アルフレッド大王(Alfred the Great)
       

アルフレッドはアングロ・サクソン時代の国王のひとりです。バイキングの勢力をおさえて「全アングロサクソン人の王(king of the Anglo-Saxons)」となった人物です。このため「イングランド最初の国王」と定義されることもあります。

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アルフレッド大王(Alfred the Great

アルフレッド大王
18世紀のイメージ画 by Samuel Woodforde
出典 Wikimedia Commons
治世871年 / 886年 ー 899年
継承権ウェセックス王として:Æthelwulf of Wessex の息子
全アングロサクソン人の王として:Treaty of Wedmore による
生没849年 – 899年 (50歳)
家系ウェセックス家(House of Wessex
父母Æthelwulf, King of Wessex & Osburh
結婚Ealhswith of Gainsborough(868年)
子供Æthelflæd, Lady of the Mercians / Edward the Elder / Æthelgifu, abbess of Shaftesbury / Ælfthryth, Countess of Flanders / Æthelweard of Wessex
埋葬New Minster, Winchester(のちに Hyde Abbey ただし1538年解体)
イングランド国王:アルフレッド大王(871 / 886 – 899)

年表

871アルフレッドが、兄王(Aethelred)の死後にウェセックスの王に即位
872ロンドンにバイキングの来襲
878ガスラム率いるデーン人軍がウェセックスに侵攻しアルフレッドはアテルニー島に退避
エディントンの戦いでガスラムを討つ
878「ウェドモア条約」でイングランドを二分割
ガスラムがキリスト教に改宗、ウェセックスを去りイーストアングリアに定着
884/
885
アルフレッドがロチェスターでデーン人を討つ
885アルフレッドの支配が南ウェールズに及ぶ
886アルフレッドがデーン人からロンドンを奪還
アルフレッドが、イーストアングリアのデーンロウ(デーン人が居住する地域)を承認
890ガスラム死去
アルフレッドが常備軍を編成
891『アングロサクソン年代記』の編纂はじまる
893シャーボーン司教アッサー(Asser)による伝記『アルフレッド王の生涯(Life of King Alfred)』が完成
894ノーザンブリア人とイーストアングリア人がアルフレッドに忠誠を誓うが、すぐに南西イングランドを襲撃
896ソレント海峡の海戦でデーン人に勝利
899アルフレッド死去
年表:イングランド国王アルフレッド大王(871 / 886 – 899)

おもなできごと

アルフレッドは849年頃、バークシャー(Berkshire)のワンテジ(Wantage)に生まれ、立派な教育を受けて育ちました。ローマへ訪れる機会も2度あったと云われています。

即位すると、デーン人(=バイキング / Vikings)との緊迫した関係のなかで、5年におよぶ平和を維持しました。

しかし877年、デーン人がウェセックス王国に奇襲をかけます。 デーン人の奇襲を受けて、アルフレッドはサマーセット(Somerset)の小さな島(Athelney)に退避することを余儀なくされました。ここで反撃の作を練ったとされています。

「焦げたパン」の逸話

デーン人(バイキングから)の攻撃から逃れて、サマーセットに避難していた時のことです。アルフレッドと家臣らは沼地に潜んでデーン人にゲリラ戦を展開していていました。この間の食料は地元の農民に頼ってしのいでいました。

あるとき農民の家で、農民の女性がアルフレッドに「パンを焼いているので焦げないように見ておいてほしい」と頼んで出かけました。しかし彼には考えなければならない問題がたくさんあったため、パンが焦げていることに気づかず、この女性に叱られたという逸話があります。

アルフレッドは878年の「エディントンの戦い(Battle of Edington)」でバイキング軍に決定的な勝利をおさめ、885年の「ロチェスターの戦い(Battle of Rochester)」にも勝利し、886年にはロンドンをデーン人から奪還しました。

バイキングの長ガスラム(Guthrum)をキリスト教に改宗させ、北イングランドにデーン人の領域(Danelaw)を定めました。

アルフレッドは「全アングロサクソン人の王(king of the Anglo-Saxons)」となります。アルフレッドは、領土を守るために常備の陸軍を組織し、英国海軍の基礎ともいえる海兵軍も編成しました。また『アングロサクソン年代記(Anglo-Saxon Chronicles)』の編纂もはじめます。

アルフレッドは数々の戦いに勝利し、知性のある君主として語り継がれています。名前に大王(the Great)が付されたのは16世紀のことです。

地図

865-878:大異教軍(the Great Heathen Army)の侵攻ルート
出典 Wikimedia Commons
886年頃
紫色:デーンロウ
出典 Wikimedia Commons

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参考
Alfred the Great
Kings and Queens of England & Britain
Alfred the Great
Alfred the Great

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