A.1 シリーズ

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中世前期のイギリス(5世紀・6世紀・7世紀・8世紀・9世紀・10世紀)

5世紀ころからアングロ・サクソン人がブリテン島に侵攻し定住を始めます。 アングロ・サクソン人というのは、ゲルマン系の3つの部族”アングル人、ジュート人、サクソン人”の総称です。彼らは、現在のイングランドに相当するエリアに定着しました。アングル人が支配した土地だからアングランド⇒イングランドとなったようです。 アーサー王伝説では、ブリトン人のアーサーがアングロ・サクソン人の侵略を食い止めてブリテンの […]

ヘンリー4世(Henry of Bolingbroke)

ヘンリー4世は、エドワード3世の三男ランカスター公爵の息子です。プランタジネット本家のリチャード2世を廃して即位しました。その治世は、各地で勃発する反乱に翻弄されます。晩年は病をわずらい、ウェストミンスター修道院で祈りをささげている最中に発作がおきて亡くなりました。 ヘンリー4世(Henry of Bolingbroke) 治世 1399年9月30日-1413年3月20日(13年172日) 継承権 […]

ハーデクヌーズ(Harthacnut / Hardicanute)

ハーデクヌーズは、クヌート大王と正妃エマの間に生まれました。1040年、ハーデクヌーズは、ハロルドが君臨するイングランドに侵攻する予定でしたが、その直前にハロルドが24歳の若さで急死しました。イングランドに上陸したハーデクヌーズは、すぐさま、新国王としてイングランドの人びとに受け入れられました。しかし1042年、ハーデクヌーズは廷臣の結婚を祝う宴会の最中に急逝します。

[詳しく]2世紀のイギリス

2世紀のイギリス南部は、ローマ帝国の支配下にあり属州ブリタンニアと呼ばれていました。おおよそ現在のスコットランドに相当する北部は征服されず、昔ながらの部族が暮らしていました。 イギリス(ブリタンニア)は、ローマ帝国最北の国境地帯でもあり、重要な地位を占めていたことから多くのローマ軍隊が駐留しました。イギリス(ブリタンニア)は外部からの攻撃を受けることが多かったため、ローマ帝国は防衛に尽力しました。 […]

エドワード2世(Edward of Caernarfon)

エドワード2世は、エドワード1世の息子です。カーナーヴォン城で生まれ、1301年にウェールズ大公に叙されました。ピアス・ギャベストンをはじめとする取り巻きの影響を受けやすく、無能で軽薄と評されることが多い国王です。 対スコットランド戦では「バンノックバーンの戦い」で大敗します。スコットランドは勢いを得て、独立につながりました。 治世を通して諸侯の反感を買いつづけたため、王権の縮小や、議会の発展に、 […]

エドウィ(Eadwig)

エドウィはエドマンド1世の長男です。先王エドレッドの甥にあたります。即位したのは16歳のときでした。 4年に満たないエドウィの治世は、諸侯や高位聖職者との争いが絶えないものでした。エドウィは、社会に大きな影響力をもっていた司教ダンスタン(Dunstan)を追放してしまったため、好ましく思われませんでした。エドウィは、20歳で亡くなります。亡くなった時の状況について、記録はないそうです。クヌートに殺害されたとする説がありますが定かではありません。

18世紀のイギリス(年表式)

18世紀のイギリスはいくつもの戦争に特徴づけられます。とくに対フランス戦です。同時に第一大英帝国と呼ばれるにいたる発展と衰退を経験し、19世紀をまえに第二大英帝国の基盤が築かれました。国内の社会が成長をみせ、経済的にも安定した時代でした。 扉絵:It was commissioned by the de facto first British Prime Minister, Sir Robert […]

エドワード4世

エドワード4世はヨーク家出身の最初の国王です。父リチャード( Richard, Duke of York )※の意思をついで、ランカスター王家のヘンリー6世を廃して、王位につきました。 ※父リチャードは1460年の「ウェイクフィールドの戦い( Battle of Wakefield )」の戦いで命を落とした。 ヘンリー6世が復位した時期(およそ半年間)があるため、エドワード4世の在位期間は1461 […]

エドワード5世

エドワード4世が急逝したため、息子エドワードは5世として12歳で即位することになりました。治世は78日間と短く、戴冠することもありませんでした。 エドワード5世は、ロンドン塔に幽閉されて消息を絶った王子として知られいます。死因も遺体も特定されていません。 エドワード5世 治世 1483年4月9日-1483年7月25日(0年78日)護国卿:グロチェスター公爵リチャード 継承権 エドワード4世の息子 […]

12世紀のヨーロッパの服装【男性編】

このページは、12世紀のヨーロッパの服装【男性編】です。 12世紀ヨーロッパの服装の「概要」および「女性編」は下記リンク先を参照してください。 下着 / 肌着 チェニックとブレイズの組み合わせ 下着/肌着は、インナーチェニックまたはタイトな長袖のシャツおよび、猿股のようなパンツ( drawers/braies/ブレイズ )で構成されました。布地はリネンであることが多かったようです。 長靴下 ショー […]

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