D.2 ウェールズ

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先史時代のブリテン島

イギリスの先史時代とは、人類の渡来~紀元43年のローマ軍侵攻(ローマ皇帝クラディウスのブリタンニア遠征)までを指します。 狩猟採集を主とする生活が行われていた中石器時(c. 9,000 – 4,300 BC)、海面の上昇にともなって、大陸と陸続きだったブリテンが切り離されて島になりました。農耕と牧畜を中心とする生活に変る新石器時代(c. 4,300 – 2,000 BC)か […]

チャールズ1世(Charles I)

チャールズ1世はジェームス6世/1世※の息子です。王権神授説を信じ、議会との関係を難しくしました。事態は悪化の一途をたどり、1642年に始まるイングランド内戦(ピューリタン革命)に発展します。 王党派は、議会派のニューモデル軍に敗戦しました。チャールズ1世は捕らえられ、投獄され、裁判にかけられました。 議会派のなかには「国王と条件付きの和解を求める人たち」と「国王の処刑を望む人たち」がいました。意 […]

リチャード3世(Richard III)

リチャード3世は、ヨーク家の最後の国王であり、プランタジネット朝の最後の国王でもあります。 12歳の甥エドワード5世を廃位し、自身が王位に就きましたが、ボズワースの戦いでヘンリー・テューダーに破れて落命します。 シェイクスピアの作品「リチャード3世」では醜い悪役として描かれ、そのイメージが後世に残されましたが、実態は少し違ったようです。 リチャード3世(Richard III) 治世 1483年6 […]

エドワード2世(Edward of Caernarfon)

エドワード2世は、エドワード1世の息子です。カーナーヴォン城で生まれ、1301年にウェールズ大公に叙されました。ピアス・ギャベストンをはじめとする取り巻きの影響を受けやすく、無能で軽薄と評されることが多い国王です。 対スコットランド戦では「バンノックバーンの戦い」で大敗します。スコットランドは勢いを得て、独立につながりました。 治世を通して諸侯の反感を買いつづけたため、王権の縮小や、議会の発展に、 […]

エドワード1世(Edward Longshanks)

エドワード1世は政治力と武勇に長けた人物でした。 議会を開く際、聖職諸侯や世俗諸侯に加えて騎士や庶民の代表を招聘することが多かったため、その初めとされる1295年の議会は、後世「模範議会」として知られることになりました。 このほか、ウェールズを征服してイングランドに併合したこと、息子をウェールズ大公に叙したこと、スコットランドへの侵攻なども、エドワードの治世の重要なできごとです。 いっぽうで愛妻家 […]

【歴代】イギリスの君主(国王・女王)一覧

「イギリス」は正式名称を「グレートブリテン王国および北アイルランド連合王国(1922年成立)」といい、4つの国から成っています。イングランド・ウェールズ・スコットランド・北アイルランドです。 このページでは、4ヶ国すべての君主を掲載しています。知りたい国家および年代を、目次から選択してジャンプしてください。 日本の学校で習う世界史では「イギリスの君主」は、イングランドの ノルマンディ公爵 […]

中世後期のイギリス(年表式)11世紀・12世紀・13世紀・14世紀・15世紀

11世紀初頭、デンマーク&ノルウェー王のクヌートがイングランド王を兼ねていました。その支配域から北海帝国とも呼ばれましたが、彼の死後に再び分裂します。イングランドはクヌートの息子が継ぎますが、その死後はアングロ・サクソン系の王が復位しました。この王はエドワード証聖王とよばれます。彼の幼少期にイングランドはデーン人(デンマーク&ノルウェー)の侵略を受けていたため、彼は母方の故郷ノルマンディに亡命し、 […]

1-5世紀のイギリス

紀元40年頃~410年頃まで、ブリテン島の南部はローマ帝国の属州だったので、この時代を「ローマン・ブリティッシュ時代」などと呼びます。ローマ人は、支配下に置いた地域と周辺諸島を「ブリタンニア」と呼びました。おなじころ、現在のアイルランドにあたる地域はゲール人が侵略して定住していました。 ローマ帝国の支配は、現在のスコットランドにあたる地域には及びませんでした。ローマは侵攻を試みますが謎の民族ピクト […]

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