今日「メソジスト」として知られるキリスト教の教派は、18世紀にジョン・ウェスリーらによって広められました。
飲酒と犯罪うず巻く18世紀の怠惰な社会を背景に起こった信仰復興運動
18世紀のイギリス、とくに都市部では、怠惰な社会に犯罪が蔓延していました。ジン・クレイズ( ジンに狂った時代 / Gin Craze )として知られています。
18~19世紀初頭を描いた小説や映画に登場する警備隊「ボウ・ストリート・ラナーズ(Bow street runners)」が組織されたのも、この頃です(1749年~1839年)。
人々の心から信仰が忘れ去られ、宗教的な無関心が不道徳や無秩序のはじまりだとする考え方も広まりました。こうした社会のなかで信仰復興運動が起こり、メソジスト派の起源となります。メソジスト派の運動はイングランドではじまったのです。
中心となる伝道者として知られるのがジョン・ウェスリー(John Wesley)です。本格的に全土を巡って宣教をはじめるのは1739年のことです。
オックスフォード大学の「聖なる会」が「メソジスト」と揶揄され名称に
聖書に示されたメソッドに忠実な「聖なる会」
ジョンは弟のチャールズ・ウェスリー(Charles Wesley)らと共に、オックスフォード在学中に「聖なるクラブ(Holy Club)」を創設していました。このクラブの会員は、信心深く聖書に示されているメソッド(method)に忠実だったことから「メソジスト」と揶揄されるようになります。これが、メソジストという教派名の由来です。頻繁な聖餐式と週に2日の断食で知られました。
「聖なる会」の社会奉仕活動
1730年からは、クラブの活動に社会奉仕(social service)を取り入れました。オックスフォード監獄(Oxford prison)の囚人を訪ねて、字の読み方を教えたり、彼らの借金を払ったり、雇用を見つける試みなどを行いました。また救貧院や貧しい人々のもとを訪れて、食料・衣服・薬・本を配り、学校を運営しました。しかし、1735年にジョン・ウェスリーが”聖なる会”を去ると、活動がなくなりクラブは自然解散します。
ウェスリー、アメリカへ宣教に行き傷心して帰国
ジョン・ウェスリーは望まれて、当時イギリスの植民地であった北米のジョージアでの宣教につとめました。しかし個人的な失恋にともなう振る舞いで顰蹙を買い、傷心して帰国します。マルティン・ルターの「信仰によって救われる」という解釈、そしてまた、聖なる会のメンバだったジョージ・ホワイトフィールド(George Whitefield)に諭されて心機一転し、イギリスで熱心な説教活動を始めたのが1739年のことでした。
英国国教会から分離するのはジョン・ウェスリーの死後
ジョン・ウェスリーは、英国国教会内のグループとして「メソジスト協会(Methodist Society)」という名称を採用しました。これがメソジスト派として英国国教会から分離するのは、彼の死後のことです。
参考
John Wesley
John Wesley English clergyman
History of Britain and Ireland: The Definitive Visual Guide