z. アングロ・サクソン

1/2ページ
北西ヨーロッパからブリテン島へ移住したゲルマン語諸族のアングロ人、サクソン人、ジュート人

アングロ-サクソン人の侵入と定着:ローマ撤退後のブリテン島(3)

アングロ-サクソン人は、現在のデンマークや北ドイツやオランダに相当する地域から、北海を南へ渡ってきた人々でした。航海術に長け、過去何年ものあいだに沿岸地域を襲っては、彼らが住まうための土地を要求したり、ときには地元の人々を追い払うこともありました。 サクソン人はさらなる土地を求めて内陸に目を向けます。ブリトン人との抗争は避けられないものになりました。

イングランドのバイキング時代

793年にバイキングの襲撃があったことが「アングロサクソン年代記」に記録されています。バイキングはリンディスファーン修道院を襲い、修道僧を殺し貴重品や金品を奪いました。この襲撃は「バイキングの侵略」の始まりとして位置付けられています。

アングロサクソン時代の宗教

ノルマン人による征服(1066年)よりも以前から、イングランドではキリスト教が信仰されていました。教会は強い影響力をもっていました。 初期…改宗と発展 サクソン人は異教徒だった ブリテン島にやってきた初期のサクソン人は、自然を崇拝し複数の神々を信仰していました。このサクソン人の信仰については、詳しいことはわかっていません。 サクソン人の宗教がどのようなものであったかは、ものや場所の名前に名残がみら […]

エゼルレッド(Æthelred the Unready)

エゼルレッドは先々王エドガーの息子で、暗殺された先王エドワードの異母弟です。即位したのは10歳のときでした。 エゼルレッドは北欧人の来襲に対し、筋の通った抵抗を示しませんでした。これがエゼルレッドのニックネーム「unready(準備不足)」の由来である、とよく言われます。じつは古英語でのスペルは少し異なり、意味もかなり違うのですが、残念ながら「unready(準備不足)」がしっくりくる治世となってしまいました。

エドワード長兄王(Edward the Elder)

エドワードは、従兄弟エルウォルド(Æthelwold)に勝って即位しました。エドワードは先王アルフレッドの長男ですが、王位継承権は保証されていませんでした。当時の社会では、王族のなかで強い者に同等の王位継承権があったのです。エドワードはその治世に置いて、南イングランドと中央イングランド(Midlands)をデーン人から奪還します。デーン人の支配域はノーザンブリアのみに縮小されました。 またマーシア卿に嫁いでいた姉エセルフリーダ(Aethelflaed of Mercia)が亡くなったあと、エドワードはマーシアの支配も兼ねるようになりました。

アングロサクソン七王国時代:王国の興亡(7世紀、8世紀、9世紀)

ブリテン島各地に乱立したアングロサクソン人の王国は互いに争い、7世紀初頭には上述の七つの王国が主要な王国として台頭していました。7世紀~8世紀を通じてさらに淘汰され、イーストアングリア王国、ノーザンブリア王国、マーシア王国、ウェセックス王国の4つが主要な王国として順に覇権を握ります。9世紀~10世紀にかけてはバイキングの侵攻に苦しみました。このなかで生き残ったウェセックス王国が覇権を握ってバイキングに反撃をしかけます。

エドワード証聖王(Edward the Confessor)

ノルマンディで四半世紀を過ごしてきたエドワードは、即位すると、廷臣や高位の聖職にノルマンディの人びとを就任させ、身の安全をはかりました。イングランドではクヌートの時代に台頭したウェセックス伯ゴッドウィン家が、政治的な権力を握りました。

エルフウェルド(Ælfweard of Wessex)

父王(エドワード長兄王)が没して間もなく、エルフウェルドもなくなりました。父王とおなじウィンチェスターに埋葬されたと『アングロサクソン年代記(Anglo-Saxon Chronicle)』に記されています。王位に就いたことは明示されていません。しかし12世紀に編纂された『Textus Roffensis』には、エルフウェルドが国王としてリストアップされているそうです。治世は4週間です。 王位に就いた期間があったかどうか、歴史家のあいだで見解が分かれています。

エドガー(Edgar the Peaceful)

エドガーはエドマンド1世の息子で、先王エドウィの実弟です。959年に全イングランドの王として即位したとき19歳でした。エドガーがイングランド王として即位したのは959年ですが、戴冠式はバース(bath)で973年に行われました。この戴冠式は、治世の開始を示すよりむしろ治世の絶頂を示すものとして、ダンスタンによって慎重に計画されたものでした。

エドウィ(Eadwig)

エドウィはエドマンド1世の長男です。先王エドレッドの甥にあたります。即位したのは16歳のときでした。 4年に満たないエドウィの治世は、諸侯や高位聖職者との争いが絶えないものでした。エドウィは、社会に大きな影響力をもっていた司教ダンスタン(Dunstan)を追放してしまったため、好ましく思われませんでした。エドウィは、20歳で亡くなります。亡くなった時の状況について、記録はないそうです。クヌートに殺害されたとする説がありますが定かではありません。

《 本の紹介 》

イングランド王国前史 五世紀半ば、ブリテン島を支配していたローマ人が去った後にやってきたアングロサクソン人。彼らはいかにして「七王国」時代を築いたのか。

消えたイングランド王国 本書は、歴史の狭間に消えゆく故国に命を賭した、誇り高き、最後のアングロサクソン戦士たちの史録である。

ヴァイキングの歴史 時に傭兵として、商人として、あるいは政治的支配者として東西ヨーロッパの歴史に深く関与し、他方で農業を生業として独自の法的社会を築いており、その実態は一様には語れない。

?>