【歴代】イギリスの君主(国王・女王)一覧
       

このページでは、4ヶ国すべての君主を掲載しています。知りたい国家および年代を、目次から選択してジャンプしてください。

※「イギリス」は正式名称を「グレートブリテン王国および北アイルランド連合王国(1922年成立)」といい、4つの国から成っています。イングランド・ウェールズ・スコットランド・北アイルランドです。国家と国名の変遷など、おおざっぱな通史を知っておきたい方は、国名の変遷 を参照してください。

日本の学校で習う世界史では「イギリスの君主」は、イングランドの ノルマンディ公爵ウィリアム1世 から始まります。

※このページは随時更新中です。少しずつ補完しています。

Advertisement

イングランドの君主(871-1542)

※青文字の国王名 をクリックすると、国王の詳細ページが開きます。

871-1016:ウェセックス家

871-899アルフレッド大王(Alfred the Great)
899-924エドワード長兄王(Edward the Elder)
924エルフウェルド(Ælfweard of Wessex)
924-939アゼルスタン(Athelstan)
939-946エドマンド(Edmund)
946-955エドレッド(Edred)
955-959エドウィ(Edwy)
959-975エドガー(Edgar the Peaceful)
975-978エドワード殉教王(Edward the Martyr)
978-1016エゼルレッド(Æthelred the Unready)
*デンマーク家のスヴェンに一時、王位をうばわれる
1016エドマンド2世(Edmund Ironside)
ウェセックス家(871-1016)

アングロサクソン時代

そのむかしブリテン島(イギリスの本島)の南部はローマ帝国の支配下にあった。ローマ帝国が滅亡してまもなくすると、ゲルマン民族の一派「アングロ・サクソン人」がこの地域で支配的になる。彼らが暮らす地域が「イングランド」と呼ばれるようになった。

アングロ・サクソン人は互いに覇権を争い、イングランドにはいくつもの国が乱立した。群雄割拠の時代を経て最終的にイングランドの統一に成功したのがウェセックス国王である。ウェセックス王国の建国は6世紀頃だが、イングランド統一の兆しが見え始めた時代の「アルフレド大王」を、ここでは初代イングランド国王としておく。他の国王を初代とする解説も存在する。

関連記事アングロサクソン七王国:バイキングの侵攻とウェセックス王国の台頭(9世紀)
抜粋文:アングロサクソン人が「大異教軍」と呼んだこの軍団は、871年にスカンジナビアから到来した「大夏軍」によってさらに増強されました。そしてこののち10年以内に、アン.....

1013-1042:デンマーク家

(1013-1014) 41日間:スヴェン(Sweyn Forkbeard)
1016-1035クヌート大王(Cnut the Great / Canute)
1035-1040ハロルド1世(Harold Harefoot)
1040-1042ハーデクヌーズ(Harthacnut / Hardicanute)

デンマークの王家がイングランド王位を奪取

デンマーク王家の王子スヴェンは実父を倒してデンマーク王位を奪取し、さらにイングランドに侵攻してイングランド王位の奪取にも成功した。しかしあえなく41日後に死亡する。

イングランド王位はふたたびウェセックス家に戻るが、スヴェンの息子クヌートが王位継承を主張してイングランドに乗り込み、王位奪取に成功した。こうしてデンマーク家による支配がはじまった。

イングランド人は、北欧からの侵略者を「ヴァイキング」と呼んだ。この時代は、イングランドにヴァイキングの王が君臨した時代であると解釈できる。

1042-1066:ウェセックス家

1042-1066エドワード証聖王(Edward the Confessor)

ウェセックス家最後の国王

エドワード証聖王は、母方の実家であるフランスのノルマンディで亡命生活を送っていた。父王エゼルレッドがクヌートに討たれ、イングランドにデンマーク家が君臨したからだ。(ちなみに王妃であった母は未亡人となったが、侵略者クヌートと再婚した。ここに生まれたのが先王ハーデクヌーズ。)

