19世紀のイギリス(年表式)
       

19世紀のイギリスは産業革命によって大きく変化しました。19世紀はじめの国勢調査では全人口の2割だけが都市部に暮らしていましたが、中ごろには全人口の半数が都市部へ移り、20世紀が近づくころには3分の2が都市部へ移住していました。当初は農業が中心の社会でしたが、後半になるにつれ工業が一般的になりました。職人の手で作られていた品物は、機械で造られるようになりました。

扉絵:Victorian School of Art and Science at Stroud, Gloucestershire.  (C)

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1807年

奴隷貿易の廃止

奴隷貿易に反対する議会のリーダーを務めたウィリアム・ウィルバーフォースが、学生時代からの友人で政治家であるピットに働きかけ、奴隷貿易禁止法を実現させた。

The House of Commons in Wilberforce’s day by Augustus Pugin and Thomas Rowlandson (1808–1811) (C)

1814年

ナポレオンがエルバ島に送られる

2年前の1812年、ナポレオン軍はロシア侵攻を試みた。ロシア軍は、焦土戦術で敵兵を減らし、モスクワ(ナポレオンが入城を果たした)に放火して焼け野原にするなどして、ナポレオン軍に撤退を決意させる。撤退の道中、冬将軍の到来に加えて発疹チフスの流行があり、ロシア国境まで生還したフランス兵はわずかであった。この大敗を受けてヨーロッパ諸国が活気づく。第六次対仏大同盟によって、1814年にパリが陥落して、ナポレオンはエルバ島へ流された。

1815年

ウォータールー(ワーテルロー)の戦い

エルバ島を脱したナポレオンが復位し連合国に講和を提案するが、否定されて戦争に至った。ナポレオンは、ウェリントン公率いるイギリス軍およびプロイセンの連合軍にワーテルローの戦いで完敗する。ナポレオンは再び退位させられ、セントヘレナ島に幽閉されて生涯を終えた。

ワーテルローの戦い
The Battle of Waterloo by Clément-Auguste Andrieux (C)

1819年

ピータールーの虐殺

マンチェスターのピータズフィールドで、選挙法改正を求めて集会を開いていた群衆に、鎮圧のため騎兵隊が突入し、多数の死傷者が出る惨事となった事件。

8月19日:ピータールーの虐殺
To Henry Hunt, Esq., as chairman of the meeting assembled in St. Peter’s Field, Manchester, sixteenth day of August, 1819, and to the female Reformers of Manchester and the adjacent towns who were exposed to and suffered from the wanton and fiendish attack made on them by that brutal armed force, the Manchester and Cheshire Yeomanry Cavalry, this plate is dedicated by their fellow labourer, Richard Carlile. (C)

1825年

ストックトン・アンド・ダーリントン鉄道が開通

イングランドの土木技術者、機械技術者のジョージ・スチーブンソンが、世界で初めて公共鉄道の実用化に成功。「鉄道の父」と呼ばれる。

鉄道開通式
In the Opening of the Stockton and Darlington Railway, a watercolour painted in the 1880s by John Dobbin, crowds are watching the inaugural train cross the Skerne Bridge in Darlington. (C)

1829年

ローマカトリック教徒救済法を可決

カトリック教徒解放運動は長年におよぶものだが、その中で最も重要な施策が同年のカトリック教徒救済法であり、アイルランドの政治家ダニエル・オコンネルらによる運動の結果、残存していた多くの制約を取り除くものとなった。

1832年

中産階級に選挙権が拡大

第1回選挙法改正ホイッグ党のグレイ内閣によって、都市の中産階級に選挙権が拡大された。

1834年

”トルパドル殉教者(Tolpuddle Martyrs)”が流刑でオーストラリアへ

密かに農作業員の組合へ誓いを立てたグループが有罪判決を受けて流刑となった。

1837年

ビクトリアが女王になる

ビクトリアは、ジョージ3世の第4王子であるケント公エドワードの一人娘。3人の伯父たちが嫡出子を残さなかったため18歳でハノーヴァー朝第6代女王に即位する。世界各地に植民地をもつ大英帝国時代を象徴する女王として知られ、その治世は「ヴィクトリア朝」とも呼ばれる。

