ノルマンコンクエスト: イングランド完全征服までの道のり
ヘイスティングスの戦いに勝利したノルマンディ公ウィリアムは、イングランド国王として戴冠しました。 王位を狙う主なライバルこそいなくなったものの、ウィリアムの支配に対する反乱がイングランド各地で起こりました。ウィリアムはこの制圧に数年を費やすことになります。 ウィリアムがイングランド国王としての地位を確実なものにできたのは、主な反乱の鎮圧を終えた1072年です。ウィリアムは、反乱を起こしたイングラン […]
ヘイスティングスの戦いに勝利したノルマンディ公ウィリアムは、イングランド国王として戴冠しました。 王位を狙う主なライバルこそいなくなったものの、ウィリアムの支配に対する反乱がイングランド各地で起こりました。ウィリアムはこの制圧に数年を費やすことになります。 ウィリアムがイングランド国王としての地位を確実なものにできたのは、主な反乱の鎮圧を終えた1072年です。ウィリアムは、反乱を起こしたイングラン […]
バイキングはダブリンのほかにも町を築き、アイルランドそして西ヨーロッパの経済に影響をあたえるようになります。ブライアン・ボルは、事実上アイルランドを統一したとも言えるでしょう。ディアルマド・マク・マール・ナ・ムボはダブリンをも掌握しアイルランドの覇権はスコットランド沖まで拡大します。トイルデルバフはフランス、スペイン、イングランドの支配者や権力者と政治的および商業的なつながりがあり、アイルランドの存在感を示すとともに交易の発展に貢献しました。
エドワード4世はヨーク家出身の最初の国王です。父リチャード( Richard, Duke of York )※の意思をついで、ランカスター王家のヘンリー6世を廃して、王位につきました。 ※父リチャードは1460年の「ウェイクフィールドの戦い( Battle of Wakefield )」の戦いで命を落とした。 ヘンリー6世が復位した時期(およそ半年間)があるため、エドワード4世の在位期間は1461 […]
父であるエドワード黒太子が祖父王エドワード3世より先に亡くなっていたため、リチャード2世は10歳で即位することになりました。治世の前半は、摂政に代えて設置された評議会が補佐を務めました。 外交においては対仏戦(百年戦争)、内政においては農民一揆や、議会との確執に翻弄される治世でした。親政を開始してからは、平和と秩序を取り戻すべく尽力し一定の効果をあげます。 しかしある時を境に一変し「専制政治」を始 […]
ヘンリー3世は、第一次バロン戦争の最中に、9歳でイングランド国王に即位しました。僧侶によって育てられ、敬虔なキリスト教信者となり、芸術や学術、建築に傾倒しました。ゴシック様式でウェストミンスター修道院の再建を命じたのもヘンリー3世です。聖職者や妃の影響を受けやすい意志薄弱な人物だったと評されることがあります。 治世の後半に、第二次バロン戦争が勃発し、戦に負けて捕らわれの身となりました。その間に権力 […]
リチャード3世は、ヨーク家の最後の国王であり、プランタジネット朝の最後の国王でもあります。 12歳の甥エドワード5世を廃位し、自身が王位に就きましたが、ボズワースの戦いでヘンリー・テューダーに破れて落命します。 シェイクスピアの作品「リチャード3世」では醜い悪役として描かれ、そのイメージが後世に残されましたが、実態は少し違ったようです。 リチャード3世(Richard III) 治世 1483年6 […]
フランスのアンジュー伯家に生まれてイングランド王になったヘンリー(2世)は、パワフルな王で、優秀な戦士でもありました。イングランドの裁判システムを強化したり、軍役代納金(scutage / 軍役に代えて貨幣を治める・税)の徴収額を上げるなどしました。フランスでも領土を拡大し「アンジュー帝国※」とも呼ばれる広大な領地を治めました。 またヘンリー2世は、カンタベリー大司教トマス・ベケットとの対立と、そ […]
1066年、ノルマンディ公爵ウィリアムが、イングランドに侵攻し国王ハロルドを破りました。ウィリアムはイングランド王として戴冠し、ノルマン人によって国土が審査され再配布され貴族層が入れ替わるという前代未聞の征服となりました。
エドワード証聖王が亡くなり王位争奪戦の起こった1066年、エドガーが王位継承者として候補にあがりました。エドガーはアルフレド大王の直系にあたります。しかしおよそ14歳と若く、ほか3者※の強敵の出そろった時世には間がわるく戴冠することはありませんでした。ノルマンディ公ウィリアムがイングランドを征服すると、エドガーは反乱勢から擁立され、またスコットランドのマルカム3世の後ろ盾を得て、イングランド王位を主張しました。
イングランド国王になったヘンリー1世は、のちに長兄ロバートとの戦いにも勝利して、ノルマンディ公爵領をも支配下に収めました。ヘンリー1世は勤勉で聡明な王として知られています。嫡男を海難事故で失ったため、娘への王位継承を段取りしますが、その死後に内戦となりました。
《 本の紹介 》