リチャード2世(Richard of Bordeaux)
父であるエドワード黒太子が祖父王エドワード3世より先に亡くなっていたため、リチャード2世は10歳で即位することになりました。治世の前半は、摂政に代えて設置された評議会が補佐を務めました。 外交においては対仏戦(百年戦争)、内政においては農民一揆や、議会との確執に翻弄される治世でした。親政を開始してからは、平和と秩序を取り戻すべく尽力し一定の効果をあげます。 しかしある時を境に一変し「専制政治」を始 […]
父であるエドワード黒太子が祖父王エドワード3世より先に亡くなっていたため、リチャード2世は10歳で即位することになりました。治世の前半は、摂政に代えて設置された評議会が補佐を務めました。 外交においては対仏戦(百年戦争)、内政においては農民一揆や、議会との確執に翻弄される治世でした。親政を開始してからは、平和と秩序を取り戻すべく尽力し一定の効果をあげます。 しかしある時を境に一変し「専制政治」を始 […]
エドワード4世はヨーク家出身の最初の国王です。父リチャード( Richard, Duke of York )※の意思をついで、ランカスター王家のヘンリー6世を廃して、王位につきました。 ※父リチャードは1460年の「ウェイクフィールドの戦い( Battle of Wakefield )」の戦いで命を落とした。 ヘンリー6世が復位した時期(およそ半年間)があるため、エドワード4世の在位期間は1461 […]
エドワード4世が急逝したため、息子エドワードは5世として12歳で即位することになりました。治世は78日間と短く、戴冠することもありませんでした。 エドワード5世は、ロンドン塔に幽閉されて消息を絶った王子として知られいます。死因も遺体も特定されていません。 エドワード5世 治世 1483年4月9日-1483年7月25日(0年78日)護国卿:グロチェスター公爵リチャード 継承権 エドワード4世の息子 […]
エドワード2世は、エドワード1世の息子です。カーナーヴォン城で生まれ、1301年にウェールズ大公に叙されました。ピアス・ギャベストンをはじめとする取り巻きの影響を受けやすく、無能で軽薄と評されることが多い国王です。 対スコットランド戦では「バンノックバーンの戦い」で大敗します。スコットランドは勢いを得て、独立につながりました。 治世を通して諸侯の反感を買いつづけたため、王権の縮小や、議会の発展に、 […]
イギリスが舞台であったり、イギリスに関連すると思われる映画・ドラマを紹介しています。このページは「中世(中期/後期)編」です。ノルマン王朝時代、プランタジネット朝時代が舞台の作品を紹介しています。 モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル Monty Python and the Holy Grail (1974) アーサー王は5世紀頃の伝説上の人物ですが、「アーサー王物語」は9世紀~12世 […]
このページは、12世紀のヨーロッパの服装【男性編】です。 12世紀ヨーロッパの服装の「概要」および「女性編」は下記リンク先を参照してください。 下着 / 肌着 チェニックとブレイズの組み合わせ 下着/肌着は、インナーチェニックまたはタイトな長袖のシャツおよび、猿股のようなパンツ( drawers/braies/ブレイズ )で構成されました。布地はリネンであることが多かったようです。 長靴下 ショー […]
先王のウィリアム1世(征服王)には4人の息子がいました。上からロバート、リチャード、ウィリアム、ヘンリーです。長男ロバートはノルマンディ公爵領と爵位を継ぎ、次男リチャードは若くして亡くなっており、三男ウィリアムがイングランド王国と王位を継いでウィリアム2世となりました※。なお、四男のヘンリーには継承できる土地がなく、お金を相続しました。
このページは、12世紀のヨーロッパの服装【女性編】です。 12世紀ヨーロッパの服装の「概要」および「男性編」は下記リンク先を参照してください。 下着 / 肌着 シュミーズ / スモック 女性の肌着は、シュミーズ( chemise )あるいはスモックと呼ばれるチュニックで、多くの場合リネンでつくられていました。この上に2-3枚の、くるぶし丈のインナーチュニック( gowns/kirtles )を重ね […]
ヘイスティングスの戦いに勝利したノルマンディ公ウィリアムは、イングランド国王として戴冠しました。 王位を狙う主なライバルこそいなくなったものの、ウィリアムの支配に対する反乱がイングランド各地で起こりました。ウィリアムはこの制圧に数年を費やすことになります。 ウィリアムがイングランド国王としての地位を確実なものにできたのは、主な反乱の鎮圧を終えた1072年です。ウィリアムは、反乱を起こしたイングラン […]
バイキングはダブリンのほかにも町を築き、アイルランドそして西ヨーロッパの経済に影響をあたえるようになります。ブライアン・ボルは、事実上アイルランドを統一したとも言えるでしょう。ディアルマド・マク・マール・ナ・ムボはダブリンをも掌握しアイルランドの覇権はスコットランド沖まで拡大します。トイルデルバフはフランス、スペイン、イングランドの支配者や権力者と政治的および商業的なつながりがあり、アイルランドの存在感を示すとともに交易の発展に貢献しました。
《 本の紹介 》