industrial revolution

産業革命

17世紀の陸路

道路の修理は、一般的には個々の小教区の責任でした。このため道路が修理されずに放置されることがしばしばありました。道路は穴だらけで、なかにはとても深い穴に水がたまっていることもあり、足がずぶ濡れになることも珍しくありませんでした。1663年、主要道路の一部※1の修繕計画が議会を通過しました。道路に通行料を課して修繕の費用にあてるのです。有料道路の登場です。運営は、民間に信託されました。

産業革命:「飛び杼」の登場で需要を増す「糸」、ジェニー紡績機の登場

1764年もしくは1765年に、ジェームス・ハーグリーブスが「ジェニー紡績機」を開発しました。ひとりで一度に8本もしくはそれ以上のスプール(リール/糸巻棒)に糸をつむぐことができるようになり、産業革命における繊維業の重要な転換点のひとつに数えられています。ジェニー紡績機は1810年頃まで綿産業やファスチアン産業で広く一般的に使われました。以降はミュール紡績機が取って代わり、これが20世紀初頭まで活躍します。

産業革命期さいしょの運河、リバプールへ石炭をはこぶため開通

サンキー運河は、イングランドに作られた最初の近代的な運河-あるいは産業革命期における最初の運河-であるといわれています。1757年に開かれ、マージー川沿いの町ウォリントンとパーを結びました。工業が栄えるリバプールまで主に石炭を運ぶために建設されました。運河の建設によって、運河沿いの小さな村々もまた工業の町として成長することになりました。

産業革命の幕開け-ジョン・ケイが発明した「飛び杼」

18世紀も半ばになると、新しい手法が開発・導入され、イギリスそしてヨーロッパに広がります。この変化の過程で「工業化」が進みました。ある町や市に専用の工場が集約され、工業都市と呼ばれるようになります。1733年、ジョン・キー(John Kay)によって飛び杼(Flying shuttle)が発明されました。これは従来の手織り機に改良をくわえたもので、格段に効率があがりました。また一人で操作できるため、少ない労働者で生産できるようになりました。