F.05 アングロサクソン時代

1/4ページ
c. 500–1066

エルフウェルド(Ælfweard of Wessex)

父王(エドワード長兄王)が没して間もなく、エルフウェルドもなくなりました。父王とおなじウィンチェスターに埋葬されたと『アングロサクソン年代記(Anglo-Saxon Chronicle)』に記されています。王位に就いたことは明示されていません。しかし12世紀に編纂された『Textus Roffensis』には、エルフウェルドが国王としてリストアップされているそうです。治世は4週間です。 王位に就いた期間があったかどうか、歴史家のあいだで見解が分かれています。

ハロルド1世(Harold Harefoot)

ハロルドは、クヌート大王と前妻の息子です。クヌートと前妻の結婚はキリスト教に則ったものではなかったので、イングランドにおいてハロルドは婚外子(私生児)という扱いになります。クヌート大王が亡くなったとき、ハロルドはいちはやく自身の王位継承を主張しました。このころ正妻エマの息子であるハーデクヌーズは、デンマークの攻防戦で忙しくしていました。この隙にハロルドは正式にイングランド王位に就くことに成功しました。

1066年、もうひとりの候補者:アルフレド大王の直系エドガー・アシリングの人生

エドワード証聖王が亡くなり王位争奪戦の起こった1066年、エドガーが王位継承者として候補にあがりました。エドガーはアルフレド大王の直系にあたります。しかしおよそ14歳と若く、ほか3者※の強敵の出そろった時世には間がわるく戴冠することはありませんでした。ノルマンディ公ウィリアムがイングランドを征服すると、エドガーは反乱勢から擁立され、またスコットランドのマルカム3世の後ろ盾を得て、イングランド王位を主張しました。

イングランドのバイキング時代

793年にバイキングの襲撃があったことが「アングロサクソン年代記」に記録されています。バイキングはリンディスファーン修道院を襲い、修道僧を殺し貴重品や金品を奪いました。この襲撃は「バイキングの侵略」の始まりとして位置付けられています。

[詳しく]6世紀のイギリス

410年にローマ皇帝ホノリウスがブリタンニアを見捨てた時をもって、ローマによるブリタンニア支配は終焉を迎えたと定義されています。以降は文献史料が乏しく、6世紀のイギリスについては多くが謎に包まれたままです。 6世紀のイギリスの主なできごとは次のとおりです。 ベイドン丘の戦い 現存する当時の文献史料はギルダスによる「ブリトン人の没落」 アイルランド出身の宣教師らがスコットランドとイングランドに宣教 […]

エドガー(Edgar the Peaceful)

エドガーはエドマンド1世の息子で、先王エドウィの実弟です。959年に全イングランドの王として即位したとき19歳でした。エドガーがイングランド王として即位したのは959年ですが、戴冠式はバース(bath)で973年に行われました。この戴冠式は、治世の開始を示すよりむしろ治世の絶頂を示すものとして、ダンスタンによって慎重に計画されたものでした。

アングロサクソン人の社会

ノルマンコンクエスト(1066)が起こる前のイングランドは、アングロサクソン人が統治する王国でした。 アングロサクソン時代の初期、イングランドの土地のほとんどは森でした。人口も少なく、総じて100万人ほどだったと推測されています。ひとびとは小さな村に暮らしていました。ほとんどの村は100人未満の人口でした。それぞれ村単位で自給自足の生活をし、衣食をまかないました(塩と鉄だけは外部から入手しました) […]

アングロ-サクソン人の侵入と定着:ローマ撤退後のブリテン島(3)

アングロ-サクソン人は、現在のデンマークや北ドイツやオランダに相当する地域から、北海を南へ渡ってきた人々でした。航海術に長け、過去何年ものあいだに沿岸地域を襲っては、彼らが住まうための土地を要求したり、ときには地元の人々を追い払うこともありました。 サクソン人はさらなる土地を求めて内陸に目を向けます。ブリトン人との抗争は避けられないものになりました。

ハーデクヌーズ(Harthacnut / Hardicanute)

ハーデクヌーズは、クヌート大王と正妃エマの間に生まれました。1040年、ハーデクヌーズは、ハロルドが君臨するイングランドに侵攻する予定でしたが、その直前にハロルドが24歳の若さで急死しました。イングランドに上陸したハーデクヌーズは、すぐさま、新国王としてイングランドの人びとに受け入れられました。しかし1042年、ハーデクヌーズは廷臣の結婚を祝う宴会の最中に急逝します。

エドレッド(Eadred)

エドレッドは、エドワード長兄王と三番目の妃の息子です。実兄エドマンド1世をついで王位に就きました。 「北欧人(バイキング)の打倒」は、もはやイングランド王家の宿命ともなっていました。エドレッドは、954年、ノーザンブリアを支配していた北欧系の王エリック(Eric Bloodaxe)の追放に成功しました。エドレッドは胃腸に深刻な病気を抱えており、これが重症化して命を落とします。30代前半であったと考えられ、結婚はしておらず、子供もありませんでした。

1 4

《 本の紹介 》

イングランド王国前史 五世紀半ば、ブリテン島を支配していたローマ人が去った後にやってきたアングロサクソン人。彼らはいかにして「七王国」時代を築いたのか。

消えたイングランド王国 本書は、歴史の狭間に消えゆく故国に命を賭した、誇り高き、最後のアングロサクソン戦士たちの史録である。

ヴァイキングの歴史 時に傭兵として、商人として、あるいは政治的支配者として東西ヨーロッパの歴史に深く関与し、他方で農業を生業として独自の法的社会を築いており、その実態は一様には語れない。

?>