ヘンリー3世(Henry of Winchester)
ヘンリー3世は、第一次バロン戦争の最中に、9歳でイングランド国王に即位しました。僧侶によって育てられ、敬虔なキリスト教信者となり、芸術や学術、建築に傾倒しました。ゴシック様式でウェストミンスター修道院の再建を命じたのもヘンリー3世です。聖職者や妃の影響を受けやすい意志薄弱な人物だったと評されることがあります。 治世の後半に、第二次バロン戦争が勃発し、戦に負けて捕らわれの身となりました。その間に権力 […]
ヘンリー3世は、第一次バロン戦争の最中に、9歳でイングランド国王に即位しました。僧侶によって育てられ、敬虔なキリスト教信者となり、芸術や学術、建築に傾倒しました。ゴシック様式でウェストミンスター修道院の再建を命じたのもヘンリー3世です。聖職者や妃の影響を受けやすい意志薄弱な人物だったと評されることがあります。 治世の後半に、第二次バロン戦争が勃発し、戦に負けて捕らわれの身となりました。その間に権力 […]
ローマが撤退した410年以降、旧支配下域はローマの加護を受けられなくなり、混乱の時代を迎えます。この時代の文献はほとんど残っていません。市は崩壊し、建物には石よりも木が作られるようになり、ローマ侵攻以前のケルト的なヒルフォート(Hillfort)が目立つようになりました。
ハーデクヌーズは、クヌート大王と正妃エマの間に生まれました。1040年、ハーデクヌーズは、ハロルドが君臨するイングランドに侵攻する予定でしたが、その直前にハロルドが24歳の若さで急死しました。イングランドに上陸したハーデクヌーズは、すぐさま、新国王としてイングランドの人びとに受け入れられました。しかし1042年、ハーデクヌーズは廷臣の結婚を祝う宴会の最中に急逝します。
エドワード1世は政治力と武勇に長けた人物でした。 議会を開く際、聖職諸侯や世俗諸侯に加えて騎士や庶民の代表を招聘することが多かったため、その初めとされる1295年の議会は、後世「模範議会」として知られることになりました。 このほか、ウェールズを征服してイングランドに併合したこと、息子をウェールズ大公に叙したこと、スコットランドへの侵攻なども、エドワードの治世の重要なできごとです。 いっぽうで愛妻家 […]
アン女王はステュアート王家最後の君主です。ジェームス2世の次女ですが、イングランド国教会を信仰するプロテスタント派です。メアリ2世の王配であったウィリアム3世の跡を継いで、1702年に即位しました。 アン女王はあまり聡明ではなかったと伝えられており、また健康面にも問題を抱えていました。 アン女王の治世に起きた重要なできごとは、イングランドとスコットランドの統一です。これまでは、同君連合ではあるもの […]
エドマンド1世は、異母兄弟にあたる先王アゼルスタンの跡を継いで国王に即位しました。まだ18歳でしたが、すでに2年前、先王に付き従って「ブルナンブルの戦い(Battle of Brunanburh)」にも参戦していました。 エドマンド1世は、北欧系の支配者に奪われていた北イングランド一帯の再征服に成功します。 さらにストラスクライドに進軍し、これを征服します。そうしてストラスクライドとカンブリアをスコットランド王マルカム1世に返還することと引き換えに、自身を上王として認めさせました。
バイキングはダブリンのほかにも町を築き、アイルランドそして西ヨーロッパの経済に影響をあたえるようになります。ブライアン・ボルは、事実上アイルランドを統一したとも言えるでしょう。ディアルマド・マク・マール・ナ・ムボはダブリンをも掌握しアイルランドの覇権はスコットランド沖まで拡大します。トイルデルバフはフランス、スペイン、イングランドの支配者や権力者と政治的および商業的なつながりがあり、アイルランドの存在感を示すとともに交易の発展に貢献しました。
ヘンリー8世は、イングランド国教会を設立したこと、そして6人の妃をもったことで知られています。これらは後継ぎの男児を切望したためだと云われています。 ヘンリー8世と最初の妃との間に産まれた男児は生後間もなく亡くなってしまいました。妃が出産の難しい年齢にさしかかると、ヘンリー8世は再婚を考えます。再婚するには、最初の妃との結婚を無効化する必要があり、これにはローマ教皇の承認が必要でした。しかしローマ […]
イングランド国王になったヘンリー1世は、のちに長兄ロバートとの戦いにも勝利して、ノルマンディ公爵領をも支配下に収めました。ヘンリー1世は勤勉で聡明な王として知られています。嫡男を海難事故で失ったため、娘への王位継承を段取りしますが、その死後に内戦となりました。
ヘンリー6世はヘンリー5世の息子です。トロワ条約※を結んだ父王エドワードと母方の祖父シャルル6世が相次いで急逝したため、生後9ヶ月未満で、イングランド国王およびフランス国王として即位することになりました。 ※トロワ条約…1420年にイングランドとフランス間で結ばれた和平条約。 ヘンリー5世にフランス王位の継承権を認める内容で、その一環としてヘンリー5世とシャルル6世の娘カトリーヌ(キャサリン / […]
《 本の紹介 》