政治

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政治史(領土・人民の統治に関連すること)

イングランド国王エドワード1世(1239-1307 / r. 1272 – 1307)

ヘンリー3世が亡くなると、その長男エドワードがイングランド王位を継承しました。エドワード1世は十字軍遠征の帰路の道中で王位継承の知らせを受けました。 エドワードはその治世の大部分を、行政の建て直しと法の整備に費やしました。またウェールズを征服したことで有名です。スコットランドにも侵攻しますが、決着のつかないまま没しました。 エドワード1世の最初の妃はスペインのカスティーリャ王女エレノア(ブルゴーニ […]

イングランド国王 ジョン (1166 – 1216 / r. 1199 – 1216)

イングランド国王ジョンは、マグナ・カルタ / 大憲章(Magna Carta)に合意させられた王として有名です。 中世の僧侶は、国王ジョンを邪悪な王として描写し記録しました。このため後世の文芸作品などに暴君として登場します。現代の歴史家はジョンを「困難な時代に王権を拡大しようとしたエネルギッシュな王」と見ています。 King Johnイングランド国王ジョン 生誕 1166年12月24日 Beaum […]

イングランド国王ヘンリー2世(1133 – 1189 / r. 1154 – 1189)

ウィリアム征服王のひ孫にあたるヘンリー2世は『カンタベリー大司教トマス・ベケット殺害事件』と『アイルランド征服』で知られています。 Henry II of Englandイングランド国王ヘンリー2世 生誕 1133年3月5日、Le Mans, Maine, Kingdom of France 死没 1189年7月6日、Chinon Castle, Chinon, Touraine, Kingdom […]

ノルマンコンクエスト【城のはじまり】城のタイプと目的そして影響

ノルマン人による征服をうけたイングランドには、その結果として数多くの「城 / 要塞」が建てられました。 その約8割がモット・アンド・ベイリー(motte-and-bailey)と呼ばれるスタイルの城です。モット・アンド・ベイリー型の城は、北欧を除く11世紀のヨーロッパでもっとも一般的だった城の形態です。 イングランドで最初の「城」はウィリアム征服王によって、戦略的に優れた場所を選んで各地に築かれま […]

ノルマンコンクエスト: イングランド完全征服までの道のり

ヘイスティングスの戦いに勝利したノルマンディ公ウィリアムは、イングランド国王として戴冠しました。 王位を狙う主なライバルこそいなくなったものの、ウィリアムの支配に対する反乱がイングランド各地で起こりました。ウィリアムはこの制圧に数年を費やすことになります。 ウィリアムがイングランド国王としての地位を確実なものにできたのは、主な反乱の鎮圧を終えた1072年です。ウィリアムは、反乱を起こしたイングラン […]

アングロサクソン時代の宗教

ノルマン人による征服(1066年)よりも以前から、イングランドではキリスト教が信仰されていました。教会は強い影響力をもっていました。 初期…改宗と発展 サクソン人は異教徒だった ブリテン島にやってきた初期のサクソン人は、自然を崇拝し複数の神々を信仰していました。このサクソン人の信仰については、詳しいことはわかっていません。 サクソン人の宗教がどのようなものであったかは、ものや場所の名前に名残がみら […]

8世紀~12世紀初頭のアイルランド

バイキングはダブリンのほかにも町を築き、アイルランドそして西ヨーロッパの経済に影響をあたえるようになります。ブライアン・ボルは、事実上アイルランドを統一したとも言えるでしょう。ディアルマド・マク・マール・ナ・ムボはダブリンをも掌握しアイルランドの覇権はスコットランド沖まで拡大します。トイルデルバフはフランス、スペイン、イングランドの支配者や権力者と政治的および商業的なつながりがあり、アイルランドの存在感を示すとともに交易の発展に貢献しました。

イングランド王ヘンリー2世のアイルランド侵攻

12世紀のアイルランドには小王国と比較的大きな王国が割拠し、島全体の支配権をめぐって強力な国王同士が争っていました。追放された王ダーマットは、ノルマン系貴族の支援を得て王位を奪還します。王位後継者にノルマン貴族を指名したことがイングランド王ヘンリー2世を図らずも刺激してしまいます。

1066年、もうひとりの候補者:アルフレド大王の直系エドガー・アシリングの人生

エドワード証聖王が亡くなり王位争奪戦の起こった1066年、エドガーが王位継承者として候補にあがりました。エドガーはアルフレド大王の直系にあたります。しかしおよそ14歳と若く、ほか3者※の強敵の出そろった時世には間がわるく戴冠することはありませんでした。ノルマンディ公ウィリアムがイングランドを征服すると、エドガーは反乱勢から擁立され、またスコットランドのマルカム3世の後ろ盾を得て、イングランド王位を主張しました。

ウィリアム征服王の息子たち:領土争いの末に四男ヘンリーがすべてを獲得

1100年に三男ウィリアムの死をうけて、ヘンリーがイングランド王国を継承することになりました。すると翌年、イングランド王国を欲した長男ノルマンディ公爵ロバートが、軍を率いて侵攻してきました。(…)こんどはヘンリーがノルマンディに侵攻してロバートを討ち、ノルマンディ公爵領をも獲得しました。

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