ハーデクヌーズが世継ぎのないまま亡くなったので、ウェセックス家が王位に復帰できたわけだが、エドワード証聖王も世継ぎには恵まれなかった。

1066:ゴドウィン家

1066ハロルド・ゴドウィンソン(Harold Godwinson)

ゴドウィン家

ゴドウィン家は、クヌート大王の時代に抜擢されて台頭し、最有力貴族となっていた家系。ここに生まれたハロルドは、父からアングロ・サクソンの血をひき、母からはデンマーク系の血を引いていた。さらに妹がエドワード証聖王に嫁いでいることから、エドワード証聖王の義兄でもあった。

ハロルドは、エドワード証聖王から王位継承の遺言を受けたと主張して王位に就くのだが、イングランド王位の請求者は他にもいた。強力な三者による王位争奪戦へと発展し、最終的に勝利したのがノルマンディ家のウィリアムだ。

1066-1135:ノルマンディ家

1066-1087ウィリアム1世(William the Conqueror)
*ノルマンディ公爵
*ングランド征服
*ドームズディブック
1087-1100ウィリアム2世(William Rufus)
*ウィリアム1世の息子
*狩猟中に事故死または暗殺
1100-1135ヘンリー1世(Henry Beauclerc)
*ウィリアム1世の末男
*財務府の新設と巡回裁判
*ノルマンディ公爵位奪取
*嫡男が海難事故死
*娘マチルダを継承者に指名

ノルマン人によるイングランド征服

フランスのノルマンディを拠点とするノルマンディ公爵ウィリアムが、イングランドの王位争奪戦に参戦して勝利した。ウィリアムはイングランド王位に就くと、既存のイングランド諸侯の土地を没収して、戦で功績のあったノルマンディ諸侯に封土として分け与えるという、前代未聞の大征服をおこなった。

なおノルマンディ公国は、エドワード証聖王が四半世紀におよぶ亡命生活を送った場所。ウィリアムとは知り合いであり、遠縁の親戚同士でもある。ただしウェセックス家とノルマンディ家には直系の血縁関係はない。

関連記事ノルマンコンクエスト:ヘイスティングスの戦い
抜粋文:1066年、ノルマンディ公爵ウィリアムが、イングランドに侵攻し国王ハロルドを破りました。ウィリアムはイングランド王として戴冠し、ノルマン人によって国土が審査され.....

1135-1154:ブロワ家

1135-1154スティーブン(Stephen of Blois)
*母方の祖父がウィリアム1世
*王位簒奪
*マチルダとの王位継承戦争

王位継承戦争

ノルマンディ家のヘンリー1世は嫡男を海難事故で亡くしてしまった。やむを得ず娘のマチルダを王位継承者に指名するが、ヘンリー1世の死後に王冠を手にしたのは、甥のスティーブンだった。

スティーブンの治世は、マチルダとの王位継承戦争に明け暮れる。最終的に「ひとまずはスティーブンの王位を認め、スティーブンの死後は、マチルダの息子ヘンリーが王位を継ぐ」という条件で事態がおさまった。こうしてプランタジネット朝へと続く。

1141-1399:プランタジネット家

1154-1189ヘンリー2世(Henry Curtmantle)
1171年~:兼 アイルランド卿(ヘンリー8世まで継承)
*母方の祖父がヘンリー1世
*ウォーリングフォード協定に基づく即位
*フランス内の領土拡大(アンジュー帝国)
*トマス・ベケット殺害事件
1189-1199リチャード獅子心王(Richard the Lionheart)
*ヘンリー2世の息子
*十字軍遠征
1199-1216ジョン
*ヘンリー2世の末男
*フランス内の領土ほとんど失う(アンジュー帝国終了)
*マグナ・カルタ(大憲章)
*第一次バロン戦争
1216-1272ヘンリー3世
*ジョンの息子
*第二次バロン戦争
*シモン・ド・モンフォールの議会
1272-1307 エドワード1世
1283年:ウェールズ併合
*ヘンリー3世の息子
*模範議会
*息子をウェールズ大公に叙す(慣習の始まり)
*スコットランド制圧ならず
1307-1327エドワード2世
*エドワード1世の息子
*寵臣ピアス・ギャベストン
*スコットランドに大敗
*ディスペンサー戦争
*妃イザベラによるイングランド侵攻
*廃位
1327-1377エドワード3世
*エドワード2世の息子
*二院制のはじまり
*公爵位を制定
*バロワ家との仏王位争い開始(英仏百年戦争)
*黒太子が先立つ
*黒死病(ペスト)の流行
*善良議会(弾劾)
1377-1399リチャード2世
*エドワード3世の孫(10歳で即位)
*ワット・タイラーの乱(農民一揆)
*1386年議会(弾劾)
*バロワ家と休戦和平条約(英仏百年戦争)
*廃位

