z. アングロ・サクソン

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北西ヨーロッパからブリテン島へ移住したゲルマン語諸族のアングロ人、サクソン人、ジュート人

エドマンド1世(Edmund I)

エドマンド1世は、異母兄弟にあたる先王アゼルスタンの跡を継いで国王に即位しました。まだ18歳でしたが、すでに2年前、先王に付き従って「ブルナンブルの戦い(Battle of Brunanburh)」にも参戦していました。 エドマンド1世は、北欧系の支配者に奪われていた北イングランド一帯の再征服に成功します。 さらにストラスクライドに進軍し、これを征服します。そうしてストラスクライドとカンブリアをスコットランド王マルカム1世に返還することと引き換えに、自身を上王として認めさせました。

アゼルスタン(Æthelstan)

アゼルスタンは、エドワード長兄王の息子で、アルフレッド大王の孫にあたります。アゼルスタンは937年の「ブルナンブルの戦い(Battle of Brunanburh)」に勝利してイングランドの領域を広げました。この戦いは、かつてないほどの血みどろの戦いとして語り継がれています。アゼルスタンは、スコット人、ケルト人、デーン人およびバイキングからなる同盟軍を打ち負かし、「全ブリテンの王」を名乗りました。

アルフレッド大王(Alfred the Great)

アルフレッドは849年頃、バークシャー(Berkshire)のワンテジ(Wantage)に生まれ、立派な教育を受けて育ちました。ローマへ訪れる機会も2度あったと云われています。 即位すると、デーン人(=バイキング / Vikings)との緊迫した関係のなかで、5年におよぶ平和を維持しました。 しかし877年、デーン人がウェセックス王国に奇襲をかけます。 デーン人の奇襲を受けて、アルフレッドはサマーセット(Somerset)の小さな島(Athelney)に退避することを余儀なくされました。ここで反撃の作を練ったとされています。

エゼルレッド(Æthelred the Unready)

エゼルレッドは先々王エドガーの息子で、暗殺された先王エドワードの異母弟です。即位したのは10歳のときでした。 エゼルレッドは北欧人の来襲に対し、筋の通った抵抗を示しませんでした。これがエゼルレッドのニックネーム「unready(準備不足)」の由来である、とよく言われます。じつは古英語でのスペルは少し異なり、意味もかなり違うのですが、残念ながら「unready(準備不足)」がしっくりくる治世となってしまいました。

イングランドのバイキング時代

793年にバイキングの襲撃があったことが「アングロサクソン年代記」に記録されています。バイキングはリンディスファーン修道院を襲い、修道僧を殺し貴重品や金品を奪いました。この襲撃は「バイキングの侵略」の始まりとして位置付けられています。

エドワード証聖王(Edward the Confessor)

ノルマンディで四半世紀を過ごしてきたエドワードは、即位すると、廷臣や高位の聖職にノルマンディの人びとを就任させ、身の安全をはかりました。イングランドではクヌートの時代に台頭したウェセックス伯ゴッドウィン家が、政治的な権力を握りました。

アングロ-サクソン人の侵入と定着:ローマ撤退後のブリテン島(3)

アングロ-サクソン人は、現在のデンマークや北ドイツやオランダに相当する地域から、北海を南へ渡ってきた人々でした。航海術に長け、過去何年ものあいだに沿岸地域を襲っては、彼らが住まうための土地を要求したり、ときには地元の人々を追い払うこともありました。 サクソン人はさらなる土地を求めて内陸に目を向けます。ブリトン人との抗争は避けられないものになりました。

アングロサクソン人の社会

ノルマンコンクエスト(1066)が起こる前のイングランドは、アングロサクソン人が統治する王国でした。 アングロサクソン時代の初期、イングランドの土地のほとんどは森でした。人口も少なく、総じて100万人ほどだったと推測されています。ひとびとは小さな村に暮らしていました。ほとんどの村は100人未満の人口でした。それぞれ村単位で自給自足の生活をし、衣食をまかないました(塩と鉄だけは外部から入手しました) […]

エドワード長兄王(Edward the Elder)

エドワードは、従兄弟エルウォルド(Æthelwold)に勝って即位しました。エドワードは先王アルフレッドの長男ですが、王位継承権は保証されていませんでした。当時の社会では、王族のなかで強い者に同等の王位継承権があったのです。エドワードはその治世に置いて、南イングランドと中央イングランド(Midlands)をデーン人から奪還します。デーン人の支配域はノーザンブリアのみに縮小されました。 またマーシア卿に嫁いでいた姉エセルフリーダ(Aethelflaed of Mercia)が亡くなったあと、エドワードはマーシアの支配も兼ねるようになりました。

アングロサクソン時代の文化

ラテン語と古英語 中世のヨーロッパではほとんどの書物がラテン語で書かれていました。しかし、ラテン語を理解できるのは、ほぼ聖職者だけでした。 このようなヨーロッパにおいて、イングランドは少し特異でした。書物に古英語も使われていたのです。古英語は多くのひとの話し言葉でした。 書物の多くは聖職者によって書かれたものだったので、必然的に宗教色の強いものが多くなります。しかし聖職者以外のひとが古英語で書いた […]

《 本の紹介 》

イングランド王国前史 五世紀半ば、ブリテン島を支配していたローマ人が去った後にやってきたアングロサクソン人。彼らはいかにして「七王国」時代を築いたのか。

消えたイングランド王国 本書は、歴史の狭間に消えゆく故国に命を賭した、誇り高き、最後のアングロサクソン戦士たちの史録である。

ヴァイキングの歴史 時に傭兵として、商人として、あるいは政治的支配者として東西ヨーロッパの歴史に深く関与し、他方で農業を生業として独自の法的社会を築いており、その実態は一様には語れない。

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