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戦争

アメリカ革命のながれ(2/2)

アメリカ革命(独立)戦争は「英領北アメリカの13植民地人」と「国王代理の総督府」の間に生じた亀裂が大きくなった結果の、”内戦”としてはじまりました。1778年にはフランス国が植民地人サイドについて参戦してきます。イギリスの内戦であったものが、国家間の対立に発展しました。1781年、バージニアのヨークタウンでイギリス軍が敗戦します。公式の終戦は1783年ですが、植民地人はここで事実上の独立を勝ち取ったようなものです。

アメリカ独立への序章「砂糖法」

1764年4月5日、「砂糖法案」がイギリスの議会を通過しました。当時、フランス領およびオランダ領の西インド諸島(カリブ海)から北米のイギリス領へ、砂糖と糖蜜の密輸貿易が行われていました。これを終わらせるために設けられたのが「砂糖法(Sugar Act)」です。イギリス政府は収入源の確保も必要でした。フレンチ・インディアン戦争の戦費をまかなうたため借金(公債)が嵩んでいたのです。アメリカの植民地人にとって不快だったのは、商船の取り締まりの厳しさでした。

代将ジョージ・アンソン、スペイン財宝艦隊を捕獲して世界一周

1740年にポートマスを出港した代将ジョージ・アンソンは西回りで世界を一周して、1744年に帰還しました。ただし彼の世界一周は、発見のための旅ではありませんでした。航海中の1743年、スペインのガレオン船を捕獲し戦利品を獲得します。1748年に出版されたアンソンの冒険記は一般大衆にひろく読まれ、商業的な成功も果たしました。犠牲者は多く1854人いたと言われる士官および船員のうち、イギリス本国に帰還したのは188人だったといいます。

続・スペイン継承戦争:四国同盟戦争

スペイン継承戦争を終わらせた「ユトレヒト条約」では、「フェリペ5世はスペイン王位を継ぐ代わりにフランスの王位継承権を放棄する」という約束でした。しかしフェリペ5世は、ルイ14世亡きあとのフランス王位を狙いはじめました。 これに警戒したオーストリア、イギリス、フランス、ネーデルラントの4ヶ国が同盟してフェリペ5世と対戦します。フェリペ5世はイギリスを牽制する目的で、ジャコバイトの支援も行いました。

ジャコバイト最後の蜂起「カロデンの戦い」1745-46

1745年のジャコバイト蜂起はチャールズ・エドワードがおこなった挑戦です。1869年の「名誉革命」で王位を逐われたジェームズ2世はチャールズの祖父にあたります。イギリスでは「王位継承法」が成立し、王位継承権はプロテスタント教派に限ることが法律で定められ、ハノーヴァー朝が始まっていました。1746年1月のフォルカークミュアでこそ勝利をおさめますが、4月のカロデンの戦いで完敗を喫する結果となりました。

「七年戦争」を経てイギリスは植民地帝国へ

1756年から1763年まで続いた七年戦争は、オーストリア継承戦争がのこした未解決の問題から生じました。まず勢力を伸ばしたいプロイセンと、失地( Silesia )の回復を求めるオーストリアが衝突します。それぞれをイギリスとフランスが援護して、両大国の覇権争いに発展します。

参戦国に不満が残った「オーストリア継承戦争」

ハプスブルグ家はこれまで女性が継いだことがありませんでしたが、カールは長子相続法を制定し、諸国の承認もとりつけ、周到な用意をすすめていたので問題は起こらないと思われました。しかしいざカールが死去すると、プロイセンやフランスそしてバイエルンが異議を唱え、ハプスブルグ家の領土を横取りしようと画策します。これに対してマリア・テレジアを擁護する側にまわったのが、イギリス&ハノーファーとオランダです。

「ジェンキンスの耳の戦争」でウォルポール首相が失脚

戦争の名前は、イングランドの商船長ロバート・ジェンキンスの耳がスペイン兵に切断されたという事件に由来します。開戦の8年前の出来事ですが、反スペイン感情をあおる目的で、野党の政治家や南海会社が持ち出したことから戦争の名前にまでなりました。

グレートブリテン王国とハノーヴァー朝の誕生のいきさつ

1702年、ステュアート朝のアン女王( Anne, Queen of Great Britain )が戴冠します。ジェームズ2世の娘ですが、彼女の信仰は英国国教会でした。血筋についても信仰についても、心配ありませんでした。しかし後継ぎがないのは問題でした。嫡子はありましたが、1700年に11歳で世を去ったグロチェスター公ウィリアム( Prince William, Duke of Gloucester )を最後に、みな早世していたのです。