イングランドのバイキング時代
       
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襲撃のはじまり

793年:リンディスファーン修道院の襲撃

793年にバイキングの襲撃があったことが「アングロサクソン年代記(Anglo-Saxon Chronicles)」に記録されています。バイキングはリンディスファーン修道院(Lindisfarne)を襲い、修道僧を殺し貴重品や金品を奪いました。この襲撃は「バイキングの侵略」の始まりとして位置付けられています。

リンディスファーン修道院跡(18世紀末の画)
出典 Wikimedia Commons

850年~864年:バイキングがイングランドで越冬

イングランドの北部と東岸に大規模な襲撃が断続的におき、規模のちいさい襲撃もイングランドの沿岸各地で続くようになりました。通常は夏に行われるバイキングの襲撃ですが、840年には翌年にかけての冬に行われました。アイルランドに拠点を構えて機をうかがっていたのです。

850年に、バイキングははじめてイングランドでも越冬しました。野営地はケント(kent)のサネット(island of Thanet)でした。854年にはテームズ川の河口(Isle of Sheppey)で2度目の越冬をしました。3度目は864年で、ふたたびサネットでの越冬でした。

本格的な侵攻

865年:大異教軍の上陸

翌865年、「大異教軍(Great Heathen Army)」と呼ばれる軍団がイングランドに上陸しました。ひとつはイーヴァル兄弟(Ivar the Boneless)に率いられ、別のひとつはガスラム(Guthrum)に率いられていました。

A map of the routes taken by the Great Heathen Army from 865 to 878
出典 Wikimedia Commons

867年:ヨークが掌握されバイキングの群落となる

イーストアングリアから上陸したこのバイキングは、ノーザンブリアまで侵攻しました。

867年、ノーザンブリア王国は「ヨークの戦い(Battle of York)」に敗戦します。バイキングのラグナルソン兄弟(Ragnarsson)はヨーク(York)を掌握して、群落ヨールヴィーク(Jorvik)を築きます。ここで農耕を行い、また職人として住まう者もいました。

この兄弟はイングランド人のエグバート(Ecgberht)を名目だけの王に据えて、意のままに使いました。イングランド人の諸王国は動揺し、混乱に陥り、思うようにバイキングに反撃ができませんでした。

870年:大夏軍の上陸と広範な襲撃

870年には「大夏軍」と呼ばれる新たなバイキング軍団がイングランドに到着しました。これを率いていたのはバイセジュ(Bagsecg)と5人のエール(船長/団長 jarl)です。すでにイングランド(アングロサクソン人の領地)の多くを制圧していた先の「大異教軍」と結んで、イングランドの大部分を襲撃しました。バイキングはウェセックス王国への侵攻も計画します。

871年:バイキングとの戦いにウェセックス王国が勝利

しかし871年1月、ウェセックス王国との戦い(Battle of Ashdown)でバイセジュとほかのエールたちは命を落としました。この結果、多くのバイキングがイングランド北部のヨールヴィークまで撤退することになります。ウェセックスの国王アルフレドと後継者は、バイキングを王国から遠ざけ続けることに成功しました。

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878年の様子:ピンク色がバイキングの支配域
出典 Wikimedia Commons

デーンロウ

デーン人の領域はデーンロウ(Danelaw)として知られるようになります。その領域はおおざっぱに次の15の州(shires)に相当します:レスター、ヨーク、ノッテインガム、ダービー、リンカン、エセックス、ケンブリッジ、サフォーク、ノーフォーク、ノーザンプトン、ハンティンドン、ベッドフォード、ハーフォード、ミドルセックス、バッキンガム(Leicester, York, Nottingham, Derby, Lincoln, Essex, Cambridge, Suffolk, Norfolk, Northampton, Huntingdon, Bedford, Hertford, Middlesex, Buckingham)。

イングランド征服

1013年:デンマーク王スヴェン1世がイングランド王を兼ねる

1003年、デーン人の王スヴェン(Sweyn Forkbeard)がイングランドへの襲撃と侵攻を開始します。これが最高潮に達したのは1013年です。スヴェン1世は、イングランドの王位さえも得ました。スヴェンはデンマークの王でもあり、またノルウェーの一部も、当時その支配下に置いていました。

1014年にスヴェンが死没すると、王位はウェセックスのエドマンド2世(Edmund Ironside)にわたりました。

1016年~1035年:クヌート1世の北海帝国

しかし1016年、スヴェンの息子クヌート1世(Cnut the Great)がイングランドを征服してふたたび王座に就きます。クヌート1世は1035年に亡くなったとき、デンマーク、イングランド、ノルウェイ、そしてスウェーデンの一部という広大な領域に君臨する王でした。

クヌート1世の跡を継いだのは息子ハロルド1世(Harold Harefoot)です。彼の母親はクヌート1世の最初の妃である、ノーザンプトンのエルフギフ(Ælfgifu of Northampton)です。

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クヌートの北海帝国(1014年~1035年)
出典 Wikimedia Commons

バイキング時代の終焉

1066年:ノルウェー王ハーラル3世がイングランド人に破れる

一般的に、イングランドのバイキング時代は1066年に終わったと考えられています。これは、スタンフォードブリッジの戦い(Stamford Bridge)で、ノルウェー王ハーラル3世(Harald Hardrada)がイングランド人に敗れた年です。ノルマンコンクエストの年でもあるのですが、クヌート大王の北海帝国の再現をめざしたハーラル3世が敗れたことが、バイキング時代の終わりとしてみなされています。

スタンフォードブリッジの戦い (19世紀の画)
出典 Wikimedia Commons

なおノルマンコンクエストは、かつてフランスに領土を得てフランス貴族となった北欧バイキングの子孫によるイングランド征服です。


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参考
England
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Danelaw

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