プランタジネット家の出自

プランタジネット家は、またの名をアンジュー家という。ヘンリー2世は、父からフランスのアンジュー伯家の血と、伯位と、領土を継いでいるからだ。

ただしこの領土はジョン王の時代に失われる。もはやアンジュー伯ではなくなった家系をアンジュー家と呼び続けることに無理が生じたため、便宜的に「プランタジネット家」という呼称がもちいられている。

プランタジネットとはラテン語で「エニシダ」のこと。ヘンリーの父が冑(かぶと)にエニシダの小枝を挿していたことに由来するとされる。

1399-1461:ランカスター系

1399-1413ヘンリー4世
*祖父がエドワード3世
*王位簒奪
*各地の反乱制圧に奔走
1413-1422ヘンリー5世
*ヘンリー4世の息子
*対バロワ家戦に勝利(百年戦争)
*フランス王位継承権を獲得
*急死(34歳)
1422-1461ヘンリー6世
*ヘンリー5世の息子
*生後9ヶ月で即位
*英仏両国で戴冠
*対バロワ家戦に敗退(仏ジャンヌ・ダルク登場、百年戦争の終戦)
*イングランド貴族の内戦ぼっ発(薔薇戦争)
*廃位のち殺害

ランカスター家はプランタジネット家の分家

ヘンリー4世は、エドワード3世の孫にあたる。プランタジネット本家のリチャード2世(従兄弟)を廃して、王位についた。ヘンリー4世の父がランカスター公爵位を授かっていたことから、ランカスター家として呼び分けられる。ランカスター家はプランタジネット家の分家であり、広義にはプランタジネット朝に含まれる。

1461-1485:ヨーク系

1461-1483エドワード4世
*高祖父がエドワード3世
*王位簒奪
*ウッドウィル家との結婚
*ウォリック伯が寝返る
*内戦継続(薔薇戦争)
*一時廃位のち復位
1483エドワード5世
*エドワード4世の息子
*弟とともにロンドン塔に幽閉
*廃位
1483-1485リチャード3世
*エドワード4世の弟
*ボズワースの戦いに敗れ戦死(薔薇戦争)

ヨーク公リチャードの意思をついで勝利したエドワード4世

エドワード4世の父ヨーク公リチャードが、ヘンリー6世と王妃マーガレットに対する反乱を起こした。リチャードは戦死するが、息子エドワードが父の意思をついでランカスター王家に勝ち、自らの即位に至った。

ヨーク家の家名は、エドワード3世の四男が叙された「ヨーク公爵」に由来する。ヨーク家もランカスター家も、エドワード3世の息子たちに始まる家系であり、広義にはプランタジネット家と総称できる。

少年王を廃して王位についたリチャード3世は、テューダー家のヘンリーに破れて戦死し、王位はテューダー家へと移る。

1485~:テューダー家

1485-1509ヘンリー7世
*ランカスター傍系(母方からエドワード3世の血を引く)
*ウェールズ人
*ボズワースの戦いに勝利(薔薇戦争)
*ヨーク家のエリザベスと結婚
*国内に安定と経済利益をもたらす
1509-1547ヘンリー8世
*ヘンリー7世の息子
*ローマ教会を離脱
*イングランド国教会を設立
*計6度の結婚
*アイルランド国王を兼ねる
▼以下につづく

