メアリ1世(Mary I of England)
       

メアリ1世は、ヘンリー8世とアラゴン王女キャサリンの娘です。敬虔なカトリック信者で、スペイン王子(のち国王)フィリップと結婚しました。メアリ1世は、プロテスタント派の弾圧を行い、プロテスタント派の司教らを処刑し、イングランドの再カトリック化を図りました。このため、メアリ1世は「血のメアリ」という異名をもちます。

子供を授かることがなく、異母妹エリザベスに王位を継承しました。

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メアリ1世(Mary I of England)

治世1553年7月19日-1558年11月17日(5年122日)
継承権ヘンリー8世の娘
第三継承法による(Third Succession Act
生没1516年:場所 Greenwich Palace
1558年11月17日(42歳):場所 St James’s Palace
家系テューダー家(House of Tudor
父母ヘンリー8世(Henry VIII
アラゴン王女キャサリン(Catherine of Aragon
結婚1554年:スペイン国王フィリップ(Philip II of Spain
子供
埋葬Westminster Abbey
イングランド女王メアリ1世

年表

1553ジェーン・グレイが義父ノーザンバランド公爵によって女王に擁立される
9日後にロンドンに到着したメアリが女王として戴冠する
ジェーンは逮捕される
1554メアリ1世がスペイン王子フィリップとの結婚の意思を公表すると、トマス・ワット(Thomas Wyatt the Younger)がメアリ1世の廃位を企て反乱を起こす
ワットの反乱が失敗に終わる
ワットと、ジェーン・グレイおよび夫が、処刑される
メアリ1世の異母妹エリザベス(のちの1世)が、ワットの反乱への関与を疑われてロンドン塔に幽閉される
メアリ1世、スペイン王子フィリップ(のち国王)と結婚
メアリ1世の王位継承から4ヶ月後、イングランドにカトリックが復帰
プロテスタント派への迫害がはじまり、異端を裁く法が復活する
イングランドとローマ教会の和解が成立
1555プロテスタント派の司教が異端の罪で火あぶり刑に処される
エリザベスがロンドン塔から解放される
1556レジナルド・ポール枢機卿( Cardinal Reginald Pole )がカンタベリー大司教に任命される
先のカンタベリー大司教トマス・クランマー( Thomas Cranmer )が、異端の罪で火あぶり刑に処される
フィリップがスペイン王位を継承し(2世)、イングランドを去る
1557フィリップ2世がメアリ1世に、フランスへの宣戦布告を要請(スペインの同盟国イングランドとして)
1558フランスに所有していたイングランド王家の最後の領土カレーが、フランス軍の手に落ちる(Siege of Calais
メアリ1世が死去
イングランド女王メアリ1世の治世の年表

おもなできごと

メアリはヘンリー8世と最初の妃の娘

メアリー1世の父母は、ヘンリー8世とアラゴン王女キャサリン( Catherine of Aragon )です。ここに生まれた兄弟姉妹は他にもいましたが、メアリ以外は成人するまえに亡くなっていました。

後継ぎの男児を望んでいた父ヘンリー8世は、母キャサリンが40歳を迎えたとき、再婚するために現在の結婚を無効化することを考えました。しかしローマ教皇がこれを認めなかったため、ヘンリー8世はカトリック教会を離脱して、国王自身が最高権威となるイングランド国教会を設立しました。

敬虔なカトリック信者

ヘンリー8世は、その後5回も再婚しました。結局、ヘンリー8世の嫡出として無事に育つことができたのは3人だけでした。

  • メアリ…最初の妃が産んだ娘(カトリック派)
  • エリザベス…2番目の妃が産んだ娘(プロテスタント派)
  • エドワード…3番目の妃が産んだ息子(敬虔なプロテスタント派)

メアリは、カトリックの教育を受けて育ちましたが、イングランド国教会の設立後に生まれたエリザベスとエドワードは、プロテスタント教育を受けて育ちました。

9日間の女王ジェーンを廃して即位

1547年に9歳のエドワードがヘンリー8世の跡を継ぎましたが、6年後に病に伏すようになり、まもなく亡くなりました。

病の床でエドワードは、メアリの王位継承権の無効化を試みました。理由は、メアリがカトリック派であったためです。エドワード6世は、父ヘンリー8世が設立したイングランド国教会の在り方を、さらにプロテスタント寄りに改革していました。エドワード6世は、カトリック派のメアリによってこれらが覆されることを恐れたのです。

エドワード6世の意向と、政治力を握っていた貴族の思惑もあって、プロテスタント派のジェーン・グレイが次期女王として擁立されました。

これを受けてメアリは、イーストアングリアで軍を編成してロンドンに入城しました。このとき、これまでジェーンを支持していた貴族のほとんどが、メアリ支持派に鞍替えしました。メアリはジェーンを廃して、自身がメアリ1世として即位することに成功しました。

メアリ1世はイングランド初の「女王」として位置づけられています。

※「9日間の女王として知られるジェーン」および「ヘンリー2世の娘マチルダ(Empress Matilda)」は王位に就いたとしない(僭称扱い)のが一般的だが、異論もある。

ジェーンの処刑

メアリ1世は、当初はジェーンの命まで奪うつもりはなかったと云われています。しかしジェーンの父がメアリ1世に対する反乱に加わったため、最終的にはジェーンを処刑するに至りました。

280人以上を異端の罪で火刑「血のメアリ」

メアリ1世は、プロテスタント派の弾圧を行い、多くのプロテスタント派の聖職者を処刑しました。その数は280人を超えると云われています。このためメアリ1世は「血のメアリ(Bloody Mary)」としても知られています。

スペイン国王フィリップとの結婚(子は授からず)

メアリ1世は、スペイン王子フィリップ( Philip of Spain )と結婚しました。スペインはカトリック教国です。

フィリップは2年後にスペイン王位を継承してスペイン国王フィリップ2世となりました。これにともなって、メアリ1世はハプスブルグ家スペインの王妃という肩書も得ます。しかし二人は子供を授かることがなく、メアリ1世が亡くなると、フィリップはフランス国王の娘と再婚しました。

メアリ1世が亡くなったのは1558年です。メアリ1世が復活させたローマ・カトリック教会は、後継のエリザベス1世( Elizabeth I )によって覆されました。

地図

カレーの位置

フランス北部の地図
海峡沿いの黄色いエリアがカレー
出典 Wikimedia Commons

1066年にフランスのノルマンディ公爵がイングランドを征服し国王として君臨しました。このような出自から、かつてイングランド王家はフランスにも広大な領土を所有していました。これが徐々に侵略されカレーだけが残っていたところ、メアリ1世の時代に、ついにカレーをも失うことになりました。こうして、イングランド王家がフランスに所有する領土はすっかりなくなりました。

殉教者の十字架

オックスフォードのブロードストリートに十字の敷石が遺されています。3人のプロテスタント派の司教(Hugh Latimer、Nicholas Ridley、Thomas Cranmer)が、メアリ1世によって火刑に処された場所です。

16世紀当時のこの場所は、市の北門の外にある堀でした。現在はオックスフォードの中心の一部になっており、カフェやショップが建ちならんでいます。


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参考
Kings and Queens of England & Britain
Mary I
Queen Mary I
A Brief History of British Kings & Queens
The Oxford Martyrs

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