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社会・社交界

リージェンシー・ファッション(摂政時代の装い)

18世紀末~19世紀初頭 フランス貴族をイメージさせる装いを避ける 18世紀末から19世紀初頭のヨーロッパおよび関連する国々のファッションは、18世紀初頭の重厚なコスチュームから解放されて、かろやかな装いが流行しました。というのもフランス革命のあおりで、フランス貴族のようないでたちで出歩くことを好む人がいなくなったからです。また、かつての衣装は社会的地位に左右されるものでしたが、19世紀を迎えるこ […]

リージェンシー・ファッション-女性編-

18世紀末から19世紀初頭にかけて流行したスタイルを「エンパイアスタイル」などと呼びます。胸のすぐ下で絞ってバストを支え、スカートをながすスタイルです。ドレスのなかに下着(undergarments)、外にはガウン(gowns)や上着(outerwear)を重ね着しました。上着は、スペンサー(spencer)やペリーズ(pelisse)が人気でした。動画では、下着からコルセット、ドレス、ガウン、アウターまで、エンパイアドレスを実際に着る様子を、解説付きで見ることができます。

摂政時代のTPO【女性編】時と場所に合わせた装い

摂政 / リージェンシー 時代の女性の装いについて整理しました。社交に忙しい上流階級のレディは、1日に3~4度ドレスを着替えることがあったかもしれません。予定のない日であっても、上流の家系ならディナーのために着替えるのが普通でした。

摂政時代のファッション雑誌

摂政時代のファッション雑誌3冊を紹介します。GoogleBooksで多くのページを閲覧することができます。またファッション・パレットとよばれる繊細な色付きの挿絵は、ウィキメディアコモンズで閲覧できます。それぞれ各章にリンクを張っているので楽しんでください!

3月5日の夜(ボストン虐殺事件)

午後8時頃、10代の少年グループがボストン関税局の近くを歩いていました。同じとき、英国陸軍の准大尉(Captain-lieutenant)ジョン・ゴールドフィンチ(John Goldfinch)がたまたまその近くを通りかかります。ウィッグ店の見習いだった13歳のエドワード・ジェリック(Edward Garrick)は、ゴールドフィンチ准大尉を見つけると言いました、「ゴールドフィンチは、代金の支払いを拒否したぞ!」。しかしゴールドフィンチ准大尉の支払いは、実は前日に済んでい…

18世紀イギリス領アメリカのボストンで、兵士が大衆に発砲した事件

民間人と揉め事を起こしたひとりの護衛官が助けを求め、プレストン大尉率いる数人の兵士が援護に駆け付けました。見物に集まった大衆は兵士に雪玉や石を投げ、さらには大尉を棍棒で殴る者まであらわれました。大尉は発砲を命じませんでしたが、驚いた兵士らが発砲し始めました。弾は11人に当たり、3人は即死、8人が重軽傷を負い、このうち2人は怪我がもとで後ほど亡くなりました。

産業革命:「飛び杼」の登場で需要を増す「糸」、ジェニー紡績機の登場

1764年もしくは1765年に、ジェームス・ハーグリーブスが「ジェニー紡績機」を開発しました。ひとりで一度に8本もしくはそれ以上のスプール(リール/糸巻棒)に糸をつむぐことができるようになり、産業革命における繊維業の重要な転換点のひとつに数えられています。ジェニー紡績機は1810年頃まで綿産業やファスチアン産業で広く一般的に使われました。以降はミュール紡績機が取って代わり、これが20世紀初頭まで活躍します。

産業革命期さいしょの運河、リバプールへ石炭をはこぶため開通

サンキー運河は、イングランドに作られた最初の近代的な運河-あるいは産業革命期における最初の運河-であるといわれています。1757年に開かれ、マージー川沿いの町ウォリントンとパーを結びました。工業が栄えるリバプールまで主に石炭を運ぶために建設されました。運河の建設によって、運河沿いの小さな村々もまた工業の町として成長することになりました。

代将ジョージ・アンソン、スペイン財宝艦隊を捕獲して世界一周

1740年にポートマスを出港した代将ジョージ・アンソンは西回りで世界を一周して、1744年に帰還しました。ただし彼の世界一周は、発見のための旅ではありませんでした。航海中の1743年、スペインのガレオン船を捕獲し戦利品を獲得します。1748年に出版されたアンソンの冒険記は一般大衆にひろく読まれ、商業的な成功も果たしました。犠牲者は多く1854人いたと言われる士官および船員のうち、イギリス本国に帰還したのは188人だったといいます。