【ウェールズの城】エドワード1世が建てた4つの城
ウェールズを征服したイングランド国王エドワード1世は、その過程でウェールズに城を建てました。ビューマリス城(Beaumaris Castle)、ハーレック城(Harlech Castle)、コンウィ城(Conwy Castle)、そしてカーナーヴォン城(Caernarfon Castle)などは、エドワード1世によって建てられた城です。 それぞれ一般公開されているので入城できます!このページでは、 […]
ウェールズを征服したイングランド国王エドワード1世は、その過程でウェールズに城を建てました。ビューマリス城(Beaumaris Castle)、ハーレック城(Harlech Castle)、コンウィ城(Conwy Castle)、そしてカーナーヴォン城(Caernarfon Castle)などは、エドワード1世によって建てられた城です。 それぞれ一般公開されているので入城できます!このページでは、 […]
エドワード1世は政治力と武勇に長けた人物でした。 議会を開く際、聖職諸侯や世俗諸侯に加えて騎士や庶民の代表を招聘することが多かったため、その初めとされる1295年の議会は、後世「模範議会」として知られることになりました。 このほか、ウェールズを征服してイングランドに併合したこと、息子をウェールズ大公に叙したこと、スコットランドへの侵攻なども、エドワードの治世の重要なできごとです。 いっぽうで愛妻家 […]
エドワード証聖王が亡くなり王位争奪戦の起こった1066年、エドガーが王位継承者として候補にあがりました。エドガーはアルフレド大王の直系にあたります。しかしおよそ14歳と若く、ほか3者※の強敵の出そろった時世には間がわるく戴冠することはありませんでした。ノルマンディ公ウィリアムがイングランドを征服すると、エドガーは反乱勢から擁立され、またスコットランドのマルカム3世の後ろ盾を得て、イングランド王位を主張しました。
わたしたちが「イギリス」と呼んでいる国は、正式名称を「グレートブリテン王国および北アイルランド連合王国」といいます。4つの国が集まってできています。イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドです。 国名の変遷について 長い歴史の中で最も強かったのがイングランドです。中世のイングランド国王がウェールズを征服して併合し(1283)、近世のイングランド国王はアイルランドの国王をも名乗るよう […]
リチャードはヘンリー2世の三男です。16歳にして、兵を率いてフランス内の反乱の鎮圧に成功しており、武勇に優れた人物でした。父王の跡を継いでイングランド王になりますが、国王としてイングランドに暮らしたのは半年に満たず、その治世のほとんどを国外で過ごしました。 イングランドで徴収される諸税はおもにリチャードの軍事遠征に使われました。リチャードは第三回十字軍に参加し、その帰路で捕虜となり、莫大な身代金を […]
ラテン語と古英語 中世のヨーロッパではほとんどの書物がラテン語で書かれていました。しかし、ラテン語を理解できるのは、ほぼ聖職者だけでした。 このようなヨーロッパにおいて、イングランドは少し特異でした。書物に古英語も使われていたのです。古英語は多くのひとの話し言葉でした。 書物の多くは聖職者によって書かれたものだったので、必然的に宗教色の強いものが多くなります。しかし聖職者以外のひとが古英語で書いた […]
アングロサクソン人が「大異教軍」と呼んだこの軍団は、871年にスカンジナビアから到来した「大夏軍」によってさらに増強されました。そしてこののち10年以内に、アングロサクソン人の王国のほとんどが、この侵略者によって陥落させられるのです。867年にノーザンブリア王国が陥落、869年にイーストアングリア王国が陥落、874年~77年にかけてマーシア王国の大部分が侵略されました。王国、学舎、所蔵物、教会が、デーン人の猛攻撃によって崩壊しました。
衣服の主流はチュニック( tunic )でした。富裕層が着るチェニックは丈が長く、色鮮やかで高品質な布が、その豊かさを象徴していました。素材はシルクや、シルクで縁取られた布でした。農民や兵士のチュニックは膝丈もしくは膝上丈でした。 一般人と、重装備の兵の例です。
第一次イングランド内戦では、ニューモデル軍の活躍で議会派が王党派に勝利しました。しかし議会派のなかで長老派と独立派の分裂がいっそう深まります。 このページは、の続きです。 1647-48年:第二次イングランド内戦 チャールズ1世の身柄、イングランド議会へ引き渡し 議会の長老派と独立派の分裂を加速させる狙いをもって、チャールズ1世はあえてスコットランド盟約者※だけに降伏し、スコットランドで捕虜となり […]
スヴェンはデンマーク王です。986年頃、父王を倒してデンマーク王位を奪取しました。1000年にはノルウェーの大部分も支配下におさめ、1013年にイングランドへ侵攻しこれを征服しました。イングランドの征服に成功したスヴェンは、リンカンシャーのゲインズボロー(Gainsborough, Lincolnshire)に拠点を築いてイングランド支配にとりかかりました。イングランドに初めて、デンマーク系の王が君臨した瞬間です。先王エゼルレッドはフランスのノルマンディに亡命しました。しかしスヴェンは、その治世わずか数週間にして死去します。