アングロサクソン七王国:バイキングの侵攻とウェセックス王国の台頭(9世紀)

アングロサクソン七王国:バイキングの侵攻とウェセックス王国の台頭(9世紀)

8世紀~11世紀にかけて、ヨーロッパ各地は”海からの侵攻”に苦しみました。この侵略者は”バイキング(Vikings)”として知られています。デンマークやノルウェーからやってきた人々です。ブリテン諸島への最初の侵攻は8世紀に起こりました。

スウェーデンのゴッドランドにあるシェングヴィーデ石碑に描かれているバイキング
出典 Wikimedia Commons

バイキングの略奪はじまる

狙われたのは主に教会や修道院です。教会や修道院は”富が集約された場所”とみられていました。「アングロサクソン年代記(Anglo-Saxon Chronicle)」は、793年に聖なる島リンディスファーン(Holy Island)が略奪されたことを伝えています。その後約40年間、バイキングの略奪は止まりました。しかし835年から再び始まり、また以前よりも頻繁に起こるようになりました。

バイキングの語源

「バイキング」の語源ははっきりわかっていません。中世には、スカンジナビアの海賊や略奪者を意味する言葉として使われていました。同時に「異教徒(heathens)」「デーン人(Danes)」「ノースマン(Northmen)」も同じ意味で使われていました。

「バイキング」という言葉は、スウェーデンにのこるルーンストーン(runestones)の一部に見ることができます。このなかに、Tóki víking という個人名が彫られたものがあります(stone of Tóki víking (Sm 10))。víking として活躍した Tóki という人物が、Tóki víking と呼ばれていたと考えられています。

Vikings

Växjö 大聖堂の西の壁ちかくで発見されたルーンストーンに”Tóki the Viking”と刻まれている(sm10)
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アングロサクソン諸王国の陥落

ウェセックス王国を除いてほぼ全滅

860年代、デーン人(バイキング)は「略奪」をやめて本格的な「侵略/侵攻」をはじめました。865年、大軍団がブリテン島に到着しました。アングロサクソン人が「大異教軍(Great Heathen Army)」と呼んだこの軍団は、871年にスカンジナビアから到来した「大夏軍(Great Summer Army)」によってさらに増強されました。そしてこののち10年以内に、アングロサクソン人の王国のほとんどが、この侵略者によって陥落させられるのです。

大異教軍の侵攻ルート(865年~878年)
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867年にノーザンブリア王国が陥落、869年にイーストアングリア王国が陥落、874年~77年にかけてマーシア王国の大部分が侵略されました。王国、学舎、所蔵物、教会が、デーン人の猛攻撃によって崩壊しました。

ウェセックス王国の台頭、バイキングに勝利

アルフレド王がバイキングに勝利

かろうじて生き残ったのがウェセックス王国です。878年の3月、ウェセックス王国の国王アルフレド(Alfred)は、少数の仲間らとともに、サマーセット(Somerset)の沼地アテルニー(Athelney / Athelney)に要塞を設けました。アルフレド王はここを、バイキングと戦うための拠点としました。

「エディントンの戦い」と和平条約

878年にアルフレド王は、サマーセットとウィルトシャーとハンプシャーの人々を合わせた軍を編成します。アルフレドの軍は、エディントンの戦い(Battle of Edington)でバイキング軍を破ることに成功しました。バイキングは彼らの拠点まで後退し、アルフレド王はこれを包囲しました。

ブラットン城ちかくにある「エディントン(Edington / Ethandun)の戦い」の碑
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バイキングは降伏し、彼らのリーダーであったガスラム(Guthrum)は、ウェセックス王国から撤退することに同意しました。また、キリスト教に改宗することを約束し、後日ウェドモア(Wedmore)にて正式な洗礼が行われました(Treaty of Wedmore)。

ビクトリア朝時代に描かれた「ガスラムの洗礼シーン」
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その後、アルフレド王とガスラムは条約を結びました(Treaty of Alfred and Guthrum)。ウェセックス王国とデーン人の領域の”境界”も取り決めら、イーストアングリアと以北がデーン人の領域となり、ミッドランドの一部と、コーンウォールをのぞく南部のすべてがウェセックス王国の支配域となりました。

※コーンウォールは、アングロサクソン人の侵攻を免れブリトン人の支配下にあった。

892年のブリテン島:ピンク色がデーン人の領域、中央にマーシア、南部の緑色がウェセックス
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要塞の建設と徴税システムの構築

エディントンの戦いに勝利し、ガスラムと条約を結んだあと、アルフレド王は彼の王国を「常時戦時体制」に整えました。海軍を新たに編成し、陸軍を再編成し、ローマ時代の要塞跡を再利用して、バー(burhs)として知られる要塞の町々を築きました。

バーと常備軍を維持するため、アルフレド王は徴税システムを導入しました。これはバーグルハイディジ(Burghal Hidage)として知られています。

10世紀のバーグルハイディジ
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バーの町々は防衛を目的として建設されました。これによってバイキングはウェセックスの大部分を横断できなくなりました。「アングロサクソン年代記」には、バーの要塞町のひとつであるチチェスター(Chichester)を襲ったデーン人の敗北が記録されています。

バーは防衛を目的として築かれた要塞ですが、商業的な発展にも貢献しました。その安全性が商人や市場を惹きつけ、また貨幣の鋳造に安全な場所を提供することになったのです。

デーン人(バイキング)の新たな来襲の波が891年から始まりました。アルフレド王が築いた新しい防衛システムはその成果を発揮しました。最後にはデーン人を滅ぼすに至り、デーン人は896年半ばに分散しました。

アルフレド王の拠点ウィンチェスターに遺るローマ時代およびサクソン人の要塞跡を利用した中世の壁
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アングロサクソン年代記

アルフレド王は読み書きのできる王でした。「アングロサクソン年代記(Anglo-Saxon Chronicle)」はアルフレド王の命令で編纂されました。ヨーロッパの年代記の多くはラテン語で書かれていますが、「アングロサクソン年代記」は古英語で書かれています。

参考
History of Anglo-Saxon England
Vikings
Danelaw

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