第一バイキング時代
795年:バイキングの襲撃はじまる
795年、ちいさなバイキング集団がアイルランド(Gaelic Ireland / Ireland)の沿岸に位置する修道院への襲撃をはじめました。
821年:ハウスで略奪
「アルスター年代記(Annals of Ulster)※」は、このバイキングが821年にハウス(Howth / Howth)で略奪を行い、多くの女性を捕虜にしたことを伝えています。
バイキングの入植
840年~:バイキングがアイルランドで越冬、要塞の建設
彼らは840年からロングフォア(longphorts)と呼ばれる要塞を沿岸に築きはじめ、アイルランドで越冬するようになりました。最初の要塞はダブリン(Dublin)と Linn Duachaill(Linn Duachaill)に築かれました。
※アルスター年代記…アイルランドの年代記。431年から1540年までにおよぶ記録。1489年までの記録は15世紀後半にRuaidhrí Ó Luinínによって、古い文献や伝承から書き写された。
バイキングの襲撃はいっそう激しくなり、内陸深くに達するようになります。より大きな修道院の集落が襲われました。たとえばアーマー(Armagh)、クロンマックノイズ(Clonmacnoise)、グレンダーロッホ(Glendalough)、ケルズ(Kells)、そしてキルデア(Kildare)などです。古代の墓ブルー・ナ・ボーニャ(Brú na Bóinne)※も荒らされました。
バイキングの長トルジェシウス(Thorgest)は845年にアイルランド上王※のマエル・セクネイル1世(Máel Sechnaill I)によって殺されますが、それまでに島の中央部の全土を襲撃したと云われています。
※ブルー・ナ・ボーニャ…アイルランドのボイン川の屈曲部に位置する新石器時代の石室墳。
※アイルランド上王(High King of Ireland)…伝説上もしくは歴史的に、アイルランド全土に君臨したとされる王。
853年:バイキングのアムライーブがダブリン王になる
853年、バイキングの長アムライーブ・コーヌング(Amlaíb)がダブリンの王となりました。彼は兄弟のオマール(Ímar)※とアイル(Auisle)らとともに、ダブリンを支配しました。
以後の数十年、バイキングとアイルランド人の戦争が頻繁に起こり、またバイキング同士(Dubgaill and Finngaill)でも覇権を争いました。バイキングはアイルランドの諸王国と一時的な同盟を結んで戦力となることもありました。
※オマール…Ivar the Boneless と同一人物の可能性がある。
866年:アイルランド上王の反撃、北部のバイキング要塞の陥落
866年、アイルランド上王のひとり Áed Findliath(Áed Findliath)が、北部のバイキング要塞ロングフォアをすべて焼き払いました。この地域のバイキングは回復できず、902年にはダブリンから追い払われました。
第二バイキング時代
914年~:バイキングの復活、入植地を広げる
しかし914年、Uí Ímair(Uí Ímair)に率いられてバイキングはアイルランドに戻ります。
以後8年のあいだに、バイキングはアイルランド人に対して決定的な勝利をかさねます。ダブリンの支配を取り戻し、ウォーターフォード(Waterford)、ウェックスフォード(Wexford)、コルク(Cork)、リメリック(Limerick)にも入植しました。これらの地は、交易の重要なハブとなりました。ダブリンは西ヨーロッパで最大の奴隷貿易港になりました。
侵略と入植で始まったバイキング由来の都市は、やがてアイルランドの諸王国のひとつとなってゆきます。バイキングはアイルランド人と通婚し、アイルランドの文化を採り入れ、ノースゲール(Norse-Gaels)※となりました。
ダブリンのバイキング王のなかの何人か※は、諸島(kingdom of the Isles)やヨーク(Scandinavian York)も支配下に置きました。シトリック・シルケンベアード(Sigtrygg Silkbeard)は、芸術の庇護者、教会の後援者、経済の革新者と云われ、アイルランドで最初の造幣所をダブリンに設立しました。
※ノースゲール…ゲール人(アイルランド先住民)とノース人(北欧人)の混血、および混合文化の担い手をこう呼ぶ。
※何人かのダブリン王…Sitric Cáech、 Gofraid ua Ímair Olaf Guthfrithson and Olaf Cuaran。
980年~:バイキングをしのぐアイルランド上王
980年、アイルランド上王のマエル・セクネイル(Máel Sechnaill Mór)がダブリンのバイキングを打ち負かし服従を強いました。
のちの30年以上、ブライアン・ボル(Brian Boru)がバイキングを抑制し、また彼自身はアイルランド上王になりました。
999年 / 1014年:バイキングの敗戦
ダブリンのバイキングはレンスター(Leinster)と共闘して、ブライアン・ボルに対して反2度の反乱を起こしました。しかし999年の「グレンママの戦い(Glenmama)」および1014年の「クロンターフの戦い(Clontarf)」で敗戦します。
ダブリンのバイキングはもはや、強力なアイルランド諸王に対して、かつてほどの脅威ではなくなりました。
参考
Ireland
First Viking age (795–902)
Second Viking age (914–980)