ヴィクトリア女王の戴冠
Coronation portrait by George Hayter (C)

1845-1850年

アイルランドのジャガイモ大飢饉

ジャガイモの疫病死による不作はヨーロッパ全土で起こったが、アイルランドについては、その後の政策が悪く大飢饉が引き起こされた。アイルランドの領主のほとんどがブリテン島在住のイングランド人・スコットランド人だったため、領民の救済よりも地代収入を優先し、ジャガイモの輸出を制限しなかった。このためアイルランド内で餓死者が続出、飢饉を逃れるため多くがアメリカ等へ移住した。

アイルランドのジャガイモ飢饉
The scene at Skibbereen, west Cork, in 1847. From a series of illustrations by Cork artist James Mahony (1810–1879), commissioned by Illustrated London News 1847. (C)

1846年

穀物法が廃止され自由貿易体制が確立

穀物法は、地主貴族層が利益を守るために、外国産小麦の輸入を禁止して穀物価格を高値で維持していたものだが、産業資本家にとっては穀物が安価であるほうが労働者賃金を引き下げやすいため、反対運動を起こした。

1848年

『共産党宣言』を発行

ドイツのカール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスが書籍『共産党宣言』を発行

1851年

ロンドン万国博覧会

ロンドンのハイドパークで世界で最初の国際博覧会が開催される

1853-1856年

クリミア戦争

オスマン帝国の弱体化に乗じてロシアが南下してきたたため、警戒を強めたイギリスとフランスが、オスマン帝国と同盟を結んで戦争に至る。看護師ナイチンゲールが戦地へ赴き負傷兵たちへ献身した。

クリミア戦争の講和会議
締約国:イギリス、フランス、オーストリア、プロイセン、サルデーニャ、オスマン帝国、ロシア
The Treaty of Paris of 1856 brought an end to the Crimean War between the Russian Empire and an alliance of the Ottoman Empire, Great Britain, the Second French Empire and the Kingdom of Sardinia. (C)

1854年

コレラの感染源を発見

排泄物は下水道を通って、飲料水ともなるテムズ川へ流れ込んでおり、テムズ川は当時ひどい悪臭を放っていた。ジョン・スノー医師がコレラの感染源が汚染された飲み水であることを発見する。

John Snow (15 March 1813 – 16 June 1858)
John Snow (15 March 1813 – 16 June 1858) was an English physician and a leader in the development of anaesthesia and medical hygiene. (C)

1857-1858年

インド大反乱(セポイの反乱)

インドが、イギリスの植民地支配に対する民族的抵抗運動を起こす。インドでは「第一次インド独立戦争」と呼ばれる。

1867年

第二次選挙法改正法案が可決される

この選挙法改正によって有権者数は100万人から200万人に増えた。

1870年

教育基本法が成立

無料の学校が導入され、10年後には10歳までの義務教育が敷かれる。

1879年

ズールー戦争

イギリス帝国と南部アフリカのズールー王国との間で戦われた戦争。イギリス領ナタールへの脅威であるズールー王国の軍事組織の解体を要求したのに対して、ズールー国王が拒んだことから起こった。イギリスが勝利し、ズールー王国の独立が喪失した。

1882年

フェニックスパークの暗殺事件

首相によりアイルランド担当大臣に任ぜらたフレデリック・キャヴェンディッシュと次官が、赴任先のアイルランドで人民族主義者(Irish National Invincibles)により暗殺された事件。

1884年

第三次選挙法改正法案が可決される

農業労働者・鉱山労働者が選挙権を得る

1889-1896年

ローデシアを掌握

セシル・ローズが南アフリカの一部(現ジンバブエ)を掌握ローデシアと命名した。

1893年

イギリス初の労働党議会議員

ジェームズ・ケア・ハーディ(James Keir Hardie)が労働党を創設しイギリス初の労働党議会議員となる。

1897年

National Union of Women’s Suffrage Societies (NUWSS)

女性参政権協会全国連合の結成


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