Norman dynasty (1066-1135)

ノルマンコンクエスト【城のはじまり】城のタイプと目的そして影響

ノルマン人による征服をうけたイングランドには、その結果として数多くの「城 / 要塞」が建てられました。 その約8割がモット・アンド・ベイリー(motte-and-bailey)と呼ばれるスタイルの城です。モット・アンド・ベイリー型の城は、北欧を除く11世紀のヨーロッパでもっとも一般的だった城の形態です。 イングランドで最初の「城」はウィリアム征服王によって、戦略的に優れた場所を選んで各地に築かれま […]

ノルマンコンクエスト: イングランド完全征服までの道のり

ヘイスティングスの戦いに勝利したノルマンディ公ウィリアムは、イングランド国王として戴冠しました。 王位を狙う主なライバルこそいなくなったものの、ウィリアムの支配に対する反乱がイングランド各地で起こりました。ウィリアムはこの制圧に数年を費やすことになります。 ウィリアムがイングランド国王としての地位を確実なものにできたのは、主な反乱の鎮圧を終えた1072年です。ウィリアムは、反乱を起こしたイングラン […]

1066年、もうひとりの候補者:アルフレド大王の直系エドガー・アシリングの人生

エドワード証聖王が亡くなり王位争奪戦の起こった1066年、エドガーが王位継承者として候補にあがりました。エドガーはアルフレド大王の直系にあたります。しかしおよそ14歳と若く、ほか3者※の強敵の出そろった時世には間がわるく戴冠することはありませんでした。ノルマンディ公ウィリアムがイングランドを征服すると、エドガーは反乱勢から擁立され、またスコットランドのマルカム3世の後ろ盾を得て、イングランド王位を主張しました。

王位継承戦争:ヘンリー1世の娘マチルダ VS 甥スティーブン

ヘンリー1世は娘のマチルダを王位継承者として宣言しましたが、ヘンリー1世がなくなると、甥のスティーブンが王位に就いてしまいます。マチルダはノルマンディからイングランドに上陸し、イングランドで王位継承の内戦が繰り広げられました。

8世紀~12世紀のウェールズ

ウェールズは頻繁に内輪揉めの内戦を繰り返していました。アングロ=サクソン時代のイングランド※および、ノルマン征服以降のイングランド※からの圧力も受けました。/1. オッファの壁(8世紀)2. グヴィネズ王ロドリの覇権(9世紀)3. 南西の小王国の統一(10世紀)4. バイキングによる襲撃(10世紀)5. グリフィズによるウェールズの統一(11世紀) 6. ノルマン人の侵攻(11世紀) 7. ウェールズの反乱と領土の回復(12世紀)

ウィリアム征服王の息子たち:領土争いの末に四男ヘンリーがすべてを獲得

1100年に三男ウィリアムの死をうけて、ヘンリーがイングランド王国を継承することになりました。すると翌年、イングランド王国を欲した長男ノルマンディ公爵ロバートが、軍を率いて侵攻してきました。(…)こんどはヘンリーがノルマンディに侵攻してロバートを討ち、ノルマンディ公爵領をも獲得しました。

1066年3人の王位争奪戦:クヌート大王時代にさかのぼる発端

1066年、アングロサクソン系の国王エドワード証聖王が子供のないまま没したとき、3人の人物がイングランドの王位を狙っていました。1人目は、アングロ=ノルマンのウェセックス伯ハロルド・ゴッドウィンソン、2人目はノルウェー王ハラルド・ハルドラダ、そして3人目はフランスのノルマンディ公爵ウィリアムです。それぞれに、王位継承を主張しうる、あるいは主張したくなる理由がありました。その発端は50年前、デーン人のクヌート大王がイングランドに侵攻してイングランド王位を略奪したときにさかのぼります。