CATEGORY 近世

テューダー朝・ステュアート朝・(ジョージアン期の)ハノーヴァー朝

英国国教会から分離独立したメソジスト派の起源を知る

18世紀のイギリス、とくに都市部は、ジン・クレイズ-ジンに狂った時代-に代表される怠惰な社会に犯罪が蔓延していました。人々の心から信仰が忘れ去られ、宗教的な無関心が不道徳や無秩序のはじまりだとする考え方も広まりました。こうした社会のなかで信仰復興運動が起こりメソジスト派の起源となります。メソジスト派の運動はイングランドではじまったのです。

ピューリタン革命 – 3つの王国の戦争(前編)

「ピューリタン革命」は、チャールズ1世による専制政治に対して起きた内戦です。イギリスではこれを「ピューリタン革命」とは呼ばず、「イングランド内戦(English Civil War)」あるいは範囲を広げて「3つの王国の戦争(Wars of the Three Kingdoms)」と呼んでいます。 3つの国とは、イングランド、スコットランド、アイルランドを指します※。1625年に即位し1649年に処 […]

アメリカ革命のながれ(2/2)

アメリカ革命(独立)戦争は「英領北アメリカの13植民地人」と「国王代理の総督府」の間に生じた亀裂が大きくなった結果の、”内戦”としてはじまりました。1778年にはフランス国が植民地人サイドについて参戦してきます。イギリスの内戦であったものが、国家間の対立に発展しました。1781年、バージニアのヨークタウンでイギリス軍が敗戦します。公式の終戦は1783年ですが、植民地人はここで事実上の独立を勝ち取ったようなものです。

グレートブリテン王国の成立とハノーヴァー家への王位継承

1702年、ステュアート朝のアン女王( Anne, Queen of Great Britain )が戴冠します。ジェームズ2世の娘ですが、彼女の信仰は英国国教会でした。血筋についても信仰についても、心配ありませんでした。しかし後継ぎがないのは問題でした。嫡子はありましたが、1700年に11歳で世を去ったグロスター公ウィリアム( Prince William, Duke of Gloucester )を最後に、みな早世していたのです。

「ボストン茶会事件」こぼれ話と事件の影響

「茶会事件」に、イギリス政府は厳しく応じました。1774年イギリス議会は「強制諸法(Coercive Acts)」と総称される懲罰的な一連の法を通過させます。マサチューセッツの自治権の剥奪し、ボストン港を封鎖しました。イギリス政府が布く様々の条令に対抗するため、13植民地は「第一次大陸会議」を招集します。

ピューリタン革命 – 3つの王国の戦争(後編)

第一次イングランド内戦では、ニューモデル軍の活躍で議会派が王党派に勝利しました。しかし議会派のなかで長老派と独立派の分裂がいっそう深まります。 このページは、の続きです。 1647-48年:第二次イングランド内戦 チャールズ1世の身柄、イングランド議会へ引き渡し 議会の長老派と独立派の分裂を加速させる狙いをもって、チャールズ1世はあえてスコットランド盟約者※だけに降伏し、スコットランドで捕虜となり […]

18世紀のイギリス(年表式)

18世紀のイギリスはいくつもの戦争に特徴づけられます。とくに対フランス戦です。同時に第一大英帝国と呼ばれるにいたる発展と衰退を経験し、19世紀をまえに第二大英帝国の基盤が築かれました。国内の社会が成長をみせ、経済的にも安定した時代でした。 扉絵:It was commissioned by the de facto first British Prime Minister, Sir Robert […]

エドワード6世(Edward VI)

エドワード6世は、ヘンリー8世と3番目の妃ジェーン・シーモアの息子です。9歳のとき、亡き父の跡を継いで国王となりました。政治については摂政に代わる評議会が設置されました。 エドワード6世は身体が弱く、結核であったと考えられています。15歳で世を去りました。 短い治世ではありましたが、この間にイングランドのプロテスタント化はいっそう進みました。イングランド国教会の祈祷書が書かれたのも、この時代です。 […]

ヘンリー7世(Henry VII)

ヘンリー7世は、ウェールズのテューダー家出身の国王です。ランカスター傍系の母方を通じて、イングランド王エドワード3世の血を引いており、「ボズワースの戦い」でリチャード3世を討って王位に就きました。 ヘンリー7世の治世の始まりは、中世の終わり/近世の始まりとして位置づけられています。 婚姻を通じてイングランド内のヨーク派とランカスター派の融合を図り、ばら戦争に終止符を打ちました。両家の紋章を掛け合わ […]

ロンドンに酔っ払いがあふれた時代-ジン・クレイズ-

17世紀後半~18世紀初頭にかけて、イギリス-とくにロンドン-で、「ジン」の消費量がいちじるしく上昇しました。ジンは蒸留酒です。この時期はジン・クレイズ(Gin Craze)-ジンに狂った時代-として知られています。多くの人が飲み過ぎで、市は酔っ払いであふれました。社会秩序が乱れ、ジンは蔓延する犯罪・売春・精神疾患などの原因であると考えられるようになりました。

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