イングランド + アイルランドの君主(1542-1603)

~ 1603 :テューダー家

1509-1547ヘンリー8世
1542~:兼 アイルランド国王(ジョージ5世まで継承)
1547-1553エドワード6世
*ヘンリー8世の息子
*プロテスタント改革を強化
*病死

(1553:グレイ家)

1553
(9日間)
ジェーン・グレイ
*ヘンリー7世の曾孫
*エドワード6世の指名による継承
*プロテスタント派貴族による擁立
*メアリ1世による廃位

~1603:テューダー家

1553-1558メアリ1世
*ヘンリー8世の娘
*ヘンリー8世の指名による継承
*カトリック信仰を復活
*プロテスタント派の弾圧
1558-1603エリザベス1世
*ヘンリー8世の娘
*ヘンリー8世の指名による継承
*イングランド国教会を復活
*バージン・クイン
*黄金時代
*スコットランド女王メアリの処刑
*国に安定の基盤を築く

イングランド + アイルランド + スコットランドの君主(1603-1707)

1603-1649:ステュアート家

1603-1625ジェームス1世
(スコットランド国王としてはジェームス6世)
*ヘンリー7世の曽曾孫
*イングランドとスコットランドの同君連合が成立
*火薬陰謀事件
1625-1649チャールズ1世
*ジェームス1世の息子
*専制政治
*議会と衝突し内戦(ピューリタン革命)
*処刑

1649-1659:コモンウェルス(クロムウェル政権)

王政が廃止されたため、国王不在の期間がありました。

1649-1653コモンウェルス(共和国)
1653-1658オリバー・クロムウェル(護国卿)
*アイルランド侵攻とスコットランド制圧
*残部議会の強制解散
*軍政監制度の施行
1658-1659リチャード・クロムウェル(護国卿)
*オリバー・クロムウェルの息子
*残部議会の復活と護国卿政権の終焉
*亡命

1660-1685:ステュアート家

1660-1685チャールズ2世
*王政復古
*クレランドン法
*ドーヴァーの密約
*「ホイッグ党」と「トーリー党」の成立
1685-1688ジェームス2世/7世
*名誉革命による廃位

1685-1702:オランジュ家(王配)

1689-1694メアリ2世とウィリアム3世(王配)
*オランダの最有力家系の出身
1694-1702ウィリアム3世
*ジャコバイトの陰謀

1702-:ステュアート家

1702-1714アン

グレートブリテン王国 + アイルランドの君主(1707-1801)

-1714:ステュアート家

1702-1714アン
*グレートブリテン王国の誕生

1714-:ハノーヴァー家

1714-1727ジョージ1世
*ドイツのハノーヴァー出身
*ジャコバイトの蜂起
*南海泡沫事件
1727-1760ジョージ2世
*ジョージ1世の息子
*オーストリア継承戦争
*ジャコバイト最後の蜂起
1760-1820ジョージ3世
*ジョージ2世の孫
*七年戦争
*アメリカの独立
*(仏)フランス革命

グレートブリテンおよびアイルランド連合王国の君主(1801-1922)

-1901:ハノーヴァー家

1760-1820ジョージ3世
*アイルランドの併合
*ナポレオン戦争
*精神疾患
1820-1830ジョージ4世
*ジョージ3世の息子
*カトリック救済法
*娘シャーロットが早世
*弟のウィリアム4世に王位継承
1830-1837ウィリアム4世
1837-1901ヴィクトリア
兼 インド皇后(1876-1901)

1901-:ウィンザー家(旧サクス=コバーグ=ゴータ家)

1901-1910エドワード7世
1910-1936ジョージ5世

グレートブリテンおよびアイルランド連合王国の君主(1922-)

-現在:ウィンザー家(旧サクス=コバーグ=ゴータ家)

1910-1936ジョージ5世
1936エドワード8世
1936-1952ジョージ6世
1952-2022エリザベス2世
2022-チャールズ3世

ウェールズの君主(825-1282)

関連記事8世紀~12世紀のウェールズ
抜粋文:ウェールズは頻繁に内輪揉めの内戦を繰り返していました。アングロ=サクソン時代のイングランド※および、ノルマン征服以降のイングランド※からの圧力も受けました。/1.....

