George II’s reign

ハノーヴァー朝ジョージ2世の治世:1727年~1760年

初代オーフォード伯爵ロバート・ウォルポール

ロバート・ウォルポールはイギリスの"初代"首相とみなされている政治家です。実権を握ったのは1721年~1741年です。ジェントリ階級の出身です。ウォルポールは、ホイッグ党の若いリーダーとして、社交でも政治面でも成功しました。南海泡沫事件の後処理を行い、政治的な権力を確実なものにしました。

ジャコバイト最後の蜂起「カロデンの戦い」1745-46

1745年のジャコバイト蜂起はチャールズ・エドワードがおこなった挑戦です。1869年の「名誉革命」で王位を逐われたジェームズ2世はチャールズの祖父にあたります。イギリスでは「王位継承法」が成立し、王位継承権はプロテスタント教派に限ることが法律で定められ、ハノーヴァー朝が始まっていました。1746年1月のフォルカークミュアでこそ勝利をおさめますが、4月のカロデンの戦いで完敗を喫する結果となりました。

「七年戦争」を経てイギリスは植民地帝国へ

1756年から1763年まで続いた七年戦争は、オーストリア継承戦争がのこした未解決の問題から生じました。まず勢力を伸ばしたいプロイセンと、失地( Silesia )の回復を求めるオーストリアが衝突します。それぞれをイギリスとフランスが援護して、両大国の覇権争いに発展します。

参戦国に不満が残った「オーストリア継承戦争」

ハプスブルグ家はこれまで女性が継いだことがありませんでしたが、カールは長子相続法を制定し、諸国の承認もとりつけ、周到な用意をすすめていたので問題は起こらないと思われました。しかしいざカールが死去すると、プロイセンやフランスそしてバイエルンが異議を唱え、ハプスブルグ家の領土を横取りしようと画策します。これに対してマリア・テレジアを擁護する側にまわったのが、イギリス&ハノーファーとオランダです。

「ジェンキンスの耳の戦争」でウォルポール首相が失脚

戦争の名前は、イングランドの商船長ロバート・ジェンキンスの耳がスペイン兵に切断されたという事件に由来します。開戦の8年前の出来事ですが、反スペイン感情をあおる目的で、野党の政治家や南海会社が持ち出したことから戦争の名前にまでなりました。