F.09.2 キャロリアン期

(1625–1649)

イングランドのカントリーハウス(2)建築様式の混合

長い歴史をもつカントリーハウスのなかには、ファサードやウィングに時代ごとの建築様式が混在しているものがあります。 時の有名建築家を雇える人は限られていましたので、おおくのカントリーハウスは、おもに地元の建築家によって改築されました。そのテイストは実用的で、時代の流行にも左右されました。

17世紀のイギリス(年表付き)

1603年にエリザベス1世が崩御すると、スコットランド王のジェームズ6世がイングランド王に即位してジェームス1世となり、ステュアート朝が始まります。テューダー朝イングランドのヘンリー7世はジェームズ1世(6世)にとって高祖父にあたります。 彼のイングランド王即位をもって、イングランド(ウェールズを含む)、スコットランド、アイルランドが共通の1人の王のもとで治められる初めての機会となりました。彼は当 […]

チャールズ1世(Charles I)

チャールズ1世はジェームス6世/1世※の息子です。王権神授説を信じ、議会との関係を難しくしました。事態は悪化の一途をたどり、1642年に始まるイングランド内戦(ピューリタン革命)に発展します。 王党派は、議会派のニューモデル軍に敗戦しました。チャールズ1世は捕らえられ、投獄され、裁判にかけられました。 議会派のなかには「国王と条件付きの和解を求める人たち」と「国王の処刑を望む人たち」がいました。意 […]

イングランドのカントリーハウス(1)成り立ちと建築様式の変化

カントリーハウスの建築様式は様々です。中世のものから、テューダー朝エリザベス時代の様式、あるいは後のゴシック様式やバロック様式、摂政時代に新築されたパッラディーオ様式、そこから少し時代を下ったビクトリアン様式などがあります。

ピューリタン革命 – 3つの王国の戦争(後編)

第一次イングランド内戦では、ニューモデル軍の活躍で議会派が王党派に勝利しました。しかし議会派のなかで長老派と独立派の分裂がいっそう深まります。 このページは、の続きです。 1647-48年:第二次イングランド内戦 チャールズ1世の身柄、イングランド議会へ引き渡し 議会の長老派と独立派の分裂を加速させる狙いをもって、チャールズ1世はあえてスコットランド盟約者※だけに降伏し、スコットランドで捕虜となり […]

ピューリタン革命 – 3つの王国の戦争(前編)

「ピューリタン革命」は、チャールズ1世による専制政治に対して起きた内戦です。イギリスではこれを「ピューリタン革命」とは呼ばず、「イングランド内戦(English Civil War)」あるいは範囲を広げて「3つの王国の戦争(Wars of the Three Kingdoms)」と呼んでいます。 3つの国とは、イングランド、スコットランド、アイルランドを指します※。1625年に即位し1649年に処 […]

カントリーハウス:マナーハウス や タウンハウス との違いは?

そもそも「カントリーハウス」という言葉は、ロンドンなどの都市部に建つ「タウンハウス」に対比する言葉として使われ始めたそうです。裕福な貴族やジェントリは、所有する広大な土地にお屋敷をもち、ロンドンなどの都市部にも邸宅をもっていました。季節ごとに滞在場所を変えて暮らしていたのです。「カントリーハウス」と混合されやすい言葉として「マナーハウス」があります。マナーハウスは、中世の封建領主の館です。後世、増改築して住宅として利用されたなら「カントリーハウス」の一種となります。

イギリスのカントリーハウス-3タイプ

パワーハウスとは最も巨大なカントリーハウスのことを言います。中世のホールハウスから発展して必要に応じて部屋が追加されたか、もしくは地元の建築家によって新たに建てられた邸宅を便宜的にマイナーカントリーハウスと呼びます。 パワーハウスに比べて規模は小さく、数の上では勝ります。19世紀の産業革命につづいて、第三のカントリーハウスが、新しい富裕層によって建てられました。ビクトリアンハウスです。

《 本の紹介 》

メイフラワー号の少女 1620年、新大陸アメリカへむかったメイフラワー号の苦難に満ちた航海を、ひとりの少女の日記を通して忠実に描く。

略奪の帝国 上: 東インド会社の興亡 18世紀、インドを征服した一企業による歴史的な組織暴力と、インドの悲劇を描いた、近年の歴史書最大の話題作、待望の邦訳!

図説 バロック 時代を画したバロックの建築・美術・音楽を総合的に論じる画期的な1冊。

クロムウェルとピューリタン革命 本書は、クロムウェルの思想と行動を通してそれを解明するものである。

イギリス革命史(上) オランダに侵攻した未曾有の大軍を前に国土を水没させてまで戦い抜いたオレンジ公、そのオランダと海上で戦ったのちのイギリス王ジェームズ2世の両名の前半生を、清教徒革命から英蘭戦争、オランダ戦争といったヨーロッパ史の中に位置づけて描き出す。

物語スコットランドの歴史 第二章 ステュアート朝の時代|第三章 グレートブリテン成立前夜|第四章 ジャコバイトの乱とその後

物語イギリスの歴史(下) 清教徒・名誉革命からエリザベス2世まで (中公新書)

スパイス戦争 ――大航海時代の冒険者たち 東南アジア島嶼部バンダ諸島を産地としていた香辛料ナツメグは黄金を凌ぐ価格で取引されるようになり、島の覇権をめぐってオランダとイギリスが凄惨な争いを繰り広げることになる。

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