ウェールズについては、統一君主でこそないものの、代表的な地位/家系が存在したのでそちらを掲載しています。以下ヨコモジのままですが、折を見て日本語読みを添えます。

825-916:Lord of Gwynedd

825-844Merfyn Frych (Merfyn the Freckled)
844-878Rhodri Mawr (Rhodri the Great)
878-916Anarawd ap Rhodri

916-974:Lord of Ceredigion

916-942Idwal Foel (Idwahl the bald)
942-950Hywel Dda ap Cadell (Hywel the Good)
950-974Iago ab Idwal

974-985:Lord of Gwynedd

974-985Hywel ab Ieuaf (Hywel the bad)
985-986Cadwallon ab Ieuaf

999-1005:Lord of Gwynedd & Dehuebarth

999-1005Maredudd ap Owain
1005-1018Aeddan ap Blegywryd
1018-1023Llywelyn ap Seisyll

1039-1282:Lord of Gwynedd

1039-1063Gruffydd ap Llywelyn
1081-1137Gruffydd ap Cynan
1135-1137Gruffydd ap Rhys
1137-1170Owain Gwynedd ap Gruffydd
1170-1194Dafydd and Rhodri ap Owain
1194-1240Llywelyn ap Iorwerth (Llywelyn the Great)
1240-1246Dafydd ap Llywelyn
1246-1282Llywelyn ap Gruffydd (Llywelyn the Last)

ウェールズは1282年にイングランドに併合され、エドワード1世とそれ以降のイングランド国王が君臨します。

スコットランドの君主(843-1625)

関連記事中世初期のスコットランド(5世紀~7世紀)
抜粋文:ローマ人がブリテン諸島から撤退してからのち数百年、現在のスコットランドに相当する地域にはおおきく4つのグループが存在しました。東にピクト人の王国、西にゲール語族.....

関連記事11世紀ー12世紀のスコットランド
抜粋文:目次 1. ウィリアム征服王 VS マルカム3世2. マルカム3世の死後の王位争い3. デビッド1世による大改革4. ノーザンブリア伯爵領の没収およびカンブリア.....

House of Alpin

843-858ケネス1世
858-862ドナルド1世
862-877コンスタンティン1世
877-878エイ(Aedh)
878-889ヨーカ(Eochaid)
889-900ドナルド2世
900-943コンスタンティン2世
943-954マルカム1世
954-962インダルフ
962-966ダフ
966-971カリン
971-995ケネス2世
995-997コンスタンティン3世
997-1005ケネス3世
1005-1034マルカム2世

House of Dunkeld

1034-1040ダンカン1世
1040-1057マクベス
1057-1058ルーラッハ (The Fool)

House of Canmore

1058-1093マルカム3世
1093-1094ドナルド3世(Donald Bane)
1094ダンカン2世
1094-1097ドナルド3世(Donald Bane)
1097-1107エドガー
1107-1124アレクサンダー1世
1124-1153ディビッド1世
1153-1165マルカム4世
1165-1214ウィリアム1世
1214-1249アレクサンダー2世
1249-1286アレクサンダー3世
1286-1290マーガレット

House of Balliol

1292-1296ジョン・ベイリャル

House of Bruce

1306-1329ロバート1世(ブルース)
1329-1371ディビッド2世

House of Balliol

1332(8-12月)エドワード・ベイシャル
王位争い:1333-1346

House of Stewart/Stuart

1371-1390ロバート2世
1390-1406ロバート3世
1406-1437ジェームス1世
1437-1460ジェームス2世
1460-1488ジェームス3世
1488-1513ジェームス4世
1513-1542ジェームス5世
1542-1567メアリ
1567-1625ジェームス6世
(イングランド国王としては1世)

Advertisement

       
?>