忙しい上流階級のレディは、1日に3~4度ドレスを着替えることがあったかもしれません。予定のない日であっても、上流の家系ならディナーのために着替えるのが普通でした。

貴族(ピアレッジ / Peerage)の序列と成り立ち

貴族階級とは、国王から「公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵」の称号を授けられた人々を指します。ウィリアム征服王がイングランドを征服した時(1066)、イングランドを荘園(マナー / manors)単位に分割しました。これが、のちに男爵領(バロン / barons)として知られるようになります。

11世紀ー12世紀のスコットランド

ウィリアム征服王 VS マルカム3世 反乱勢を支援してウィリアム征服王に挑んだマルカム3世、ウィリアムを大君主として認める結果に マルカム3世時代(Malcolm III of Scotland / r. 1058–1093)のスコットランドは、現在のスコットランドよりも狭い領域でした。北部と西部は北欧人(Scandinavian)の支配下にありました。 さてイングランド王国は1066年にノルマン […]

ジェームス2世 / 7世(James II / VII)

ジェームスは、イングランドおよびアイルランドの国王としてジェームス2世、スコットランドの国王としてはジェームス7世です。亡き兄王チャールズ2世を継いで1685年2月6日に国王として即位しました。ジェームス2世/7世は、1688年の名誉革命で廃位させられます。 ジェームス2世/7世は、カトリック派の最後の国王です。プロテスタント派の国王が望まれた時代においてジェームス2世/7世は、カトリック派に対す […]

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