エドワード殉教王(Edward the Martyr)
       

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エドワード殉教王(Edward the Martyr

エドワード殉教王
出典 Wikimedia Commons
治世975 – 978 (2年254日)
継承権エドガーの息子
生没c.962 – 978 (16歳)
家系ウェセックス家(house of Wesex
父母Edgar, King of England & Æthelflæd or Wulfthryth
結婚
子供
埋葬Wareham, Dorset(のちに Shaftesbury、その後 Woking へ)
イングランド国王:エドワード殉教王

年表

975エドワードが13歳で即位
978エドワード殉教王がコーフ城で殺害される
年表:エドワード殉教王の治世

おもなできごと

エドワードは、12-13歳で即位しました。エドワードは先王エドガーの長男でしたが、父王からは継承者としての指名はなく、異母弟エゼルレッド(Æthelred)と王位を争ったとされています。

エドワードは、カンタベリー大司教ダンスタン(Dunstan)およびヨーク司教オズワルド(Oswald)によって戴冠されました。

しかし978年、およそ16歳のエドワードは、コーフ城(Corfe Castle)で暗殺されます。コーフ城には義母エルフリーダとその息子エゼルレッドが住んでいました。エドワードは彼らを訪ねた際に殺されたとされていますが、詳細な記録はのこっていません。

エドワードにミード酒を差し出す義母エルフリーダ
(19世紀の想像イラスト)
出典 Wikimedia Commons

エドワードの遺体は、まっとうな葬儀が行われないまま急ぎウェアハム(Wareham)に埋葬されたといいます。翌年に盛大な葬儀が行われ、シャフツベリー修道院(Shaftesbury Abbey)に再埋葬されて、まもなく聖人化されました。

エドワードの短い治世のあいだ、王国内の有力貴族マーシア伯エルファ(Ælfhere)とイーストアングリア伯エテルワイン(Æthelwine)が争い、内戦勃発の危機がありました。

コーフ城

エドワード殉教王が殺害されたコーフ城は、城跡が残っており、入城できます。

公式サイト:Corfe Castle | National Trust

現在見られる石の建材はノルマンコンクエスト(1066)以降のものですが、すでにアングロサクソン時代に王侯貴族が住居として利用していました。敷地内には「サクソン広間」があり、関連する柱穴がみられます。エドワード殉教王が殺害された場所と考えられています。


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参考
Edward the Martyr
Kings and Queens of England & Britain
Edward the Martyr

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