F.05 アングロサクソン時代

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c. 500–1066

クヌート大王(Cnut the Great / Canute)

クヌートはスヴェンの息子で、デンマークの王子でした。父スヴェンはイングランドの征服に成功して、イングランド国王の地位についた人物です。ただし即位後まもなく亡くなり、王位はふたたび旧来のウェセックス家へと戻っていました。 クヌートはイングランドを征服してイングランド王位に就き、デンマーク王位を継承し、スコットランド王をしのぎ、ノルウェーを征服してノルウェー王にもなりました。その支配域は「クヌートの北海帝国」として知られています。

スヴェン(Sweyn Forkbeard)

スヴェンはデンマーク王です。986年頃、父王を倒してデンマーク王位を奪取しました。1000年にはノルウェーの大部分も支配下におさめ、1013年にイングランドへ侵攻しこれを征服しました。イングランドの征服に成功したスヴェンは、リンカンシャーのゲインズボロー(Gainsborough, Lincolnshire)に拠点を築いてイングランド支配にとりかかりました。イングランドに初めて、デンマーク系の王が君臨した瞬間です。先王エゼルレッドはフランスのノルマンディに亡命しました。しかしスヴェンは、その治世わずか数週間にして死去します。

エドレッド(Eadred)

エドレッドは、エドワード長兄王と三番目の妃の息子です。実兄エドマンド1世をついで王位に就きました。 「北欧人(バイキング)の打倒」は、もはやイングランド王家の宿命ともなっていました。エドレッドは、954年、ノーザンブリアを支配していた北欧系の王エリック(Eric Bloodaxe)の追放に成功しました。エドレッドは胃腸に深刻な病気を抱えており、これが重症化して命を落とします。30代前半であったと考えられ、結婚はしておらず、子供もありませんでした。

アゼルスタン(Æthelstan)

アゼルスタンは、エドワード長兄王の息子で、アルフレッド大王の孫にあたります。アゼルスタンは937年の「ブルナンブルの戦い(Battle of Brunanburh)」に勝利してイングランドの領域を広げました。この戦いは、かつてないほどの血みどろの戦いとして語り継がれています。アゼルスタンは、スコット人、ケルト人、デーン人およびバイキングからなる同盟軍を打ち負かし、「全ブリテンの王」を名乗りました。

ハロルド・ゴドウィンソン(Harold Godwinson)

1066年、子供のないエドワード証聖王が、死の間際に、ハロルドに王位継承を告げたとされています。賢人会議もハロルドを国王に選出しました。北部でノルウェー軍を討ったハロルドは、ウィリアムを討つべく南部へ引き返しますが「ヘイスティングスの戦い(Battle Of Hastings)」に破れ、命を落としました。44歳、治世は282日でした。

アングロサクソン七王国時代:七王国のなりたち

ローマンブリティシュ人が住んでいた4世紀ころから、ケントは度重なる海からの攻撃にさらされてきました。そこでどうやら、ゲルマン語を話す異民族が傭兵として招き入れられて、この地域に住み始めたようです。410年にローマ支配が終わると、さらに新たなゲルマン語系の民族集団がこの地に移住してきました。最初に定着したのはジュート人で、東ケントに王国を築きました。

中世(前期)のヨーロッパの服装【男性編】

衣服の主流はチュニック( tunic )でした。富裕層が着るチェニックは丈が長く、色鮮やかで高品質な布が、その豊かさを象徴していました。素材はシルクや、シルクで縁取られた布でした。農民や兵士のチュニックは膝丈もしくは膝上丈でした。 一般人と、重装備の兵の例です。

アングロサクソン人の社会

ノルマンコンクエスト(1066)が起こる前のイングランドは、アングロサクソン人が統治する王国でした。 アングロサクソン時代の初期、イングランドの土地のほとんどは森でした。人口も少なく、総じて100万人ほどだったと推測されています。ひとびとは小さな村に暮らしていました。ほとんどの村は100人未満の人口でした。それぞれ村単位で自給自足の生活をし、衣食をまかないました(塩と鉄だけは外部から入手しました) […]

エドワード長兄王(Edward the Elder)

エドワードは、従兄弟エルウォルド(Æthelwold)に勝って即位しました。エドワードは先王アルフレッドの長男ですが、王位継承権は保証されていませんでした。当時の社会では、王族のなかで強い者に同等の王位継承権があったのです。エドワードはその治世に置いて、南イングランドと中央イングランド(Midlands)をデーン人から奪還します。デーン人の支配域はノーザンブリアのみに縮小されました。 またマーシア卿に嫁いでいた姉エセルフリーダ(Aethelflaed of Mercia)が亡くなったあと、エドワードはマーシアの支配も兼ねるようになりました。

ヨーロッパのバイキング時代と後世への影響

ブリテン諸島のバイキング時代は、793年に始まったとされるのが一般的です。これは「アングロサクソン年代記」に記された「リンディスファーン修道院の襲撃」の年に基づいています。現フランスのノルマンディ(Normandy)として知られる地方は、このノースマンらが徐々に侵略し定住するようになった地域です。リューリクなる人物は東へ遠征し、859年にノヴゴロド(Novgorod / Novgorod)に王朝を建てたとされています。

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《 本の紹介 》

イングランド王国前史 五世紀半ば、ブリテン島を支配していたローマ人が去った後にやってきたアングロサクソン人。彼らはいかにして「七王国」時代を築いたのか。

消えたイングランド王国 本書は、歴史の狭間に消えゆく故国に命を賭した、誇り高き、最後のアングロサクソン戦士たちの史録である。

ヴァイキングの歴史 時に傭兵として、商人として、あるいは政治的支配者として東西ヨーロッパの歴史に深く関与し、他方で農業を生業として独自の法的社会を築いており、その実態は一様には語れない。

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