1066年、もうひとりの候補者:アルフレド大王の直系エドガー・アシリングの人生

1066年、もうひとりの候補者:アルフレド大王の直系エドガー・アシリングの人生

父の亡命先ハンガリーで生まれたエドガー

エドワード・アシリングの息子、エドガー・アシリング

クヌートがイングランド王位を奪取した1016年、国王エドマンドの幼い息子2人がハンガリーに亡命しました。1056年、このうちのひとりエドワード・アシリングが生きていると知ったエドワード証聖王は、彼をイングランドに呼び寄せました。ところがエドワード・アシリングは到着して間もなく死亡してしまいます。

エドワード・アシリングには当時およそ4歳の幼い息子がありました。エドガー・アシリング(Edgar Ætheling)です。

1066年当時、エドガー14歳

困難な時代に若すぎたため戴冠ならず

エドワード証聖王が亡くなり王位争奪戦の起こった1066年、エドガーが王位継承者として候補にあがりました。エドガーはアルフレド大王の直系にあたります。しかしおよそ14歳と若く、ほか3者の強敵の出そろった時世には間がわるく戴冠することはありませんでした。

※ほか3者…ノルマンディ公ウィリアム、ノルウェー王ハラルド、ウェセックス伯ハロルド

ウィリアム征服王に挑戦

スコットランド王マルカム3世の後ろ盾を得る

エドガーの姉はスコットランド王マルカム3世に嫁いでいました。ノルマンディ公ウィリアムがイングランドを征服すると、エドガーは反乱勢から擁立され、またスコットランドのマルカム3世の後ろ盾を得て、イングランド王位を主張しました。

ウィリアム征服王に敗戦、追放される

しかしスコットランドは対ウィリアム戦に敗戦し、マルカム3世はウィリアムを大君主として認めることを誓いました。このときエドガーは命をうばわれることはなく、ウィリアムから追放を言い渡されるにとどまりました。しかも、ほどなく再びスコットランドに戻ることができたようです。

フランス国王フィリップ1世に誘われ再挑戦…嵐に見舞われ断念

ウィリアムの敵だったフランス国王フィリップ1世から誘いをうけ、対ノルマンディ戦に向けてフランスに渡ろうとしたこともありました。しかし嵐に見舞われて大勢の味方を失い、かろうじて陸路でスコットランドにもどると、もはや王位奪還の夢は捨てました。

ウィリアム2世と良好な関係を築く

ウィリアム征服王亡き後は次代ウィリアム2世に忠誠を誓いました。ウィリアム2世とは、紆余曲折ありながらも良好な関係を築きました。

スコットランドの王位継承争いへの関与

ウィリアム2世下で甥エドガーに加勢

スコットランドではマルカム3世亡きあと王位継承戦が続きました。エドガーは、イングランド国王の後ろ盾を得た甥のエドガーに加勢し、甥のエドガーをスコットランド王位に就けることに一役買っています。

ヘンリー1世とは敵対

イングランド国王ウィリアム2世が亡くなると、跡を継いだ弟ヘンリー1世とは敵対しました。ヘンリー1世の兄ロバート側についてノルマンディで戦うなど、ノルマンディ公爵家のお家騒動にもかかわりました。この戦いに兄ロバートは破れました。ロバートは余生を捕らわれの身で過ごすことになりましたが、エドガーは恩赦を与えられ釈放されています。

エドガーの晩年はよく知られていない

エドガーは1125年の時点でまだ生きていた(70歳以上)ことが記録されています。しかし、その後はいつどこで亡くなったのか記録はなく、また墓の場所も知られていません。100年以上も後に書かれたある修道院の年代記には、エドガーにはマーガレット(Margaret Lovel)という名の娘がいたと記されているそうです。

参考
Edgar Ætheling

1066年3人の王位争奪戦:クヌート大王時代にさかのぼる発端
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1066年、アングロサクソン系の国王エドワード証聖王が子供のないまま没したとき、3人の人物がイングランドの王位を狙っていました。1人目は、アングロ=ノルマンのウ.....