George III’s reign

ハノーヴァー朝ジョージ3世の治世:1760年~1820年

ネルソン副提督が購入したカントリーハウス

1802年9月、ネルソンはロンドンに近いマートンプレイス(Merton Place)に、エレガントなカントリーハウスを購入しました。購入価格は、農場や森林付きで£9,000(現在通貨に価値換算すると約 £809,492、1億2千万円)でした。建物は18世紀に建てられた左右対称のクイーンアン様式です。愛人のエマ・ハミルトンとその夫であるウィリアムがここに暮らし、ネルソンとエマの娘ホラティアもここに暮らしました。ネルソンは、1805年10月の「トラファルガーの海戦」で命を落とすまで、およそ4年間、海に出ないあいだここに暮らしました。

「コペンハーゲンの戦い」副提督ネルソンの先制攻撃が功を奏する

1801年1月、ネルソンは副提督に昇進します。バルト海遠征軍に、ハイド・パーカーに次ぐ指揮官として配属されました。デーン人が果敢に抵抗に出たのを見て、パーカーは撤退のシグナルを発します。ところがネルソンはこれに従わなかったのです。

ナポリを奪還したネルソン少将、ハミルトン夫妻をともなって帰還

ナポリがフランスの手に落ち、王室メンバはシチリア島に避難 ナポリは船の修理に便利な港でした。「ナイルの海戦」で勝利したネルソンは、1798年9月に寄港し英雄として迎えられました。公使夫人エマ・ハミルトン(Emma Hamilton)も彼を歓待しました。 ナポリは南下してくるフランスに抵抗する国でした。ローマはすでにフランス軍に占領され、教皇は捕虜となっていました。ナポリ国王フェルディナンド(Fer […]

「ナイルの海戦」ナポレオンの計画をくじく要(かなめ)-フランス革命戦争

ナイルの海戦(1798年8月1日-3日) ナポレオンのエジプト侵攻計画、ネルソン率いる戦隊がフランス艦隊を追う 「テネリフェの戦い」で負傷し、片腕を切断したネルソンはイギリスに戻り療養していました。1798年の春、じゅうぶん回復したとして軍務に復帰します。提督ジャービス(Earl of St. Vincent)はネルソンの戦隊に、トゥーロン港(Toulon)に停泊しているフランス艦隊の監視を任せま […]

ネルソン代将「サンビセンテ岬の戦い」を勝利に導く-フランス革命戦争

霧がたちこめる海でネルソン代将は、近くをスペイン艦隊が航行していることに気づきました。27隻のスペイン艦隊がフランス艦隊と合流する手はずで、2つの隊にわかれて航行していたのです。ジャービス提督はスペイン艦隊の間に割って入り、敵の一方が援護に駆けつけるより速く他方を破壊する戦略をとりました。しかしイギリス軍の船は、戦略に見合ったじゅうぶんな速さで舵を切れていないことが徐々に明らかになります。