貴族(ピアレッジ / Peerage)の序列と成り立ち

貴族(ピアレッジ / Peerage)の序列と成り立ち

イギリスの貴族階級の序列と、その成り立ちについて書きます。

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貴族の「序列」「継承」「お家断絶」について

爵位の序列

貴族とは、国王から爵位を授かった人々を指します。世襲制です。(例外的に一代限りの貴族が制定されたのは1958年です。)

爵位は上から

  1. 公爵(Duke)
  2. 侯爵(Marquess)
  3. 伯爵(Earl)
  4. 子爵(Viscount)
  5. 男爵(Baron)

と並びます。

ただしこの序列は15世紀以降(イングランド)のものです。というのもこの5種類が出そろったのが15世紀だからです。もっとも早くに制定された爵位は「伯爵(Earl)」です。9世紀当時は、これが国王に次ぐ最高位でした。

ひとりの人物が複数の称号をもつことも珍しくありません。もし侯爵位と伯爵位をもっていたとすると、父が上位である侯爵の敬称で呼ばれ、その長男は父の存命中から伯爵の敬称で呼ばれるというケースがよくあります。

爵位の継承

爵位はたいてい、家系の長男が継承します。

男子が生まれなかった場合は、長女に継承されることもあります。子供がない場合は、亡くなった貴族の兄弟姉妹が爵位を継承する場合があります。いずれの場合も女性に継承権があるかどうかは、その家系の継承ルールによって異なります。

女性が継承して結婚し子供をもうけると、その子供は母の爵位と父の性を継承するので、爵位が他家に渡るような形になります。

爵位の称号の前に「第〇代」と付加されているのを見れば、何世代前に授かった称号であるかが分ります。

お家断絶

継承者がない場合はお家断絶となります。断絶すると爵位は国王に接収されます。国王は「空」となった爵位を、新たに別の人物に授けることができます。

このため「初代 ○○伯爵」に該当する人物が2人以上存在することがあります。すこし紛らわしいですが、確認すればそれぞれ存在した時代と家系が異なっていることがわかります。

貴族院(1834年画)
出典 Wikimedia Commons

イギリスには複数国家の貴族が共存

現在のイギリスは、複数の王国が統一されてできた国です。1707年より以前はイングランド、スコットランド、アイルランドという国家だったので、それぞれに貴族が存在しました。

  • イングランド貴族
  • スコットランド貴族
  • アイルランド貴族

といった具合です。

イングランドとスコットランドが統一された1707年~1800年は「グレートブリテン王国」となりました。グレートブリテン王国のために設けられた称号をもつ貴族は

  • グレートブリテン貴族

となります。

1801年、グレートブリテン王国はアイルランドを併合して「グレートブリテンおよびアイルランド連合王国」となりました。これ以降に設けられた称号をもつ貴族は

  • ユナイテッドキングダム貴族

ということになります。

つまり現在のイギリスには、異なる国と時代に叙せられた貴族が共存しているのです。ひとくちに「イギリスの貴族」といっても、その家系の歴史は様々なのです。そしてここにも、なんとなく、序列があったりもするのです。。。。

イングランド貴族の序列と成り立ち

イギリスは複数の国家が統一されてできた国です。ここではイングランドを例にとって、爵位の制定の歴史を書きます。

もっとも早くに存在した爵位は「伯爵(Earl)」です。9世紀頃(アングロサクソン時代)にまでさかのぼります。ほかの爵位はまだないので、「伯爵(Earl)」が国王に次ぐ最高位でした。

ウィリアム征服王がイングランドを征服した時(1066)、「封建制度」を導入しました。イングランドを荘園(マナー / manors)単位に分割し、封土として臣下に分け与えました。これが、のちに諸侯領(バロン / barons)として知られるようになります。

より多くの荘園を所有するものは「大バロン / Greater Barons)」として知られ、より少ない荘園を所有するものは「小バロン / Lesser Barons)」として知られるようになりました。

中世前期のバロンは、「男爵」というより「諸侯」と訳すほうが実態をイメージしやすいかもしれません。

14世紀に入って「公爵」と「侯爵」が制定されました。国王の政治的な都合で、先に存在した「男爵」と「伯爵」をしのぐ上位の爵位が新設されたのです。

さらに15世紀に「子爵」が制定されますが、こちらは「伯爵」と「男爵」の間の順位でした。

こうして現在知られる爵位が出そろいました。

称号の成り立ち

伯爵(Earl)

9世紀~10世紀に制定(推定)。語源は旧英語で軍事リーダーを意味する「eorl」。ノルマンコンクエスト(1066)以前のアングロサクソン時代から存在したランク。

アングロサクソン時代の「伯爵(Earl)」は国王に次ぐ最高位で、国王から委ねられた権力も統轄地も非常に大きなものだった。

しかしウィリアム征服王(r.1066-1087)は、この「伯爵(Earl)」という称号の存在こそ踏襲したものの、その権力には大はばな制限をくわえて、大陸の「伯爵(count)」と同等の扱いとした。

それでも他の爵位が新設される前は、最高の爵位であった。

男爵(Baron)

1066年制定。語源はゲルマン語で自由人を意味する「baro」。

フランス貴族のウィリアムがイングランドを征服した際に「封建制度」を導入。国王から直々に封土を授かった者がバロン(諸侯)と呼ばれたのがはじまり。後世に上位の爵位が新設されると、バロン(男爵)は貴族階級の最下に位置することになる。

公爵(Duke)

1337年制定。語源はラテン語でリーダーを意味する「dux」。

エドワード3世が息子のエドワード黒太子をコーンウォール公爵(Duke of Cornwall)に叙したのがはじまり。エドワード黒太子は王位を継承する前に没し、公爵位は当時9歳だった長男(のちのリチャード2世)に継がれた。

このほかエドワード3世は、1351年にランカスター公爵(Duke of Lancaster)を新設して身内のひとりをこれに叙したが1代で途絶えてしまう。このため改めて同爵位を四男のジョンに授けた。ジョンの息子ヘンリーはのちにリチャード2世を廃してヘンリー4世として王位に就く人物。

侯爵(Marquess)

1385年制定。語源はフランス語のち英語で「境界」を意味する「marches」。

伯爵より上位として新設された爵位。伯爵の領土がカウンティ(county)と呼ばれるのに対し、侯爵の領土はマーチ(march)と呼ばれた。マーチとは「境界」を意味する言葉。つまり敵国となりうる隣国と接する地域であり、その重要度から、「伯爵」よりも上位に位置付けられた。

公爵よりも下位なのは、公爵はおもに王族に授けられる爵位だったことから、これを凌ぐわけにはゆかないため。

最初に侯爵に叙せられた人物は第9代オックスフォード伯ロバート・ド・ヴィアー(Robert de Vere, 9th Earl of Oxford)。リチャード2世からダブリン / アイルランド公爵(Marquess of Dublin)の称号を授かった。

ただしヘンリー4世(r.1399-1413)の時代からこの爵位は使われなくなり、これを復活させたのはヘンリー6世(1442)。

子爵(Viscount)

1440年制定。語源はラテン語で準伯爵を意味する「vicecomes」。

もともとはカウンティのシェリフ(官僚)を指すことばで、ヘンリー6世は、これをそのまま貴族の爵位として定めた。多くのばあい上位の爵位をもつ貴族が、合わせて子爵位をもつことになった。


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参考
Peerages in the United Kingdom
Peerage of Great Britain
Peerage of England
House of Lords
History of the British peerage
dukedoms Marquessates
Earldoms Viscountcies
Baronies Baronetcies